第8話

 俺は今、ビールジョッキ(中)を、両の手で抱えている。

 ジョッキ、もといガラス瓶だ。半透明の青い液体が、なみなみと入っているガラス瓶だよ。

 これこそ、俺用に調剤された魔法薬――――残さずに飲みましょう、ですって。

 そう言って、ベッドに座る俺を見下ろしているのは、ジェニファ、モルガンとエミリの3人だ。エミリはもう一人の助手だね、背の高い女性。この3人が、天使の笑みで、圧をかけてくる。

 俺は目の前の瓶に、視線を戻した。

 なあ、魔法薬さ、ちょっと多くね?

 普通、栄養ドリンクくらいのを、連想しない?

 ビールジョッキって何だよ、ビールジョッキって!


「ヒューゴさん?」

 ええ、飲みます。飲みますとも!

 俺も男だ、腹はとっくにくくってんだ。パンツ一丁で、かっこつかねえけどさ。

 実は全裸がいいと言われた。が、拒否!だって、俺、一応17歳だぞ。じょ、女性の前で、全裸なんて無理だってば!

 意を決し、瓶を持ち上げた。このくらい、飲み干してやるさ、こん畜生。

「ぷはあっ」


 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇


 イライジャの手元から、ぽろりと、部品が転げ落ちた。

「…ワシとしたことが。」

「集中できませぬか。」

 心配そうに尋ねたスピカに、イライジャはコクリと頷いた。

 ついで視線が、リビングに面した扉の一つに注がれる。

「大丈夫ですよ。ジェニファにお任せなさいませ。二人の助手も、いい薬師です。」

「うむ。わかっておるのじゃが。」

「アタシが鍛えたのです、他の誰よりも、信頼できますとも。」

「ああ、信頼しておる。でも心配なんじゃよ。」


 魔法薬完成の知らせのあと、急遽役宅の一室が整えられた。本来ならば、治療は本館がよかったのだが、諸事情で致し方ない。

 またここでの治療は、魔法薬を飲んで終わりではなく、予定した通り体を修復しているか、副作用がでていないかなど、薬師が最後まで見守る体制を取っている。この方法で、魔法薬が持つ最大の効果を生み出してきたのが、この薬師の館だ。


 そして、ヒューゴたち4名が部屋に入ってから、既に1時間以上が過ぎていた。

 スピカはすべてを後進に任せている。緊急時にはもちろん手を貸すつもりでいた。


 さらに小半時後、急に扉が開いた。助手の一人のエミリが、ふらつきながら出てくる。

「う」顔を押えた手の隙間から、赤いものが流れた。スピカがぎょっとして、エミリに近寄ろうとしたところ、

「大丈夫、鼻血だ。」後ろからモルガンが現れ、エミリを支えた。

「エミリは少し休め。スピカ様、すみませんが代わりに入ってもらえますか。エミリを落ち着かせたら、オレもすぐ戻りますので。」

「わかりました。参りましょう。」

 スピカは、椅子を押されて部屋の中へ入っていった。

 それを不安そうに見送ると、イライジャはモルガンに、

「ヒューゴに何かあったのか?」

「大丈夫です。ただ、想定外のことがありまして。スピカ様をお呼びました。」

 モルガンはエミリをソファアに横にさせ、タオルをあてがった。エミリは、だいじょうぶだというように、軽く手を振る。

「では行きます。」そう言い残して、モルガンは部屋に戻った。

 イライジャは、そろそろとソファアのエミリに近寄り、

「水でものむかの?」

「いいえ。鼻血だけなので。」

「ところで、なにがあったのじゃ。」

 エミリは少しの沈黙のあと、

「――――エルフって、エルフって、知っていたけど。」

「うむ?」

「エルフが、あんなに綺麗だって思わなかったのよっ」

 一声叫ぶと、彼女はぶつぶつと話し出す。

「予想外すぎて反則級よ。顔立ちは文句付けるとこないくらい綺麗だし、大人になりかけで、危うい印象まで加わっているし。肌なんて、白くて、きめ細かくて、毛穴もない!

 彼、頭髪やまつ毛の一部が無かったのに。そりゃ元通りになるわよね、そういう薬だもの。まつ毛なんて、風を起こせそうなくらいバサバサ。髪もそうよ、禿治療に来た患者だって、あんなに復活したことないわ。ライトブラウンで、お日様が当たってみたいにキラキラしてるんだもの。それにあの髪質、エルフ特有なのかしら。サラサラってベッドに零れ落ちるの。すこし顔を傾けただけなのに!」

「それで、やけどの痕はどうじゃ?肌は?」

「肌、全身、下着…」

 再び、エミリから鼻血が、たらーり。

「―――ちょっと寝るのじゃ。」

 イライジャは小さく呪文を唱え、杖で額をちょんとつく。エミリの目がとろんとなって、ソファにくたりと身を預けた。

「混乱しとるのお、どうしたものか。」


 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇


 ざわざわ…

 ずっと、声が聞こえていた。呪文かな、誰か話してんのかな、はっきり聞き取れない。

 ふわふわした頭に、ジェニファやスピカから聞いた話が、浮かんでくる。


 薬師の館は、長い時間をかけて、信用と実績を積み上げてきたんだって。

 現在、ここで作られる魔法薬や治療を求めて、貴族を始め平民も集まってくるそうだ。

 特に春から秋にかけて、街の人口はピークとなり、賑わうらしい。

 逆に冬の間は、今のような静かな街に戻るそうだ。

 じゃあ今度は、夏のにぎやかな頃に、来てみたいな―――。


 ――名前を、呼ばれたような気がした。

 重い瞼をなんとか開けると。ジェニファの顔がみえた。

「ヒューゴさん、聞こえますか。」

 うん、と言おうとして、口が動かない。体も動かない、体がそこにあってないような。まだ夢を見ているような。

「よく頑張られましたね。

 火傷の痕は消えました。成功ですよ。今、体が動かないのは、全身を新しく作り替えたようなものだからですよ。感覚が戻るまで、もう少し時間がかかります。じき、動けるようになるので、心配はいりません。」

