第3話 幼馴染の懸念
さて、教えるとなった途端、ダンは厳しい師匠に変貌した。もとより職人肌が強いので、子供相手にも手加減することはない。仕事の完成度を高めるためならそれ以外のことは目に見えなくなるのだ。
そして驚くことに、ロレンスはダンの指導に踏ん張って着いて行った。実の子のアンゼリカが早くも音を上げる中、ロレンスは、毎晩遅くまでパン工房に残り、ダンの技術を自分のものにしようと頑張っていた。
「父さんのしごきに着いていけるなんてすごいね。どうしてそんなに真剣なの? 将来パン職人にでもなりたいの?」
「そういうわけじゃないけど……。せっかく教わるのなら極めたいじゃないか。いざという時役に立つかもしれないし」
だからって何もパン屋を選ばなくてもいいのに……。見るからに育ちの良さそうなロレンスが、なぜそこまで技術を身につけることにこだわるのか見当つかないが、彼自身は大真面目だ。彼の熱意に押されて、一度ギブアップしたアンゼリカも渋々付き合うことにした。
「ねえ、焼き上がったよ! ダンの作るやつに近づけたかな?」
ロレンスが嬉々とした表情で湯気の立つパンを差し出してきた。また始まった。アンゼリカはため息をついてから一個手に取る。
ダンに一通り教えてもらってから、ロレンスは毎日パンを試作するようになった。試食役は当然アンゼリカとなる。始めのうちは物珍しさで付き合っていた彼女も、毎日同じことの繰り返しになるとだんだんうんざりしてきた。忌憚のない意見を言ってくれというので「パパの方がおいしい」と嘘偽りない感想を述べたら、今度こそうまいと言わせてみせるとまた新しいのを作り始める。ずっとこの繰り返しなのでもういい加減にしてくれというのが本音なのだが、その都度目をキラキラ輝かせて試食をせがむロレンスを見たら、なかなか言い出せないでいた。
「毎日食べてるから違いが分からなくなってくるけど、最初のに比べたら段違いに上達している。パパのと比べるのはさすがに酷だけど、これなら独立してお店を開けるかもよ?」
それを聞いたロレンスはがっくりと肩を落とした。店が開けると言ってもダメなの? どうしてもダンのパンを超えたいの? どんな言葉をかければいいのやら、アンゼリカは途方に暮れた。
「何て言えば満足するのよ? こんなうまいのは食べたことがない! 世界一のパン職人だ! と言うまで頑張るつもり?」
「僕はアンゼリカのために作ってるんだから、君が満足しなきゃ意味ないんだよ!」
「十分おいしいって! でも、どんなにおいしくても毎日じゃ飽きるよ! それに、少しばかり修行したくらいで完全再現できたら、パパの立場がないじゃない。今のままでも十分だと思うけど?」
「せっかく教えてもらうんだから、最高の形で継承するのがダンへの敬意ってもんだ。ダンも真剣に教えてくれるし」
三角巾にエプロン姿のロレンスは真面目な顔で答える。それはそれで、毎日同じパンを食べさせられるアンゼリカの気持ちにもなってほしいものだが。
「それに、ここに来てから毎日が楽しい。何か目標を持って取り組んだり、新しいことを覚えたり、毎日が新鮮なんだ。アンゼリカも一緒だし」
「何言ってるのよ……。ちょっと誉めたって何も出ませんからね!」
とは言いつつも、アンゼリカは頬を赤らめた。自分より年下のくせにずっと大人びているロレンスと話していると、いつも不思議な気分になる。大人びているくせに甘えてくるもんだからタチが悪い。育ちがいいのは確からしいがそれだけではこうならない。彼はいつも謎に包まれている。
「ねえ、このパン学校に持って行ってもいい? 私一人じゃ食べきれないから友達にも試食してもらおうと思って」
「別にいいけど……。でもアンゼリカがおいしいって言ってくれるのが一番だな。だってこれはアンゼリカのために作ったんだもの」
ロレンスは、頬を膨らませ上目遣いで拗ねている。こういうところは年相応なの本当にあざとい。
「何度もおいしいって言ってるじゃない! これ以上私を太らせる気? これでも年頃のレディだから一応気をつけているんだからね! そういやあなたはずっと学校に行ってないけど大丈夫なの?」
「学校には行ってない……ずっと家庭教師だから。それに勉強は進んでいたからちょっとくらい寄り道してもいいんだ」
