第9話 夏影
では逆に非日常とは何か。それは自分自身が体験したこともないような、出来事が起きた時。
およそ超常的と見られる事象現象から、新しい環境へと置かれることまで、つまり大地の生きる世界へ侵攻してきたもの全てが非日常足り得るのだ。
だからこれまで十二年間生きてきて、その生活のほとんどが非日常と言えた。
それは毎日外で遊び回っている大地だからこその境地。彼もまた、その姉と同じく暇が嫌いで、かの姉とは違って動くことが好きだった。
太陽が西に傾き始め、強かった陽射しはその明度を徐々に下げていく。
日中蔓延っていた熱の威力が弱まったからか、すれ違う人の数も増えてきていた。四方広町は閑散とした雰囲気を活気あるものへと戻しつつ、夏の午後特有の情緒を熱気と共に引かせていく。
大地らのいる商店街は、賑わいと元気さとで彩られていた。
「天鈴先生? 知らないよ」
「そっか、ありがとうな」
大地はそう言って、頭を下げた。
これで何人目か分からない。とにかくひたすらに、大地らは商店街で聞き込み調査を行っていた。
無論、そこから進展はない。
学校の一教師を、保護者でない人物が知るはずもないのだが、大地はそんなことに気付くこともなく、商店街で聞いて回っていた。
ちなみに
「よく飽きないわね……」
「大地が楽しそうだからいいと思うよ」
鏡花はそんな彼の言葉を聞き流す。
いよいよ天鈴 永への手掛かりが潰えつつあった。神隠しかどうか、それは半信半疑ではあったものの、担任が消えたことは事実。それは現在手提げ袋に入っている革靴が無言にも語っていた。
こんなことをしている場合ではない、と。そうは思うも代替案も思い浮かばない。よって、彼ら彼女らは大地の行動に追随するより他はなかったのだ。
果たして天鈴 永は無事なのか。胸中には焦燥が生まれ、視線に落ち着きはなくなっていた。
何か自分にもできることがないのか。そんな想いに駆られるが、動けない。精々、今もちょろちょろと動き回っている大地に声を掛けることぐらいが関の山だ。
「ねえ大地……」
声はそこで途切れた。いや途切れざるを得なかったのだ。
春夏秋冬 大地が何かをしたわけじゃない。近付いてきていた鏡花に首を傾げてはいたものの、特に会話の妨げになるような行動をしていたわけじゃない。
では何故東鬼 鏡花の口元が止まり、視線が大地の後方へ注がれていたのか。理由は明白だった。
「天鈴、先生……?」
「は?」
その姿は街角に消えていった。
あの時。今朝見かけたように、その人物は鏡花の視界から姿を眩ます。同じ。神社で見つけたその時と。
だから、東鬼 鏡花が一目散に駆け出したのは当然のことだった。もう二度と、見失いたくなんてなかったから。
「ちょっ、東鬼!?」
「どうしたの!?」
二人の言葉は届かない。見えていない。鏡花は周りから浮いていた、あるいは。
沈んでいたのかもしれない。水面下で泳ぐ鯉のように、辛うじて表層化されるのは波紋ぐらいで、その姿は決して誰にも映らない。
彼女はただ黙って、その影を追いかけた。
街角に消える。カーブを降り曲がり、階段を降りて、坂道を駆け上る。
常に影は視界の遠くに存在し、しかし決して見失うことなく追い求めることができていた。
ただそれは、後方を走る大地らには知覚できなかった。彼らから見れば、東鬼 鏡花が突然走り出して、そして宛てもなく彷徨っているようにしか映らない。
「ま、待てよ……、東鬼!」
そんな声を掛けても、振り返ることもしない。
彼女は何か、見えない陽炎でも見続けているんじゃないだろうか。
もしくは。
大地の脳裏にある言葉が浮かんだ。同時に、ここで彼女を見失うと、二度と見つけられない、と。そんな直感も。
息が上がり、足もそろそろ限界が近かった。どれくらい走っていたのか、元から数えてもいない。
クラスの中で一番足が速い大地が追い付けなかったのは、変な道を辿っていたから。
変化と緩急の多い道を、誰かに主導権を握られて走るのは初めてで、彼女のその背にさえ手は届かない。
ただ、いかに不慣れな環境と言っても、そこは慣れ親しんだ地域の小路地。前方を走る彼女が何処を目指していたのか、しばらくしてようやく目途が付いた。
坂を降りたり、階段を下ったりはしているが、回数が多いだけ。上に登る距離の方は圧倒的に長かった。
直感的に、けれども適当に、彼は答えを出した。もう東鬼 鏡花が次に曲がる角は推測できる。
あとは距離を詰めるだけだ。
人一人通るのがやっとの道を抜け、段差の短い階段を駆け、無数の角を縫うように走る。
そしてようやく。
彼は彼女の肩を掴む。
「おい、東鬼! 止まれって!」
「……え?」
足が、吸い付くようにその場で止まった。肩は上下に激しく動き、流れる汗が服に引っ付く。
「わ、……私。何が……?」
「いや……、俺の方が……って」
無我夢中で走り続けて、見えていなかった視界は急速に色を付けていく。見慣れた道路、見慣れた看板。彼らが立ち止った目の前には、四方広神社に続く階段があった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます