第2話 ギラギラー2
「なんだこの飯は! 固くて食えたもんじゃねえっ!」
「で、でも、いつもの水とお米の分量で……」
「口答えするなっ!」
バシンと頬をぶたれる。口の中が切れて、血の味がした。頬、腫れてるだろうなぁ。後で冷やしてから学校行かないと。
頬を押さえながら立ち上がると、トントンと階段を降りる音がして、
「じいちゃん朝からうるさ~い」
「ああっすまん鈴音。哀の奴が、朝飯の用意もまともに出来んでなぁ……」
「……ふ~ん」
鈴音ちゃんが冷めた目で私を一瞥し、私の方に歩いてくる。そして正面に立ち、じっと見上げてきた。
身長170cmの私が悠々と見下ろせるくらいの、華奢で小柄な背丈。
意思の強そうなぱっちりとした大きな瞳。寝起きでもサラサラの、栗色のストレートヘア。真っ白な陶器のような肌。
ひとつ歳下の鈴音ちゃんは、私とは全く正反対の見た目をした美少女だ。
「すみません」と私が頭を下げ、顔を上げると、鈴音ちゃんは手入れの行き届いた髪を弄りながら、澄んだ色の瞳を細め、鼻で笑ってみせた。
「じいちゃん。今日は朝ご飯無いみたいだし、あたしがコンビニで何か買ってきてあげるよ」
「ほんとか!? すまんのう鈴音……哀ッ! 鈴音に礼を言わんかい!」
「……ありがとう、ございます」
「じいちゃん。そのお茶碗貸して」
「ん? これか? ほれ」
鈴音ちゃんがお茶碗を持つ。そしてそれをひっくり返した。
ぼとん。
お茶碗に収まっていた形のままの炊き立てのご飯が、私の足元に落ちた。
「あ~どうしよう落としちゃった~。勿体なぁ~……ねぇ哀。これ、ちゃんと食べなさいよ?」
「え、で……でも」
「はあ? 口答えすんの? ろくにご飯も炊けないくせに? あんたがちゃんとご飯炊けてたら、こんな事にならなかったんだよ? ご飯と私達に申し訳ないと思わないわけ?」
「……ごめんなさい。ちゃんと、食べます」
私がそう返事すると、鈴音ちゃんは上機嫌に微笑み、おじいちゃんへと振り向いた。
「じいちゃん。私コンビニ行ってくる。何食べたい?」
「そうじゃな。ワシは赤飯握りが食べたいなぁ……」
「分かった。じゃ、いってきま~す!」
パーカーを羽織り、鈴音ちゃんは玄関へと向かっていった。ドアが閉まる音が鳴ってすぐ、パリンと何かが割れる音が響いた。
見ると、私の足元でお茶碗が砕けて散らばり、床に落ちたご飯に、粉々になった残骸がふりかけのように降り注ぎ、私の爪先に、大きめの破片が突き刺さっていた。
「お前は少し反省が必要じゃな。今日の朝飯は無しじゃ! それ、掃除しとけ!」
吐き捨てるようにそう言って、おじいちゃんは台所を出ていった。台所に残ったのは私と、床に落ちたご飯と、割れた茶碗だけになった。
しばらく呆然と見下ろした後、ようやく私はしゃがみ込み、足の指に刺さったお茶碗の欠片を抜く。
ご飯とお茶碗の破片、めちゃくちゃ混じってる。最悪だ。片付けるの、めっちゃ面倒くさいやつ。
この分だと、晩御飯も抜きにされるだろうな。お腹すいて限界だし……破片取り除いて、これ食べよう。
私の名前は
おじいちゃんの家に居候させてもらってる、高校一年生の15歳。
ご飯に混じった破片を出来るだけ取り除き、ご飯を口に放り込む。恐る恐る咀嚼するとすぐにバリ、と嫌な感触がして、口の中に血の味が広がった。
仕方なく吐き出し、ご飯はビニール袋に、茶碗の残骸達は新聞紙に包んだ。
こんなの今に始まったことじゃない。もう慣れっこだ。
唯一おじいちゃんに偉そうに口をきけるのは、実の孫である鈴音ちゃんだけだ。
私は産まれて間もない頃、おじいちゃんの家の前に置き去りにされていた所を拾われたらしい。