ほらやっぱり。いいところの坊やじゃない。アンゼリカは秘密主義の少年をじとっとした目でにらんだ。ここで立ち入ったことを聞きたくなるが、核心に近づくといつもはぐらかされる。三ヶ月の辛抱だから何も聞かないでという最初の言葉を頑なに守っていた。
「寄り道ね……。その割にはこの家からずっと出ないけど息がつまらないの? たまには外に出たいって思わない?」
「だって、こないだみたいにまた狙われたら怖いし……。三ヶ月経ったら自分から出ていくから、頼むからここに置いて」
別にロレンスに出て行ってもらいたいわけではない。それどころか、約束の期間が終わったらもう会えなくなりそうな予感がして怖かった。いつの間にかアンゼリカも、ロレンスと過ごす日常が気に入っていたのだ。
「分かったわよ。別に出て行ってもらいたいわけでもないし。三ヶ月なんて言わず、また遊びに来ていいんだからね」
ロレンスは安心したようにほっと笑みをもらす。その笑顔を見ているとやっぱりかわいいなと思えてきた。
***
「これアンゼリカが作ったの? うちの手伝いはしないって言ってたじゃない! 一体どうしたの?」
翌日、学校にパンを持ってきたアンゼリカの周りには人だかりができた。ダンの作るパンはこの界隈では有名だ。庶民にも届く価格帯のパンとしては、群を抜いたおいしさと評判である。
「私じゃなくて弟子が作ったものなんだけど……修行中の身だから店には出せない代わりにみんなに食べてもらおうと思って」
それでもガーランドベーカリーのパンがタダで食べられると、育ち盛りのクラスメートたちは我先に手を出した。口々においしいという声が上がる。それを聞いて、アンゼリカは自分のことのようにほっとした。ロレンスに直接この言葉を聞かせてあげたい。
「お前の親父さんしばらく弟子なんか取らなかったじゃないか。取っても厳しいからすぐに逃げられてしまうし」
そう言ってきたのは幼馴染のキースだ。家が近くて小さい頃から一緒に遊んできた男友達。彼は代々続く鍛冶屋の息子だがアンゼリカと同様、平民の中でも裕福なので中等学校に通えている。初等学校からこの中等学校に上がったのは、同じ地区からは彼とアンゼリカだけだ。
「まあね。でも最近うちに居候してる子がいるのよ。その子がパン作りに興味持って、色々教わっているの」
「彼って言うと男子?」
「そうだけど? 別に変なことないって。まだ12歳の子供よ」
「それ親戚の子なの? アンゼリカんち親戚いないって言ってたじゃん。父親と母親が駆け落ちしたから」
幼馴染だけあって、アンゼリカの家の事情に詳しいのが厄介である。ハンサムで成績もいいキースは女子たちの憧れの的だ。それなのに何かとアンゼリカに絡んでくる。幼馴染だから色々気にかけてくれるのだろうと解釈しているが。
「そんなことよく覚えていたわね。確かに親戚じゃないわよ。詳しいことは私もよく分からないけど、三ヶ月だけ置いてあげることにしたの」
「何だそれ? 意味わかんねーよ!」
確かに、訳ありの子供を住まわせているなんて言ったらおかしいと思われるだろう。しかし、本当にそれ以上説明できる材料がない。当のロレンスが隠しているのだから追及しようがなかった。
結局、アンゼリカはキースに根掘り葉掘り聞かれて、知っていることを全て話した。説明したところでキースはすっきりせず、それどころか眉間のしわが深くなる一方だ。そりゃ、出自を一切明かそうとしないと聞けば、そんな反応になるのも仕方ないが。
「聞けば聞くほど訳ありじゃん。どうしてそんなのを何も言わず家に置いてるの? 変な事件に巻き込まれるかもよ?」
「ええ……? そうかなあ。家族と喧嘩してほとぼり冷めるまで戻ってこないとかじゃないの? 大したことないよ、多分……」
「んな訳ねーよ。三ヶ月だけと言うのも怪しいし、それならそれで上流階級のどこかのお屋敷が騒ぐはずなのに、そんな気配がないのも変だし。何かあるよ」
確かに冷静に考えるとキースの言う通りである。アンゼリカは、弟ができたようで毎日充実した生活を送っているうち、深い理由について考えなくなっていた。言われて初めて不安が湧き起こる。そんな彼女を見て、キースはやれやれというようにため息をついた。
「俺もそいつに会いに行っていい? 確か今日は試験休みで午後空いてるよな? 早速行ってみよう」
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