閑話


 大粒の雨が街道を濡らす。


 男は改めて周りを見回し、大きなため息をついた。ここは木賃宿、彼と同じく足止めを食らった連中が、同じ部屋に20人ばかり放り込まれている。大部屋といっても、明らかに定員オーバーだ。横になって休めるかどうかもわからない。おまけに自分も客たちも部屋も、生乾き状態ときた。臭い蒸し風呂そのもので、気分も悪くなるってもんだ。

 だというのに、もう一組追加とは。宿屋の店主め、何を考えてやがる。

 入口に現れたのは、ずいぶんと小柄な爺さんと少年だった。少年は、13か14くらいだろうか。顔にある火傷の痕が目立つ。ずぶぬれの外套から、ぽとぽとと水が落ちた。

「水気くらい、落としてきてくれ。」

 つい、本音が洩れた。男が一番近にいるのだから、文句のひとつくらい、いいじゃないか。爺さんは言い返すでもなく、少年向かって、

「練習じゃ。やってみるのじゃ。」

 少年はさも面倒そうに、なにごとかつぶやきはじめた。

 と、どうだ。彼の周囲に、小さな水滴が現れたではないか。いったいどこから?肝心の少年は、複数の水滴を睨んだままだ。水滴たちは徐々に大きくなり、近くのバケツのほうへ――バシャッ――水が飛び散って、男の外套にかかった。カッと、血が頭に上った。

「何をする!」

「あ、わるい。」

「こんな場所で水遊び…か?」あれ、少年の服が濡れていない、むしろ乾いている…これは、魔法か?

「下手じゃのう、こうやるんじゃぞ。」

 戸惑う男を無視して、爺さんが軽く杖を振った。シュンと音が聞こえ、爺さんのローブがふわりと揺れた。おっと、あっという間に爺さんの服も髪の毛も乾いている。髭もふわふわだ。それを半眼でみていた少年だったが、男の方を向き直り、

「さっきはごめん。お詫びに、魔法で服を乾かしたいが、かまわないか?これ練習中だから、あまり上手くはないんだけど。」

「ぜひ!」

 思わず前のめりになり、少年が引いた。


 男の前に少年が座る。続いて、彼は何事か唱え始めた。約1~2分続いた呪文の後、男の全身がふわっと暖かくなった。同時に、男の周囲を幾多の水滴が浮かんだ。おお、さっきまであった、じめっとした感覚が消えている。思わず、服に、顔に、髪にペタペタと触れば、確かに乾いているじゃないか。多少ごわっとしているものの、もう不快さがない。

 無数の水滴は、今度は零れることなく、ゴミ箱代わりのバケツへ直行した。少年の息を吐く音が聞こえる。

 ドタドタドタ………!

 静観していた同室の連中が、詰め寄ってきた。皆必死の顔である。

「わしもやってくれ、礼ならする!」「私もお願い。」「たのむよ、もう気分が悪くて…」

 少年はちょっと考えてから、頷いた。

「礼はいらない。これから迷惑をかけると思うから、それと相殺で。」

「ええ?」「そういって、あとから高額請求とか…」

「ほっほっほ。こやつは修行中なのじゃ。練習に付き合ってくれると助かるのじゃ。」

 爺さんがそういうので、それならばと、みな彼の前に並んだ。バケツの水は、当人が捨てに行く、という約束で。


 そもそも、魔法使いの数は少ない。

 コップ一杯の水、種火の一つであっても、対価を取るものなのだ。

 結局皆、手もちの菓子や、果物などを少年に押し付けた。が、彼が「迷惑をかける」と言った理由は、すぐに知れた。この爺さんが、とてつもなく騒がしかったのである。

 少年が魔法を行使している間中、あっちの話に加わり、こっちの話に参加して、まあしゃべることしゃべること。木賃宿とはいえ酷い雨音がなかったら、隣室から苦情が出ていたに違いない。

「ほうほう、昨日から足止めとな。」

「そうなんだよ、でも馬車が動かないんじゃね。」

「だいたい変だ。いくら雨で足止めったってさ。この街、宿が少なかったっけ?」

「こんな宿でも泊れただけましさ。」

「ちらっと聞いたけど、誰だか知らねえが、宿を何軒も押さえたんだってさ。」

「ほうほう?」

「私は追い出された口よ。返金もなし、馬鹿にしているわ。」

「俺もだ、平民は出ていけって言われた。」

「ほおおお?貴族かのう、ならば追い出されたほうが、よかったかもしれんのう。」

「あら、そうかしら。」

「確かにねえ、難癖付けられるよりはましか。」

「でも腹は立つよなあ。」

「領境での検問も、いつもより厳しいって言うし。犯罪者でも逃げているんだろうか。」

「うええ、盗賊とかだったら嫌だなあ。」

「ほおお、そりゃあまた、怖い話じゃのう。」

「またまたあ、あれだけ魔法を使いこなしておいて、それはないぜ。」

「ああ。爺さんと彼の二人で、討伐しそうだものな。」

「まったくだ。もっとも盗賊どもは、金持ちしか狙わねえ、安心しなよ。」

「ふぉふぉふぉふぉふぉ。」

 喋り倒していた爺さんだったが、仕事を終えた少年から大目玉を食らって静かになった。

 


 雨は夜半に小降りとなり、明け方にはやんだ。


 皆がごそごそと起きだしている中、爺さんと少年は出立準備を終えていた。

 そんな二人に、男は声を掛ける。

「もう出るのかい?」

「うん、道が混む前に、動こうと思って。」

 律儀に返答する少年に、女が口を開く。

「そうね、雨も上がったし、皆一斉に動き出すからね。」

「ほんと、賊には気をつけなよ、居ないとは限らないからさ。」

「ありがとう、気を付ける。」

 少年は歯を見せて、ニカッと笑った。やけど痕なんて気にならないくらい、いい笑顔だった。またなという挨拶に、爺さんが、

「今度は正規料金を頂くぞい」皆は大いに笑った。



 今さらだよなと、男はぼやく。彼らのように、早く出ればよかった。いや、乗合馬車だからそれは無理か。

 街の出口では、警備が馬車一台一台をチェックしている。おかげで大渋滞中だ。徒歩組も一度は呼び止められているし、何事だろう。ようやくやってきた警備が、さもめんどくさそうに聞いてくる。

「老人と冒険者の連れを探している。見なかったか。」

「老人は技師だそうだ。」

 男の頭の中に、ドワーフとムキムキ冒険者の護衛が浮かんだ。技師と言えば、ドワーフ族だ。昨夜は、爺さんと孫が同室だったが、彼らは違うな、と思った。同じく、同室だった女も、彼らは魔法使いの師弟だと思い込んでいた。なので、やはり違うと思った。他も似たり寄ったりで、別人だと確信した。

「いやーしらんねー」「そんな人、見ていないわ」「オレも」「そうか、行っていいぞ。」

 警備の後ろを、領の騎士が監視のように控えている。

 何があったか知らないが、ご苦労なことだ。

 

 雨と門番から解放された旅人たちは、それぞれの目的地に向かって散っていった。

 

 

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