第10話 晩夏
「あれ? なんで大地たちがここに? 確かに電話はしたんだけど……」
それは鏡花の要望だった。彼女が突然走り出したきっかけ。尋ねてみれば、
彼女曰く、その影は神社の方へと上がっていったらしい。
その真偽を確かめるべく、彼らは本日三度目の本殿来訪を果たしたわけだが、そこにいたのは二つの人影。
「まあいっか。こうして三人は揃ってるわけだしさ」
そこにいたのは嬉々として佇む
「あれ? どうしたんだい、三人揃って」
天鈴 永。神社に入って消えたはずの担任が、そこにはいた。
「え、天鈴先生こそ……。なんで」
「うん。僕はこの神社に用事があってね」
髪は短い黒。その髪とは対照的な純白なシャツと薄黒いカーゴパンツを身に纏っており、長身痩躯の身体には似合っていると言えた。
その表情は柔らかい。澄んだ瞳がそう感じさせるのか、もしくは綻ぶ口元が原因か。大地らが久しぶりに見た彼は、変わらず優しく、穏やかだった。
まるで、彼自身には何も起きていないかのように。
「な、なあ天鈴先生。ずっと神社にいたのか? 一歩も出てないのかよ」
「うん。ずっと、という言葉がどこまでのことかは分からないけれど。今朝から今までずっといたよ。本殿の中で、作業をしていたんだ」
「え、でも私たちが見た時には……」
「そうだね。どうやら、大地くんのお姉さんが言った通り、勘違いしているみたいだ」
「勘違い……、ですか?」
「そう。それじゃあ、明智さん。御高説を」
三人それぞれの質問に答え、彼は笑顔で隣の少女に流れを引き渡した。本日起きた一連の出来事、その結末とタネを、春夏秋冬 明智は明かす。
「はい。……まあ勘違い、と言えば勘違いなんだけどね。これは多分知らなかったら分からないことなんだと思う。だから勘違い、というよりは見間違いとか誤解とか、そんな感じなんだよ。知識不足が招いた騒ぎってところかね」
「そういうのは良いからさ、つまりどういうことなんだよ。というかなんで姉ちゃんはここにいるんだよ」
「そう苛つかない苛つかない。さあさ、ちょっと三人とも、こっち来てくれない?」
ああここにいるのは母さんに頼みごとされたからだよ、と。そう続けてから、不満そのものを前面に押し出している大地と、疑問符を並べている終夜。それから天鈴 永を一心に見つめている鏡花を連れて、神社本殿へと向かう。
「私も知らなかったんだけどね。というか、普通神社本殿の中なんて入らないし」
言いながら、拝殿の格子戸を開く。そこは人気も感じられない侘しい空間。清掃はされているようだったが、薄暗く不気味だった。
そしてさらに不可思議さを助長させるように、年季の入った椅子が一脚、物静かに佇んでいる。
「ここが多分、三人が見た部屋だと思う。こんな感じだった?」
「ああ、朝見た時と一緒だな」
大地は鮮明にあの一瞬を覚えている。特に覚えにくい造りでもないし、とにかく隅から隅まで見渡したから記憶違いも起こっていないはずだった。でもだから、どうしたという話だ。
「そんなことどうでもいいから、早くしてくれよ姉ちゃん」
「苛つかないでって言ってんでしょ。事実の確認はミステリにおいて必須事項なんだからさ。まあこの件がミステリかって聞かれれば違うとも思うけど」
そもそも明智は別にミステリ的生活を志しているわけじゃない。好きではあるが、自分には手が追えないのだ。
解決できるものなんて、この神隠しのような下らないことばかり。それでも名探偵がしているような行動を取るのは、せめてもの意地のようなものなのかもしれなかった。
「と、これで認識の確認は終わったから、種明かしの続きをしようかね。天鈴さん、開けてもいいですか?」
大丈夫ですよ、と。後ろで見守る天鈴 永は優しく答えた。
許可を得た明智は椅子が置かれているその背、掠れた模様が描かれている壁にそっと手を重ねる。
「え、もしかして」
「そう、そのもしかしてだよ」
その手に力を籠めると、思いの外すんなりと壁は内側に向かって動いた。
「これこそ神隠しの正体だあ!」