 そう言って彼女は俺の左手を取った。少しだけ持ち上げてくれる。

 白い手が見えた。あちこちに火傷痕があったはずだ。他の小さな傷跡も含めて、きれいに消えている。

「着替えをもってこさせましょう。動けるようになったら、リビングへいらっしゃい。

 イライジャ様が、お待ちですよ。」

 彼女は俺の手を元の位置に置くと、部屋を出た。ああ、なんか左手に、感覚が戻ってきたよ。触られたからかな。左腕から全身に、徐々に感覚が戻ってくる。

 そのうち、力も入るようになって、ベッドに体を起こした。改めて全身を眺めてるんだけど。なんか不思議。

 俺、感動、しているかも。

 火傷痕はほんと、きれいさっぱり消えている。それと、体がスムーズに動くんだよ。今まであちこち、突っ張っていたつーか、余計な力が入ってたっつーか?変な感じ。ほんとに俺の体かな?

「なんか、作りもんみたい。」

「起きたかー」あ、モルガンだ。

「起きた」「入るぞ、て、うおおい」

 モルガンは俺の頭に、服を放り投げると、

「最初から見ていたはずなんだけどなあ。動き出すと、また破壊力があるな…。

 とにかく、さっさと服を着ろ。俺はあっちを向いているから。」

「?わかった。」

 貰った服にそでを通していると、モルガンぶつぶつ言っているのが聞こえる。

「アレは男、子供で男、いいか、男だ、違えるなよ、モルガン。」

「何言ってんだ?」「っ、脅かすな。」

 

 リビングに戻ると、テーブル上の、作りかけ魔道具が目に入った。いつも通りで、安心してしまうね。

 イライジャがひゅっと飛んできて、抱きついてきた。ちょっと大げさと思っていたら、続いて頭をなでなで。最近これ多くねえか?

「ヒューゴよ、いい男になったのう。」

「ほんとか?」

「ほんとうじゃ、よう頑張った。」

「うん、俺、寝ていただけなんだけどね。」

 苦笑いになっちゃった。なんかこう、恥ずかしいね。

 近くにいた、ジェニファとスピカに頭を下げる。

「ありがとう、ございます。俺、もう、あきらめてたから。」

「いいえ、ヒューゴさんには謝らねばなりません」

「?火傷の痕は、きれいになっているよ?」

 固い表情のジェニファから、手鏡を渡された。

 鏡に映る顔には傷ひとつ無くて、端正、かな?やはり見慣れない、他人みたいだ。

 あ、髪から覗く耳はそのままだ、半分切り取られた状態―――。


 古傷までも、それ以前の状態に戻し、欠損さえも再生するという、奇跡の魔法薬。

 なぜか、俺の切れた耳の再生には、至らなかったようだ。


 治療を含め、俺は半日ほど部屋にいたらしい。

 ジェニファとスピカたちは、処置後にすぐ調べたそうだ。

 魔法薬の材料、調剤方法、込められた術式、などなど……何度、確認しても、どうしても原因がわからない。

「魔法薬に込めた術式は、あなたの耳が健常な状態だと、判断したようです。」

 健常?何も問題がないって?聴力はあるけど。

「これは事前に調べています。生まれつきではなく、明らかに切り取られています。

 再生しない理由が、考えられないのですよ。あるとすれば、エルフ族の風習か何かでしょうか。」

「こればっかりは、物知りのエルフ族に聞くしかないだろうね。」

「スピカ様、心あたりがおありですか?」「いいえ、一人も。」

 顔突き合わせて悩む薬師たち、あれ一人足りない。

「エミリは?」


 モルガンは頭を掻きながら、

「エミリは、施術中に体調を崩してな、早退させた―――ジェニファ師匠は、落ち着いていますね。」

 ジェニファはすました顔で、

「私は、患者さま、と割り切りますので。」

「アタシは小人族だから、シワシワが好みなの。」

 絶望的な顔でモルガン「―――イライジャ様も?」

「ヒューゴはヒューゴじゃもん。」

 そこで最近安定の頭を撫で撫で。くすぐってえってば。

「小さいガキじゃないって。て、それ、俺の話?何?」

「そっか。エルフたって、中身はヒューゴで、言動はガキンチョ。

 よし、俺も落ち着きそうだ。」

「おい」「ほら、そのへんがガキンチョ」


 俺の耳の件は、引き続き調べてくれるという。

 何というか、薬師のメンツにかけて、ですと。

 

 エミリには翌日会えた。

「昨日は御免なさい」って、目をそらしながら謝られたよ。

「その、琥珀色の目が…すぎて、恥ずかしいので…」

 いやー、パンツ見られた俺の方が、恥ずかしいですから!


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 細胞復活による発毛用魔法薬は、大変お高くなっております。

 エミリさんのタイプは「年下の男の子♪」余計に刺さった模様。

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