第6話 ユキちゃんの遺伝子ー2


急に飛び込んできた自分とは縁遠い単語に、私は思わずぎょっと目を剥く。


「自衛隊って……あの自衛隊?」

「うん」

「え? ここってまだ……いわゆる『現世』なの?」

「まあ、死後の世界じゃないだろうね。だって私、まだ生きてるし」


「自衛隊って……なんで私、そんなとこに?」

「私が連れてきたの。哀ちゃんと一緒にいたかったから」

「え、冬華が私と一緒に……いたかった?」


その一言だけで、私の頭の中には花が咲き乱れ、顔がにやける。


「って……そうじゃなくてっ! 私、あの後どうなったの? 死んだんだよね? じゃあなんで生きてるの?」


そう。トラックに轢かれてバキバキに折れていたはずの身体も、ぱっかり割れたはずの頭も、そんな事無かったかのように、すっかり元通りになっている。

しかも着ているのも寝間着じゃなくて、真新しい知らない学校の制服になってる。いや……本当になんで?


パニックに陥っている私を見て、冬華は動じることなくクスリと笑い、そしてぎゅっと私を抱きしめた。


「大丈夫だよ哀ちゃん。落ち着いて? ほら……いいこいいこ」


優しい声が私の耳元で囁いて、頭を撫でられる。それだけで私の思考は溶かしたチョコレートみたいにドロドロに溶けて、どうでも良くなってしまった。


「ごめん。突然のことで混乱してるよね? とりあえず今からちゃんと説明するね。だから一旦……私と一緒にお風呂、はいろっか」

「うん。そうだね……って、え?」





パサ。パサリ。


背後で衣服の落ちる音がする。その度に鼓動がドキンと高鳴り、手がカタカタと震え、私はといえば、未だに制服のブレザーすら脱ぐことすら出来ずにいた。


緊張する。緊張するよ。だって、人の裸を見る経験なんて、覚えてる限り記憶にないもん。

修学旅行は、おじいちゃんが費用出してくれなくて行けてなかったし。ましてや、こんな綺麗な人の裸なんて……っ! 


「どうしたの? 哀ちゃん」

「ご、ごめん冬華……わたし……やっぱり一人で入りたい。かも」

「どうして?」


洗面台の鏡越しに冬華が首を傾げる。可愛いなあとそれを長い髪の隙間から見ていると、冬華がこちらに歩いてきてしまった。

鏡に彼女の姿が映り、私の心臓はドキリと跳ね上がる。冬華は、既に下着姿だった。


シミ一つ無いまるで自ら発光しているような白い肌。華奢で長い手足に、くびれたウエスト。

私なんかよりずっと豊かな胸は、清楚な白色のレースがあしらわれたブラに綺麗に収まり、魅惑的で瑞々しい谷間を作っている。

下の方に目を向ける。どうやら下着もブラとセットのようだった。


そんな。下着が白のレースだなんて、そんなの……反則だよ。

もし私が男だったら、きっと我慢できずに押し倒すか、その美しさに平伏して一生頭を上げられなかっただろう。

ごくんとバレないように生唾を飲み、私はそのあまりの美しさに五体投地したくなる欲求を抑えるしかなかった。


「あ、あのっ……ふ、ふゆか……?」

「哀ちゃんの黒髪、サラサラで羨ましいなぁ~……へえ、内側が海の色みたいになってるんだ? 綺麗だね」


白い指先が背後からサラリと私の髪をすくい、冬華が私の髪の内側を覗き込む。

その拍子に、ふに、と背中に柔らかい二つの感触が訪れ、私の心拍数はついに、BPM200を突破した。


「う、うんっ! 生まれつきなんだっ……これっ!」


動揺していることがばれないように返事をしたけど、しどろもどろになってしまって、結局意味を成さなかった。


そう。これは地毛なのだ。原因不明で、生まれつきこうだったらしい。おじいちゃんが私を気味悪がっていた理由の一つだ。髪を伸ばしていた理由は、火傷痕を隠したいというのも当然あったけど、内側の髪色を見られたくないのもあった。


どうしよう。いまぜったい顔真っ赤だ。だって私、今までの人生で一度も友達も恋人も出来たこと無いのに。

こんな……急にこんな接触の仕方っ。どうしよう。このまま後ろから、抱きしめられたりしたらっ……!?


背後に立つ冬華の頭は、私より少し下、ちょうど私の目の辺りに頭頂部があった。私が身長170だから、冬華は160くらいだろうか。

ああ。顔立ちはクールな感じなのに私より背が低いとか……可愛すぎる! 好きっ!

私に勇気があったとしたら……振り返って抱き締めてるのにっ!


良からぬ妄想をしつつ、ドキドキしながら鏡越しに前髪の隙間から冬華を盗み見ていると、目が合う。

はっきりとした長い睫毛に囲われた紫色の瞳が、鏡越しに私を見つめて不敵に微笑んだ。


「でもちょっと、前髪が長すぎるかな? これじゃあ可愛い顔が見えないね? せっかくだから、お風呂入るついでに切っちゃおうか」


か、かわいい!? 私が!?


