第3話

 エッダの頭上で、小鳥たちが飛び交っている。鳥たちのぶん、と採らずにいたブドウをついばみに来ているのだ。見上げれば、蔓と葉の合間に小鳥の影が見えた。エッダは彼らをぼんやりと見つめる。大好きな鳥たちだが、心に全く入ってこない。

 エッダの胸のうちには別の思いがぐるぐると渦巻いていた。


 やはり、ひどい言い訳だったと心底思う。イヌバラの棘が刺さったくらいで、あんな風に叫ばない。そんな内省を頭の中で延々と繰り広げながら、エッダはお茶を一口飲んだ。とたん、顔をしかめる。お茶が渋い。わずかだが、いつもより舌に渋味が残る。


 ティーカップの水面を見れば、色味が濃い。全く気がつかなかった。渋くなってしまったのも、それに今の今まで気づかなかったのも、反省やら後悔やらで悶々としていたためだろう。考えこんで、つい蒸らしすぎてしまったのだ。

 エッダはカップを置いて、対面のイグナーツをうかがい見た。


 彼は、ブドウの木漏れ日の中で、お茶を嗜んでいた。庭を眺めるその横顔には穏やかな笑みが浮かんでおり、すっかりくつろいでいる様子だ。お茶の味を気にしている素振りはまったくない。

 しかし、エッダに気を遣って言わないだけなのかもしれない。そんな風に思ってしまったエッダは、テーブルを引っ掻いた。

 その音が聞こえたのか、それともじっと見つめすぎてしまったのか。イグナーツが振り向く。


「エッダ、どうかした?」


 どきりとしたエッダは、とっさにお茶に視線を走らせた。


「ごめんなさい。お茶、渋くなってしまって」


 エッダが謝ると、イグナーツは「ああ」と頷いて、ティーカップを傾けた。


「確かにいつもより少し渋いけど、でもおいしいよ?」

「それならいいけれど……」


 答えながら、エッダも一口お茶を飲む。確かに不味いというほどではない。だが、エッダの胸のうちはすっきりしない。言葉で好意を表せないなら、もっと美味しいお茶を淹れたかった。それなのにこれである。情けない自分に嫌気が差してきて、ついついため息がもれてしまう。

 お茶を飲もうとしていたイグナーツが手を止めて、カップを置いた。カップの中には、あと一口ほどお茶が残っている。


「エッダ、どうしたの?」

「何が?」

「今、ため息ついたよね? なんだか朝からぼんやりしているみたいだし、何か悩み事でもあるの?」


 そう言うと、イグナーツは眉尻を下げて、目を伏せた。


「もしかして、俺何かやった?」


 声を落として、イグナーツが言う。予想外の言葉に、エッダは思わず声を上げた。


「そんなことないわよ!」


 イグナーツが何かしでかしてしまったなど、そんなことはない。彼と一緒に暮らすようになって一月ひとつき経つが、本当にまるっきり何もない。イグナーツがやって来て困ったことはなかった。むしろその逆である。

 とにかく、彼はよく働く。家事も畑作業も、何一つとして嫌がらない。名門貴族の生まれだというのが、まるで嘘のような働きぶりである。

 そんなイグナーツと一緒に暮らすようになってから、エッダの毎日は以前よりずっと充実している。朝起きればイグナーツがいることにまず幸せを感じるし、一緒に食べる食事は質素だが、何を食べても美味しく感じる。その食事の用意だって、献立を考えるところから楽しい。彼のシャツを仕立てることに夢中になって、気がつけば日が暮れていた、なんてこともあった。

 イグナーツがそばにいてくれることが、そして彼のためにあれこれ仕事ができることが、たまらなく幸せだった。

 それに、イグナーツはエッダのことを愛してくれている。彼の真っすぐな好意に恥ずかしくなることも多々あるが、幸せで胸がいっぱいになるのもまた事実。


 そう思った瞬間、エッダの胸がちくりと痛む。

 もしかしたら、これは自惚れなのではないか。楽しいのは自分だけで、実はイグナーツは不満をためているのではないか。何故ならば、エッダは彼に「好き」という言葉を伝えていない。お茶だって、渋く淹れてしまった。

 エッダは唇をなめた。不安を上手くぬぐえない。エッダは思いきって口を開いた。

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