第14話

 結果として、イグナーツは宣言どおり無事に戻ってきた。正確には、宣言した日数よりも早く帰ってきた。当然、魔王を倒して、だ。

 魔王討伐の全行程は二十五日。一月ひとつきかからなかった。

 事前の見立てでは、いくら順調に旅が進んだとしても一月半はかかるとの予想だった。

 魔王復活にともない魔物は凶暴化しており、特に魔王の城に向かう往路に時間がかかると思われた。

 しかし、討伐隊の士気は高く、その威勢を保ったまま突き進み、予定よりもだいぶ早く目的地の魔王城に到着。

 そして、魔王城の攻略は、勇者たちの作戦がばっちりはまり、なんと一日で決着がついてしまった。魔王との決戦は熾烈なものであったらしいが、日数だけを聞くと呆気ないという印象はぬぐえない。

 そうして疾風のごとく魔王を倒した一行は、残った魔物を掃討しながら来た道を引き返し、見事王都に凱旋を果たした。


 イグナーツに限って言えば、帰り際の魔物掃討に目処がついた時点で空間転移で王都まで戻ってきているので、さらに早く二十日で旅を終えたのだった。

 ここまで早く魔王討伐ができたのは、もちろんイグナーツの力によるところが大きい。魔物との戦闘時には常に先陣を切り、魔王と相対した時も全くひるむ様子を見せずに仲間を鼓舞したとの話だ。その奮戦ぶりに加えて、時に勇者以上に的確な判断をくだし、討伐隊を率いたとかなんとか。

 その縦横無尽の活躍に、「戦の女神の加護でもあるのではないか」と人々は噂した。しかも、当のイグナーツがその噂に対して「戦の女神ではないけれど、女神の加護は受けている」との発言をし、明星の騎士はついに神の力を会得したと騒がれることとなった。


 そして帰還から約半月が経った今、ますます輝きを増した明星の騎士はどうしているかというと。

 エッダの目の前で、幸せそうにベリーパイを頬張っていた。


 エッダの屋敷の庭の片隅、ぶどう棚の下にはテーブルセットが設えられている。「今日は涼しいし天気がいいから」とエッダが庭へと誘ったら、イグナーツは二つ返事で頷いたため、本日は庭でお茶の時間と相成った。


「ああ、幸せ……」


 うっとりとそんなことをつぶやきながら、イグナーツは夢中でエッダお手製のベリーパイを食べている。ナイフとフォークを滑らかに操る様は、見惚れるほど優雅だ。けれども、やはり顔に浮かべる笑みは緊張感に欠けて、騎士らしさはまったくない。呆れてしまうエッダだが、決して嫌なわけではなかった。むしろその逆だ。こうしておいしそうに菓子を食べたりお茶を飲んだりするイグナーツを眺めていると、エッダまで嬉しくなってくる。


 日差しは強いが、風は涼しく爽やかで気持ちがいい。少し秋めいた空気だ。たわわに実ったぶどうも、近く食べごろを迎えるだろう。庭の木々では、コマドリたちが鳴き交わしている。今日はそこに、ヒバリの美声も混じる。もう恋の季節も終わりだろうに、しきりにさえずっていた。

 幸せなひと時であった。エッダの頬も自然と緩んでしまう。

 イグナーツはパイの破片まで器用に集めて口に運ぶ。あっという間に一切れぺろりと平らげてしまった。


「ごちそうさま、エッダ。すごくおいしかった」


 そう言うと、イグナーツはお茶を飲んだ。すると彼はこれまた幸せそうな笑みを浮かべ、満足そうに深々と息を吐く。


「どういたしまして。今年も口に合ったようで良かったわ」


 そう言いながら、エッダは空になったイグナーツのカップにお茶を注いだ。

 今日はイグナーツの誕生日である。

 しかし、彼が屋敷にやって来る確証はなかった。事前に訪問の連絡も何ももらっていない。だが、もしかしたらと思ってエッダは朝からせっせと菓子作りに励んだのだが、そうしておいた甲斐があった。


 とはいえ、昼過ぎに使用人から「イグナーツ様がいらっしゃいました」と知らされた時、エッダは驚いた。旅は終わったものの、その事後処理でイグナーツは忙しいはずだし、自分の予感も半信半疑、パイを焼いている間「何をやっているんだか」と自嘲的な気持ちになる瞬間があったのだ。

 エッダが急いで玄関まで向かうと、確かにイグナーツがいた。まごうことなきイグナーツ。彼は、エッダに気がつくと、変わらない無邪気な笑顔で「ただいま」と言った。その言葉を聞いた瞬間、エッダはイグナーツを抱きしめたい衝動に駆られた。すぐさま恥ずかしさがこみ上げてきて、やらなかったけれども。

 ふと、エッダはその時の気持ちを思い出す。照れくささまでも一緒によみがえってきた。


「大したものでなくて、申し訳ないけれど」


 恥ずかしさをごまかすように、エッダは口早に言った。

 するとイグナーツは首を横に振る。


「そんなことないよ。俺にとっては最高の誕生日の贈り物だよ」

「……まだあるけれど、おかわり食べる?」

「え、いいの?」


 イグナーツが目を輝かせる。しかし、彼はすぐさま「いや……」とつぶやくと目を伏せてしまった。

 その様子に、エッダは目をみはる。

 イグナーツは一口お茶を飲むと、唇をなめた。それから、エッダに視線を合わせる。その表情は凛々しい青年の顔つきだった。


「ベリーパイはあとにする。先に大事な話をしてもいいかな?」


 大事な話といえば、一つしかない。

 エッダは姿勢を正すと、静かに頷いた。

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