第8話 ユキちゃんの遺伝子ー4



「え、ごめん。いま……なんて言ったの?」


冬華の言った言葉が信じられず、私は思わず聞き返す。


「その手に持ってるナイフで、私のこと刺してみてって言ったの」


「あ、あはは……冬華でも、そういう冗談言うんだ?」


「私は本気だよ。だってこれは、哀ちゃんの今後の為だもの」


「わ、私のためって……」


違う。これは冗談なんだ。私は今まで友達がいなかったから、冬華のジョークを見抜くスキルが足りてないんだ。

冬華はきっと、いや、絶対に私のことからかってるんだ。そう思って冬華の目を見る。


でも、私を見つめるその瞳には、嘘も偽りも一切見当たらず、ただ真剣に私だけを瞳に映していた。



「そっ……そんなことっ……出来るわけないじゃん! 私、冬華を傷つけるなんてっ──」


「大丈夫だよ。エナジクトはね。人間を傷つけることが出来ないの。地球外生命体と宇宙人にしか作用しない。そういう風に出来てるんだ。だからこれは練習だよ……『人と全く同じ形をした宇宙人』と戦う為のね」


「わ、私。冬華が言うなら、どんな奴が相手でも……ちゃんと戦うよ? そうしなくちゃ冬華の傍にいられないなら、全然何だって出来る! そのくらいの覚悟は……ちゃんとできてるし。だからさ、ほら……万が一ってこともあるじゃない? いくら何でも、冬華に向かってナイフを突き刺すなんて……だってこれ、ナイフだよ? 下手したら……死んじゃうんだよ?」


「大丈夫だよ哀ちゃん。私を信じて」


真っ直ぐ私を見上げたまま冬華はそう言って、まるで迎え入れるかのように両手を広げて微笑む。


そんな。冬華をナイフで刺すなんて──。

いくら冬華が言うことだとしても、私はどうしてもその「大丈夫」という言葉を信じることが出来なかった。


「で、でも、そんなこと……出来ないよ。だってもし、ほんとに冬華を傷つけちゃったりしたら、私……わたし、」


自分のこと、殺したくなっちゃう。


躊躇ったままの私を差し置くように、シュルと音を立て、私の手に握られたナイフの刃先が現れる。冬華がナイフのカバーを外したのだ。

そしてカタカタと震える私の左手を、両手で誘い込むように手繰り寄せ、ナイフの切っ先を胸元へ引き寄せる。

その胸元は透けていて、乳房の輪郭と桜色の乳首がはっきりと浮き出ていて、なんともエロティックな光景だった。


でも、今はそれどころじゃない。戸惑ったまま冬華の目を見る。こちらを見る瞳は静かで、一切の動揺が見受けられない。

「さっさとやれ」とでも言いたげに、せっつくように私を睨みあげていた。


本気だ。やっぱり冬華は本気なんだ。だったら私も、それに答えなくちゃ。


……やろう。信じるんだ。冬華の言葉を。そうでなくちゃ私は冬華の傍には──いられないんだ!


破裂しそうなほど鳴る心臓と叫びだしそうな恐怖心を飲み込み、私は意を決してナイフを両手で握る。


「っ……あああああっ!」


叫びながらナイフを振り上げ、冬華の胸元へと、突き立てた。


「…………?」


ドキドキしながら、閉じていた目をうっすらと開き、冬華を見てみる。私のナイフが胸元を貫通していた。

でも、その胸元からは、一滴の血も流れていなかった。

そう、まるで一切の干渉なく、すり抜けてしまったみたいに。


「ほらね。大丈夫だったでしょ?」


「っ! 冬華っ! ほんとに平気?」


「うん。大丈夫だよ」


にこりと笑って、冬華の手が胸元に刺さったナイフの刃に触れようとする。するとナイフはその手をすり抜けてしまった。


「ほ、ほんとに大丈夫なんだ。なんか……めちゃくちゃ変な感じ」


「だよね? 私も最初は驚いたよ。でもこれも。人間と宇宙人を見分けるためには重要な要素なんだ。急に戦闘が始まったら、相手が宇宙人かどうかなんて確認してる暇は無いし……ちゃんと覚えといてね?」


