第8話 夏行

 パソコンという文明の利器を考えた人は本物の天才だと常日頃そう思う。

 その場に居ながら幾億もの情報を調べることができ、地球人口全ての知識がそこに詰まっていると言ってもまず間違いのない情報集合体。恐らくパソコンに知能があったなら、人間は滅ぼされ支配され尽くされていることだろう。


 あるいは、全知全能に近い彼らは悟りでも開いているのかもしれない。全部を知っていて、ただその知識を利用されるだけの存在とは、なんて虚しく憐れであることだろうか。

 自分よりも頭の悪い大勢の人間に使われることのなんと屈辱的なことか。

 ああ、パソコンに生まれなくて良かった。


 春夏秋冬ひととせ 明智あけちは目の前のモニターを見つめながら硬くそう思えた。


 クーラーが自分の責務を果たすかのようにただ冷気を吐き出し続け、閉じた窓を突き抜けて騒ぐ蝉はこれもまた自分の生を全うすべく大音声をがなり立てている。

 コップがカランと音を立てた。


 ここは楽園だ。パラダイスだ。桃源郷だ。誰からの介入も無く、夏による熱線にも侵されない。怠惰に過ごしていても咎められることもない。この空間は今、懈怠の極致に置かれている。

 生きているという実感は限りなく薄く、ただ漫然と時を過ごすだけの、そんな無駄で枯れた世界。


 夏休みの昼下がり。予定の無い日は基本、こうしてダラダラと過ごすのが春夏秋冬 明智の日課だった。

 と言っても、今日は何も予定が無いわけじゃない。

 予定はある。いつもしているクリックと視線を動かすだけのネットサーフィンを本日に限り取り止めて、彼女は今やるべきことに意識を戻した。


 つまり、天鈴永神隠し事件について。弟であるところの大地を中心として騒いでいたこの謎の解決で、今日という日を過ごそう。

 正午過ぎ、素麺を喉に流し込みながら立てた予定はそれだった。そこからいつもの如く洗い物を済ませ、自室のパソコンを起動、軽くネットサーフィンをした後、今に至る。


 春夏秋冬ひととせ 大地だいちたちはいない。どうやらご飯を食べてすぐ遊びに行ったようだった。

 よくこの炎天下の中出歩けるもんだ、と。明智は近代科学の恩恵を受けながら無駄な思考を適当に脳で処理しつつ、インターネットの検索画面へと戻る。


 天鈴あまれい はるか。明智はこの人物をよく知らない。

 それもそのはずで、彼女が地元の小学校を卒業した頃には、その教師はまだ赴任していなかった。

 なんでも、彼が四方広小学校に来たのはつい二、三年前の出来事らしく、大地らの担任となったのは去年からのことだ。

 爽やかな男で歳はまだ若い、児童からの人気は高く、プライベートは謎に包まれている。これが明智の持つ天鈴 永に対しての唯一の情報である。


 顔や体型、髪型はおろか声も性格も知らない。

 それでも彼女が天鈴 永の消失に首を突っ込み、尚且つ解決を買って出たのは何も自信があったからではない。解決の目途があったわけでも、探す理由が存在したからでもなかった。

 単純に、面白そうだったからである。


 春夏秋冬 明智という人間はぶれることなくそうだった。

 誰が困っていようが、誰が泣いていようが、誰が助けを求めていようが、そんなものは彼女の意志を動かすきっかけにさえなりはしない。

 根源として、彼女は非日常による暇潰しができればそれだけでよかったのだ。そこにある打算も偽善も上っ面でしかない。子どもらしい好奇心と似たシンプル過ぎる感情が、明智の原点だった。


