第2話

 エッダが玄関まで急いでみると、そこには亜麻色の髪の青年が立っていた。特段背が高いわけではないが、凛とした雰囲気をまとう美丈夫である。まちがいない。イグナーツである。

 エッダは何度も瞬きをした。


「ああエッダ! こんにちは! 手紙の返事がなかなか来ないから心配してたけど、調子はどう?」


 エッダに気が付いたイグナーツは、ぱっと破顔する。さっきまでの冴えた雰囲気が嘘のような無邪気な笑顔である。

 彼はいつもこうだった。この屋敷に来ると、いつもこの調子で、よく笑う。

 エッダはまじまじとイグナーツを見つめながら、ぼんやりと言う。


「調子は変わりないけれど……」

「それなら良かった」


 イグナーツが笑みを深める。

 しかし、何が良いのかエッダはよく分からない。彼の言葉をすんなりと飲み込めない。

 何故、イグナーツが目の前にいるのか理解ができないのだ。


 エッダは魔王討伐隊が王都を出発した知らせを聞いていない。しかし、王都の情報がこの北の地に届くまでは時間がかかる。エッダが勇者の報を耳にしてから約一月ひとつき。なんでも出発が遅れているという話を聞いたが、それだって十日前。すでに討伐隊が王都を出立していてもおかしくはない。仮にまだ旅立っていないとしても、準備で忙しいだろうに。こんな辺鄙なところに来る暇など、ないはずだ。

 イグナーツは討伐隊に選ばれなかったのだろうか。いや、それはあり得ない。

 それならば、偽物なのだろうか。魔法で幻影でも見せられているのか、誰かがイグナーツに化けているのか。

 エッダは呆然としたまま、問いかけた。


「どうして、こんなところにいるの?」

「どうしてって、エッダに会いたくなったから」


 笑みを絶やさずに、イグナーツは即答する。

 言われてエッダは我に返った。偽物ではない。この言動、間違いなくイグナーツである。

 エッダは盛大に眉をひそめた。


「何を言っているの。貴方、魔王討伐隊に選ばれたんじゃないの?」

「うん? 選ばれたよ」


 きょとんとした表情でイグナーツは答える。

 まるで自覚のない返答に、エッダは呆れてしまう。こちらが何を言いたいか分からないことないだろうに、わざとなのだろうか。

 エッダの口調が厳しくなる。


「それじゃあ、こんな所に来ている場合じゃないでしょう。もう、王都を出発したんじゃないの?」

「まだ出発してないよ。旅立つのは明後日」

「なら、最後の準備で忙しいでしょうに。こんな所で油を売っている暇なんてないでしょう」


 眉をぴくつかせながらも、エッダは諭すように言葉を連ねる。すると、イグナーツは眉根を寄せた。


「確かにエッダの言う通りだ。だけど嫌になったんだよ」

「何が?」


 エッダが問うと、イグナーツはむすっとしたままそっぽを向いた。その表情、その態度、まるで子供だ。

 王国最強の魔法騎士と名高いイグナーツだが、エッダの前では昔と同じ、子供のままだ。正直、魔法騎士として華々しい活躍をしている彼の姿を想像できない。


 そんな最強の魔法騎士は、そっぽを向いたまま黙って立ちつくしている。動く気配も言葉を発する様子もない。今ここで、エッダの質問に答える気はないらしい。

 エッダは腕を組んでイグナーツを見据えた。イグナーツがちらりとエッダを見やる。しかし、視線を送っただけでやはり何も言わない。


 無言が続くことしばし。イグナーツは相変わらずだんまりを貫いている。

 ここでただ立ちつくしていても、埒があかない。そう思ったエッダは、仕方なく言った。


「……しょうがないわね。上がりなさい」


 ため息混じりの言葉だというのに、イグナーツは不機嫌な顔から一転、さも嬉しそうににっこり笑う。


「ありがとう、エッダ。お邪魔します」


 朗らかな声音のイグナーツ。

 やはり追い返すべきだったかと後悔するエッダだったが、今さら遅い。イグナーツはうきうきとした足取りでエッダの隣に並ぶ。そうして近くから見つめられると、後悔すらしぼんでしまう。

 先程、「追い返すべきだ」と強く思ったはずなのに。それよりも前から、もうあまり会うべきではないと思っていたのに。

 結局、できないのだ。

 エッダはいつも、訪ねてきたイグナーツを拒めないのだった。

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