「うん。覚えとく。ていうか……ちょっと衝撃的すぎて、忘れられないと思う」


「……哀ちゃん。怖いのによく頑張ったね。ほら、ぎゅ~」


「はわっ!?」


冬華に再び抱き締められ、緊張していた身体が一気に弛緩していき、頭の中に花が咲き乱れる。

なんだろう。今日は緊張したり、興奮したり、混乱したり、色々ある日だな……あれ? 私、なんか忘れてる気がする。

なんだっけ? ……まあいっか。とりあえず、これからも冬華の傍にいるために、入隊試験頑張るぞっ!



お風呂を上がると用意されていた新しい制服に着替え、冬華に髪を乾かしてもらって、散髪してもらった。

冬華は髪を切るのがとても上手で、カットが終わってから鏡に写った自分が、今までよりずっといけてる気がして、私は自分の容姿に少しだけ自信が持てた。


「どうしてそんなに上手なの?」と聞くと、「時間がなくて自分で切ってるんだ」と言っていた。

お風呂に浸かる余裕がなかったり、髪を切る時間が無かったり、どうやら冬華は本当に忙しい人らしい。


もし私が同じ部隊に入隊したら、冬華を助けてあげることが出来るかな? 支えてあげることが出来るかな? そしたら冬華は──もっと私を好きになってくれるかな? そんな淡い期待を胸に、私は冬華とともに、演習場へと向かう車に乗るべく、長い廊下を歩いていた。



「哀ちゃん、緊張してる?」


「うん。でも私……絶対合格するよ。だって私、冬華と一緒にいたいもん。私のしたいことって、今それしか無いから」


「ふふ。私もこれから哀ちゃんと一緒にいられたら……とっても嬉しいな?」


「ふぇ!?」


急に手を握られて素っ頓狂な声が漏れる。顔を真っ赤にしながら冬華を見る。冬華は少し照れたような顔で私を見上げて、寄り添ってきた。


「哀ちゃんは本当に頼りになるなぁ~……ねえ、絶対受かってね?」


「う、うんっ……ウカル……ゼッタイ、ウカル」


ねえ冬華。私、そういう事言われたら、すぐに勘違いしちゃうよ。だって私、今までそうやって人に頼られたことも、褒められたことも無いんだよ? ねえ……勘違いしちゃっても、いいの?



「吹雪2佐っ! お疲れ様です!」


迷彩柄の車の前で待機していた隊員らしき人が、私達の姿が見えた瞬間、ビシッと敬礼しながら叫ぶ。冬華は余裕たっぷりな感じで「うん。お疲れ様」と小さく敬礼して返していたた。

冬華って本当に偉い人なんだ~と、隊員と冬華が話をしているのを見ながら感心していると、冬華がこちらに歩いてきた。


「もう出発の準備出来てるみたい。車乗って大丈夫だって、じゃ、行ってらっしゃい」


「え!? 冬華も一緒に行ってくれないの!?」


「ごめんね。執務室に戻らなきゃいけないんだ。書類仕事が溜まってて……でも私、哀ちゃんのこと、待ってるから」


だから、頑張ってね。


その言葉とともに、ふわりと銀色の長い髪が揺れ、私の頬に、冬華の唇が触れる。冬華の柔らかい唇が、私の頬に触れたのだ。

いや、これは勘違いでも妄想でもない。他の隊員の方々が見ている中、確かに冬華の艷やかな桜色の唇が──私の頬に、触れた。

これ、あれだ。少女漫画で何回も、何十回も見たことあるやつ。まさかされる側になるなんて、夢にも思ってなかったけど。

でもこれ、最高じゃん──美人からの、ほっぺにちゅー。


「哀ちゃん……いってらっしゃい」


紫がかった宝石のような潤んだ瞳が私だけを見つめ、そう告げる。今度こそ私はその目を真っ直ぐ見つめ、「はい。行ってきます」と、決め顔でそう返した。

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