 キーボードに添えた手を滑らせて、文字を打ち込んでいく。検索結果は天鈴 永について。

 あまり情報はないなあ。

 マウスを動かしながら、その視線でポインタを追いかける。

 書かれていた情報といえば、年齢二十五。大学時代は民俗学や地域信仰について学を修めていたらしく、現在は四方広小学校五年三組を受け持っている。

 そう、それくらいしか情報はなかった。役に立つかどうかと問われれば、まるで使えない。

 まあ、正直ネットに転がっている情報なんて断片的だしね、と。気を取り直して、明智は検索を続ける。


 外では炎天下が続く。

 蝉の声とかたまに聞こえてくる子供たちの騒ぎ声とか、それらが遠い世界の出来事であるかのように儚くぼやけている。

 あるいは、この空間そのものが異様なのか。世界は夏だが、この部屋に限って言えば涼し過ぎるぐらいに季節感は希薄だ。

 しばらくクーラーの冷気と傾き始めた陽射しを一身に浴びながら、パソコンを眺めていた明智だったが、ついに断念して背もたれへ倒れた。


「うーん……」


 しかし神隠し。

 それそのものへの解決の糸口が無さ過ぎる。そもそも本当に神隠しなのか。この四方広町のことについて調べてもみたが、ろくに進展もない。

 神隠しは確かに噂されている。それは確かにそうだった。

 なんでも、数人のグループで遊んでいた小学生のうち一人が、突然行方を眩ましたらしい。皆方々と探したものの見つからず、諦めかけたその夕方に当人はひょっこり姿を現した。

 これが神隠しのあらましで今まことしやかに囁かれている都市伝説だ。恐らく終夜はこのことを言っていたのだろうと、春夏秋冬 明智は思う。


 それが何時の時期からの噂かは分からなかったが、ただそう昔のことでもないはずだ。かと言って有名というわけでもない。

 だからこそ情報は少なく、手詰まりとなっていた。本当に正しいかどうかも分からない神隠しのタネを探すのは、無駄かもしれない。

 一つの解答を導き出した明智は、一度思考を中断し立ち上がる。


 一度に色々と考え過ぎてもラチが明かない。こういう時は甘いモノでも食べて、一度リフレッシュを図るのが最適だ。確か冷凍庫にアイスがあったな、と。彼女はストレスフリーな自室から出て行く。

 そして春夏秋冬 明智はその行動を刹那で後悔した。


 そこはまるで地獄。灼熱の外気の影響を受けた廊下は拷問部屋のように変貌を遂げ、全ての生命を絶たんとして熱気を籠めに籠めていたのだ。

 発汗という反射反応を久しぶりに実感しつつ、全力でそこへと向かう。

 糖分を蓄えている食糧庫へと。


「あ、明智。丁度良かったわ。手伝ってよ」


 果たしてその声は、地獄に相応しい悪鬼の言霊だった。ビニール袋を手に下げた母は汗をその額に浮かばせながら、何やら忙しなく動いていた。

 いつもこうだ。春夏秋冬 明智が隙を見せたらすぐに頼まれごとが降ってくる。

 この国に自由という概念はないのかもしれない。いつかこの束縛に満ちた国を出て、自由気ままに暮らせる国を建国してやろうと何度も思っているが、それが一歩でも現実に近付いたことはない。

 今日も明智の意志とは無関係に、世界は回る。


「……なに? 母さん」

「もうすぐお祭りじゃない? その準備を頼まれちゃってね~」

「え、祭りの準備って私たちがやるものなの?」

「普通はやんないわよ。地域の職員とか神社に縁がある人がやるんだけどね。その関係の人に簡単な準備だけを言われたのよ。ほら、ご近所付き合いもあるじゃない? 断れなくってねえ」


 四方広祭りは地域で盛り上がるような祭りだ。

 ほとんど外部からの人間は訪れることはなく、参加者が四方広町の町民で構成されているわけだが、決して小規模ではなく二日連続で行われる祭りは一週間前からその準備に追われる。