お父さんとお母さんが今何をしているか、どんな人だったのか、何も知らないし、分からない。
産まれたばかりで捨てられたし、『哀れ』なんて意味を持つ、『哀』という名前を付けたわけだから、きっと両親にとって私は『愛すべき存在』ではなかったのだろうとは思う。
両親に捨てられていた私にとっておじいちゃんは、言うなれば命の恩人なのだ。感謝しなくちゃいけないんだ。
キッチンを片付け終えた私は、長い廊下の雑巾がけを終え、風呂場へと向かった。昨日沸かした残り湯を桶で掬って身体に掛ける。ぶるりと寒気がした。
もう三月だけど、やっぱりまだ寒い。でも今日は学校だ。ちゃんと身体、綺麗にしとかないと。
石鹸を泡立てて頭と身体を洗う。昨日蹴られたお腹が痛くて見ると、紫色の大きな痣が出来ていた。それだけじゃない。私の身体は、傷だらけだ。
青や紫のあざ、ベルトをムチ代わりにして叩かれた赤いミミズ跡。人の肌は様々だっていうけど、私ほど色とりどりの人、きっといないんじゃないかな。
制服で隠れるところにしてくれるだけマシなんだと思う。見られたら恥ずかしいし。
まあそれも、学校に文句言われるのを恐れて、自分の為にそうしてるだけだろうけど。
すっかり冷めきってしまったお湯で身体を流し、私は学校へ行く準備をした。
通学路を一人で俯き、とぼとぼと歩く。足取りは重くて、学校に近づくにつれて心臓が嫌な意味でドキドキと高鳴った。
大丈夫。今日は終業式だけ。それが終わったらすぐに帰ればいいんだ。大丈夫、大丈夫。
そう自分に言い聞かせ、なんとか学校へとたどり着く。
なるべく音を立てないように教室に入ると、教室にいたクラスメイトの視線が、一気に私へと注がれた。それは決して友好的な視線ではなかった。
「え~また来たよアイツ。休んでりゃいいのに」
「なぁなんか教室臭くね!? ……あ、もしかして刃金が来たせい?」
「やだ~言ってあげんなって、男子ぃ~!」
みんな私をチラチラと見ながら顔を合わせ、クスクスと笑う。気にしないようにしながら自分の席へと向かう。
机の上に油性ペンで「バーカ」とか「もう学校来んな」とか色々書かれていた。もうこのくらいは慣れっこだ。
そう思いながら椅子を引いた瞬間、「ひっ」と小さく悲鳴が口から漏れ、思わず椅子を倒してしまった。
ガターンという音に、クラス中の視線が私に集まる。椅子の座面の部分に、画鋲がびっしりと敷き詰められていた。
「刃金~! あんたの椅子地味だったからデコっといてあげといたよ~!」
「あはは~めっちゃおしゃれじゃ~ん! うらやまし~!」
女子の声に、教室がドッと爆笑に包まれ、私は恥ずかしさで顔を真っ赤にしながら、画鋲を止めているセロテープを必死で剥がした。
「以上で終業式を終えるぞ。次の登校は4月になるが、お前ら遊び過ぎんなよ~!」
「「は~い!」」
チャイムが鳴り、みんなが元気よく先生に返事をする中、私は必死の形相で荷物をまとめていた。終わった。早く帰らなきゃ。
そうじゃないと、また──。
「ねぇ、刃金」
声とともに、背後からぽんと肩を叩かれる。
びくりとして振り返ると、いつもの女子二人組と男子一人が、私を見てにやにやしていた。
そんなの振りほどいて逃げればいいだけの話だ。なのに、情けないことに私の身体は硬直し、そこから一歩も動けなくなってしまった。
「あ……あ、」
「あはっ、相変わらず反応キモ~」
「どうせこの後時間あるでしょ? せっかくだからさぁ……私達とあ~そぼっ♪」
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