人生で初めて言われた硝酸の言葉に、気分が有頂天になり叫びだしそうになるのを堪え、私はしどろもどろに理由を説明した。


「あ、あのね……実は私、顔の右半分に大きい火傷痕があって、前髪でそれを隠してて……」

「火傷痕? ああ、そういえば初めて会った時あったね。でも今はもう無いよね? ……ほら」

「え?」


冬華の指先が厚い前髪をすくい、私の顔が鏡に映る。私は驚きに目を見開いた。右の額から首筋にかけてあった大きな火傷痕が、綺麗さっぱり無くなっていたのだ。


「え、うそ……なんで?」

「哀ちゃんのエナジクトが、事故の怪我と一緒に修復してくれたんだろうね」

「エナジクト?」

「哀ちゃんが左手に握ってるそのナイフが、エナジクトだよ」

「え、」


言われて左手を見る。確かに私の手には、刃先がケースに収まった刃渡り14、5cmほどありそうなナイフの柄が握られていた。


「あれ、全然気づかなかった……私、一体いつからこんなの持ってたんだろ?」

「気付かないのも仕方ないかもね。だってそのナイフはもう、哀ちゃんの身体の一部みたいなものだから」

「ナイフが、身体の一部?」

「他にあった身体の傷跡も、全部綺麗に修復されてるはずだよ。さ……脱いで確認してみよ?」

「え、ちょっま、私まだっ……心の準備がっ!」

「いいから脱ぎなさーいっ!」

「そ、そんな強引なっ……ひゃぁあっ!?」







「ふぅ~……やっぱりたまにはお風呂に浸からなくちゃね」

「う、うん……」


リラックスしている冬華の声が、湯気でもくもく曇るお風呂場に響く。私は背後にいる冬華に身体がくっつかないように気を付けながら、膝を抱えてバスタブの端っこに張り付いていた。


冬華の執務室についているお風呂は、まるで漫画の中で見た高級ホテルのお風呂みたいにおしゃれだった。

シャワーやタオル掛けなどの金具はピッカピカの金色で、広々としたバスタブもなんと猫足なのだ。

長い髪をお団子に纏めて、悠々と両手をバスタブの縁に広げて湯船に収まる冬華は、まるで映画のヒロインの如く、この上なく様になっている。


だけど、いつもおじいちゃんと鈴音ちゃんが使い終えて、一晩経った残り湯で身体を流していた私にとっては、お洒落すぎて全然落ち着かなかった。



「冬華は、普段はお風呂ためて入らないの?」

「うん。最近仕事が立て込んでるから、シャワーで済ませちゃうことが多いかな。でも今日は、こうやって哀ちゃんが来てくれたおかげで入れちゃった」

「へへ。冬華の役に立てたなら……よかった」

「それに、こうやって服を着ながらお風呂に入るなんて機会、なかなか無いしね」

「う、それは……ごめんなさい」


「脱ぎなさい」「嫌だ」の攻防の末、やっぱり私はまだ冬華の前で裸になることも、冬華の裸を見ることも刺激が強すぎて無理だと断固として拒否し、冬華の前で全裸になることは免れた。


そして話し合いの末、結局私達は、『お互いにワイシャツを着たままお風呂に入る』という折衷案を採用することにしたのだ。

でも、ワイシャツの下は当然何も身につけていない。裸である。

もし私が冬華に背を預けようものなら、背中に濡れたワイシャツ越しのおっ……胸が押し当たってしまうので、私は断固として冬華の方を向かないように気を付けながら湯船に使っている。


冬華に先に入ってもらった後、脱衣所に残った私は、自分の体を隅々まで確認した。冬華の言っていた通り、至るところにあったはずの傷跡や痣が、綺麗さっぱりなくなっていたのだ。


これが、『エナジクト』のおかげなんだろうか? というか……エナジクトって、何なんだろう?

気になる。けど、先に確認しておかなくちゃいけないことが、私にはあった。


「ねえ冬華、その……私って死んだんだよね? それって私の家族……おじいちゃんは、知ってるの?」

「知らないと思うよ。哀ちゃんは今、世間的には『行方不明者』っていう扱いになってるからね」

「じゃあ、探しに来たり、連れ戻されたりは……しないよね?」

「大丈夫。哀ちゃんの住んでいた場所からこの駐屯地は、500キロは離れてるからね。それにご家族が探しに来たとして、みんなが徹底的にシラを切って、全力で追い払ってくれるよ。哀ちゃんの存在は、陸自の中で『極秘中の極秘事項』に認定されてるし、誰も口を割らないから」

「そうなんだ……よかった」


私は内心ほっと胸を撫で下ろしながら、次の疑問を冬華に投げかけた。

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