 今が丁度一週間前。四方広町では水面下でそれなりに賑わいながら、ポツポツと準備が行われているらしい。


 ご近所付き合いなんて、明智にとって関係の無いことだった。

 常日頃、挨拶ぐらいしか交わさないご近所さんとの関係は薄味だ。自分から交わろうとも思わない。

 もちろん楽しそうなことなら進んで協力もするが、この祭りの準備がどう考えても楽しいものには思えなかった。

 母から放たれる頼みごとは大体こうだ。

 基本、面白くない。


「やらない、というかやりたくないに決まってるでしょ。母さん一人でやってよ」

「あんたどうせ暇でしょ? 本当にすぐ終わるから手伝って」

「……まあ、暇だけどさ」


 暇、という単語に反論できない。やることはあるものの、それも最優先事項というよりは幾らでも後回しにできるもので、やはり暇に変わりは無かった。


「ほら、これちょっと持って行ってよ。四方広神社の神主に渡せばいいらしいから」


 持っていたビニール袋が眼前で揺れた。

 なるほどこうやって面倒事は人を渡って伝染するわけか、と。何故か世界の真理の一つを解き明かした気になった明智は、顰め面で尋ねた。


「なにこれ」

「お神酒よ。本当は神主のお手伝いさんが取りに来てくれるみたいだったんだけどねえ。どうしてか来れなくなったみたいだから、明智が代わりに渡してきて」

「あー……、お手伝いさん? ふーん、そっか……」


 もしかして、と。春夏秋冬 明智の脳裏に一つの可能性が浮かび上がる。


「じゃあそのお手伝いさんって、今いないの?」

「いるわよ。なんでも手が離せないらしくって。ついさっき神主さんから電話があったわ」


 時計を見れば、夕刻の四時を差している。

 天鈴永神隠し事件。

 思いの外早く解決してしまった。これで二、三日は暇を潰すつもりだったのに。

 よくよく考えてみれば物凄く単純明快な話だったので、そんなに時間が掛かるわけもなかったのだが、それでも日々非日常による娯楽に飢えている明智からすれば、貴重な事件もどきなわけで。

 このまま終わらせたくないな、という思いもなかったわけではなかった。


「じゃあよろしくね」


 母はそう言い残し、リビングへと消えていった。ちゃっかりとその手からはビニール袋が消えている。

 まんまと手伝いをする流れに乗せられたことに、デフレ時の株価の如く、モチベーションの低落は留まることを知らない。


 まあ、仕方ない。

 昼に出歩くのであればまだしも、今は日中の暑さも落ち着きつつある夕方だ。外出も吝かではない。

 それに事件の解決はやはり名探偵が現場に出て来てこそ幕引きとなるだろう。それが様式美であり、ある種の伝統でもある。ついでに頼まれごとを引き受けるぐらいなら、容易い。


 春夏秋冬 明智は一度自室へと戻る。

 付けっぱなしになっていたモニター、そこに映し出されていたウィンドウの一つを前面に表示した。

 それは四方広神社についてのページ。彼女はそれを確認して、ウィンドウ全てを閉じる。これで問題は全て解決した。綺麗さっぱり、しこりも疑問の一つも残っていない。


 爽快感。そして、達成感。本来携わる必要のないことで何の利益にもならないことだったが、自分が定めた目的への到達というのはやはり代替不能な晴れ晴れしさを伴う。

 これだから余暇の暇潰しは止められないのだ。

 明智の表情が幾らか綻び、僅かながら上機嫌に満ちる。今なら鼻歌なんかも口遊んでしまえそうだ。


 パソコンをスリープモードに切り替えて、クーラーの電源を落としたことを確認すると、携帯片手に部屋を出た。

 登録されているある番号を表示しながら、春夏秋冬 明智はビニール袋を掴んで玄関扉を勢いよく開く。乾いた熱気と、眩い陽射しが肌を襲った。

 さて。

 明智は深く息を吸い込んだ。体内に留まっていた冷えた空気と外を漂う温い空気が肺の中で交換されるのが分かる。

 ほんの少しだけ。外の現実もいいなと、そう思えた。

 怠惰な感情は切り替えた。臆病な面倒臭さは受け入れた。


 ここからが、いつも通りの解決編だ。

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