第15話
イグナーツはおもむろに切り出した。
「俺たちの結婚だけど、無事陛下に認めていただけたよ」
「私の家や貴方の家族は……どうなの?」
「すでに通達済み。案の定納得はしてないみたいだけれど、伝えに行ってくださった陛下の使者の方は、『間違いなく確かにお伝えしました』とおっしゃっていたから、たぶん反対はできないんじゃないかな」
イグナーツが柔らかく笑う。
エッダは「そう……」と息と共につぶやいた。安堵と嬉しさがじわじわと心に広がってゆく。エッダは微笑んだ。そのまま、はしたなく表情が緩んでしまいそうになったが、それはどうにかこらえる。
浮かれる気持ちを取り繕うように、エッダは言った。
「よく認めてもらえたわね」
「うん。最初に伝えた時は、驚かれていたけれどね。でも、周りから口添えしてもらったおかげもあって、無事に望みは叶ったよ」
「そうだったの……。それじゃあ、その口添えしてくれた方にも感謝をしなくてはいけないわね」
エッダが言うと、イグナーツは視線を泳がせた。
「……あー、いや、感謝はしなくていいよ」
「どうして?」
エッダが問いかけると、イグナーツは眉間にしわを寄せた。それから一拍間を開けた後、ため息交じりに答える。
「……陛下に口添えしてくれたの、勇者なんだ」
意外な人物が飛び出してきた。エッダはまじまじとイグナーツを見つめる。彼の表情は不機嫌そうなままだった。
「……あの勇者様と今回の旅で懇意になった、というわけではなさそうだけれど?」
「うん、ぜんぜん。これっぽっちも距離は埋まらなかったよ」
イグナーツがますます顔をしかめる。
エッダはイグナーツの苦い表情に納得した。その勇者様の口添えとやらは、決して厚意によるものではなかったのだろう。
「貴方を思っての行いではなかったのね」
「そうだろうね」
やはり、思ったとおりのようだ。恐らく勇者はイグナーツを貶める目算で、口添えしたのだ。彼のエッダに対する印象も鑑みれば、間違いなくそうだろう。
「明らかにエッダのことを悪く思ってるのが伝わってきたから腹が立ったけど、ぐっと我慢したよね。彼の狙いはどうあれ、助け船には変わりなかったし。そもそも、彼の狙いは外れてるんだから、とんだお笑いぐさじゃない」
イグナーツは鼻で笑う。口調のとげとげしさと相まって、相当彼の怒りが深いことをエッダは察した。また、自分のことでイグナーツに嫌な思いをさせてしまったようだ。
「……ごめんなさいね」
「なんでエッダが謝るんだよ」
イグナーツが目をむいて言う。それから、ひらひらと手を振った。
「ああもう、あいつの話はやめよう。あいつは俺たちのことを微塵も幸せにしない奴だから。もう会う機会もないだろうし、忘れよう」
イグナーツの言うことは最もであったが、しかしエッダは彼の言葉に引っかかりを覚えた。「もう会う機会がない」というのは、どういうことだろう。王都で暮らしていれば、嫌でも勇者と会う羽目になりそうである。
エッダが考え込んでいる一方で、イグナーツはお茶を一口飲んだ。すると、彼はたちまち笑顔になる。
「エッダ、それよりもこれからのことを話そう。俺、今回の旅の後始末とか引継ぎとかまだ少し仕事が残ってるんだけど、諸々落ち着いたらすぐに準備してこっちに来るね。だから、手間をかけて申し訳ないんだけど、部屋の準備とかしておいてもらえると助かるな」
手を組んだところに顎を乗せ、にっこりと笑うイグナーツ。
そんな彼の話に、エッダは耳を疑った。
「貴方がこの屋敷に来て、ここで暮らすの?」
「うん。そのつもりだけど」
笑みを崩さずにイグナーツは答える。エッダはとっさに手のひらを突き出した。
「ちょ、ちょっと待ってイグナーツ。貴方、こっちに来たら王宮騎士としての仕事はどうするのよ」
「王宮騎士ではなくなったから、問題ないよ。北辺地域の監視および守護という任務を受けての異動なんだ。ちなみに、任務の期限は無期限」
「はぁ?」
思わずエッダは大声を上げてしまった。はっとして口を手でふさぐ。
とはいえ、大声だって出したくなる。イグナーツの言っていることはめちゃくちゃだ。
エッダの暮らす北辺地域は、非常に平和だ。反王政派が潜伏しているなどの内乱の種はない。犯罪だってほとんど起こらない。妖精族が暮らす地域に近いが、現状彼らとの関係は良好で、対外的に何か問題があるとも思えない。
一番の心配の種だった魔物に関しても、魔王が倒された今となってはそれほど脅威ではない。魔物の被害は今後減少してゆく一方だろうし、そもそも、エッダの暮らす辺りには魔物はほとんど出現しない。
北辺地域の監視および守護―しかも、期限は無期限で―という任務は、とんでもない閑職だ。現在のイグナーツの立場を考えれば、左遷という言葉ではすまない、あり得ない異動である。第一、なぜ左遷されなければならないのか。一体なんだ、北辺地域の監視および守護とは。そんな役職も任務も、今まで存在しなかったろうに。
誉れ高き明星の騎士が、そんな任につくなどあってはならない。彼はまだ若く、これからもまだまだ活躍できる。多くの人もそれを望んでいるはずだ。
これでは、エッダがイグナーツの未来を奪ったようなものではないか。この調子では、もしかしたらイグナーツは家を継ぐ気もないのかもしれない。彼は父親との仲がよくない。また、彼には弟が二人いる。
エッダの眉がひくつく。対して、イグナーツは肩をすくめた。
「最初は騎士団を辞めるって言ったんだけど、さすがにそれは無理だった」
「当たり前よ」
「どうして?」
「どうしてって……。貴方は明星の騎士じゃない」
エッダがそう言うと、イグナーツの顔から笑みが消えた。彼のまとう空気が少し鋭くなる。
「俺は俺だよ。だから、俺の望むとおりにするだけだよ」
「そう」
エッダは小さな声で頷くと、黙り込んだ。
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