これがマンガなら効果音やらの演出が入って格好もついただろうが、響く音なんて少数の蝉ぐらいなもの。
「……まだ、部屋があったのか」
大地がポツリ、と。そう漏らしたのを他二人も耳にして、無言で頷いた。
開いた壁の向こう。そこは石で造られた簡素な空間。真四角のその間には三方に扉の様なものが窺えた。
「椅子の後ろが観音開きの扉になってたんだよ。普通は分かりやすくもしてるとは思うんだけど……」
「うん。この四方広神社は面白い造りだね。普通なら分からないな」
嬉しそうに天鈴 永は言う。対照的に、大地の表情は曇り始めた。理由は分かる。この局面、いつも彼は決まってこう叫ぶ。
「しょうもねえええ……」
やる気そのものを削がれたかのように、膝から崩れ落ちた彼はさらに不平を募る。
「いや、だって別部屋があるって……、そんな」
「まあ神隠しなんて突拍子もないものよりは、幾らか現実的だと思うんだよ」
「でも姉ちゃん、幾らなんでも現実的過ぎるって……」
その溜め息は聞き取れてしまう程大きく零れた。大地だけじゃない。他二人も、肩の荷が下りたように疲労を顔に浮かばせながら、息を吐いた。
ただそれは、呆れからくるものではなかった。
それは安堵。探し求めたものがついに見つかったような、そんな表情だった。
「天鈴先生は、こんなところで何をしてたんですか?」
「ん、そうだね。お手伝いってところかな?」
「お手伝い、ですか?」
「そう。四方広祭りのお手伝いさ。本当はね、今日だけで色々と終わらせるつもりだったんだけど、訳があってここから身動きが取れなかったんだ。明智さんが来てくれて助かったけど」
「誰かさんが靴を持って行ったせいでね」
「え、ああっ!?」
慌てて、東鬼 鏡花は革靴を取り出した。どうして持ち歩いているんだろうと、明智は思うがそれを素直に尋ねる気にもなれなかった。彼女も彼女で心配だったのかもしれない。
「ご、ごめんなさい! ずっと持っちゃってて……」
「大丈夫だよ。中でやるべきことは終わったからね」
天鈴 永は今履いているサンダルから、革靴へと履き替えた。これで神隠し事件は一件落着だ。
春夏秋冬 明智は大きく伸びをして、一仕事を終えた気に浸った。
「それにしても……、本当に良かった……。神隠しなんかじゃなくて……」
「いやいや、神隠しには合っていないよ。僕はずっとここにいたんだからさ。……でも、心配させたみたいだね」
一言一言、まるで春の陽光のような暖かさ。そんな季節外れの空気がそこには満ちていたが、その彼が放った言葉は、確かにおかしかった。
「ずっと、ここに……?」
今にして思えば、気が付かない方が間違っていた。天鈴 永はずっと、朝からここにいたと言っていた。彼が出歩けるはずもなかったのだ。それは、担任の証言からも東鬼 鏡花の持っていた靴からも導き出せる答えだった。
それの何がおかしいか。
では逆に。数十分前に鏡花が追いかけていた人影は誰だったか。
彼女は一体、何を追いかけていたんだろう。
「おーい、大地? 大丈夫?」
「は、何が?」
「何がって……、ぼうっとしてたの? もう出るわよ。いつまでもいたら怒られるし」
既に終夜と鏡花、それに天鈴 永は外に出ていた。なんて薄情な二人だ。ぼんやりとしていた自分に非が無いことを確信しながら、クラスメイトへ呪詛を飛ばす。
「おい、待てよ!」
それから彼は靴の踵を踏みながら、三人の元へと駆けて向かった。
楽しそうに、彼らは話す。そこにはいつもの日常が描かれていて、鮮やかに景色を彩っていた。
これが夏休みか。
春夏秋冬 明智は思い出す。小学生の時には自分もまた、ああやってはしゃいでいたなあ、と。
「まあ、今は今で――」
確かに目の前の光景は眩しい。現在の自分には無いものを彼らは持っている。けれど、明智は後悔しない。変えようとも思わない。
今は今で楽しいのだ。
それこそが、春夏秋冬 明智の日常。
彼女の夏休みだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます