第6話【魔女の星占い】

【遺書代筆・7】 

 網島修理を探していると、一人の女と知り合った。

 占い師で、同時にラジオのパーソナリティを務める女だった。

 名を雨傘制と言う。らしい。

 私は訊いた。

「本名は?」

「言うわけないでしょ……」

 齢は私とあまり変わらないように見えたけれども、彼女は四年制の大学を修了しているわけだから、私よりも少なくとも二つは年上のはずだ。

 紅茶色のボブに、桜の映る宝石のように瞳と頬は恐れを知らず。背筋は掻き鳴らしたくたくなるくらいにピンと張り、きっと何を着ても似合うであろう整った華やかさが漂っていた。なるほど、人気があることも頷ける。

 けれども強いて私の目に映った彼女の濁りを心中指摘するのならば、彼女に張り付いた笑顔は透明な属性に欠けていて、何者も反射しない。

 例えば目の前にこんな不機嫌な鉄面皮の堅物が佇もうと、彼女の仮面は歪むことを知らず整ったままだ。

 何と言うこともない。合成された笑顔、含有された策謀。

 頭の表面で、嗚呼信頼してはならない人間だと理解する。

「網島修理について知ってることを教えて欲しいの」

「いきなり押しかけてきてまず言うことがそれですかぁ」

「他に話すこと、ある?」

「無いですね」

 曇り空を指すラジオ塔。傾いた鉄塔は歪に空を目指す。

 その一階の清潔なラウンジで向かい合う。心地だけは睨み合うように、背もたれには頼らない。

 培ってきた経験則の通じない相手というものは、何時だって口を開けて待っている。気を抜けば人は人を喰う。比喩なんかでは収まらないほど現実的に。

「天伊さんでしたっけ、知ってますよ。遺書代筆屋でしょう。取材したかったんですよね」

「面白いことなんて何も無いわよ」

「それを決めるのは天伊さんじゃないからなぁ」

 オレンジジュースに差したストローに口を付けて、雨傘制は目を細める。望遠鏡の倍率を絞るように、彼女の視界は私に目を付けた。少し楽しそうに見えて、けれども私はそれが不快で、同時に怖い。何が面白くて何が不快かなんて当人にしかわからない。だから理解したフリなんて、何者の救いにも為り得ないのだ。そう例えば

 私にとって網島修理は不快の塊だけれども、この雨傘制にとっては異なるように。

『わたしは彼のファンですから』

 炎上したらしい。二ヶ月の謹慎を空けて、彼女は今日も猫を被る。

 詐欺師のファン。公共の電波で言うことではない。

 そんなことを平然と宣うものだから、こうして対面するまでは、大層頭と口が緩く、脳の養分を花に吸われているのだろうと思っていた。

 しかし

 円い型に無理矢理毒の霧を押し込んだようなこの臭気は

「人に夢を見させて、終わらせるなんて……すごく、良い」

 占いの結果なんて気にしなくっていいんだから。

 うっとりと雨傘制は目を細めた。






【詐欺師・7】

 瑠璃の瞳は宙だった。無数の星が、幾度となく層を重ねて景を創造していた。

 それが何を見ているのか、そして彼女に何が見えているのか、俺にはわからない。ただ自分とは異なるものを見ていること、そしてその上で構築された思想は同意しがたいものであるという実感だけが、肌をなぞって落ちていく。

 固く膨れ上がった唾が喉の奥から込み上げる。俺は訊いた。「宇宙人?」

「さあそうなのかも。違うのかもしれない。自分のこと、全部忘れちゃったんです。誰にやられたんですかね」

 瑠璃は指鉄砲を作ってこめかみに当てた。

 ばん、と。呟いて、人差し指の銃口が白い肌を滑って上を向く。

 撃鉄は細く柔らかい。火薬の臭いはまるでしない。その痕跡は何処にもありはしない。だから、それは威力を持たない仮初の玩具だ。同じことが、瑠璃と俺が立っている箱庭に関しても言うことができた。

 しかしそう理解していて、少女のこめかみに突きつけられていた銃口から目を離せないのは、なに故か。

 たかが指先の揺らぎに命が掛かっているのだと、俺はまるで信仰していた。

「星が見えるんです」

 瑠璃は改めて瞼を閉ざす。その輪郭は光って見えた。

「星が見えて、星占いみたいに先も見える。星影はずっと昔の光だから、星に訊けば過去のことはなんでもわかるし、彼らは何でも見てるから、訊けばなんでも教えてくれる。貴方のことも」

 瞼の内に閉じ込められた、無数の星が俺を見た。踊って狂って堕ちるみたいに、光は鋭く体を貫き、圧し潰した。

 どうでもよかった闇を全て晴らすように。

 そうして覚醒するように、いつの間にか瞑っていた目を開けると、妙に頭がクリアに透き通る。脳の隙間にあった澱みを全て──まるで抜き取られたかのように、目玉は透明に溺れた。

 瑠璃の瞼が歪む。

「同情しますよ」

 それが感情の芯から滲んだ言葉であると、理解した自分が腹立たしい。

 もっと怒れ。憤れ。自分が隠し通したい過去を暴かれたというのだから──怒り狂って頭を振り乱せ。そうでなければ本気でない。

「──結構だ」

 しかし震えを噛み殺し、声はどうにも垂直でありたかったかのように虚勢を張る。

 蔑ろにされた怒りなどというものは、自分に正当性がある場合にのみ発露する。

 自分が間違っていると受け入れてしまって、過去の回想を諦めとしか思うことの出来ない愚者には、最早感情の昂りも生まれない。

 謝意が宙から降り注ぐ。

 氷雨が身体に打ち付ける。

 膝に力は入らない。垂れるように魂が根元から腐ってゆく。

 しかしその場に倒れれば、この小さな町を破壊することになる。

 それは、ただの感情論に収まらない超越的な理屈で、駄目だと分かっていた。だから根性で立ち上がる。気力というものは人間の最終防衛ラインだった。だから俺は諦める訳にはいかない。諦めて、嘘にしたら何も残りはしないのだから。

「みんな貴方を好きなんですよ」

 再び瑠璃の瞳が輝いたような気がした。しかし顔は見えない──見たくない。

 潔癖症で。人と触れ合ったら別れがあるから触れたくなくて。けれども心は雪原の中心に凍えていて。吐いた息は白く昇って日差しが溶かす。

 そんな些細な絶望を、しかし自分の咎だと飲み下したのは遥か彼方の記憶であるはずなのに、それでも俺は手を伸ばす。伸ばされた手は拒めない。

 心中の雪原に鏡が落ちていた。伸びたかぎ爪で割らぬようにと、飴細工のように優しく持ち上げて、扇ぐように自分を映す。

 不死身の貴女を探す、死に体の獣。


 ごめんなさいと喉が啼く。

 瑠璃は

 こんな矮小な頭を抱きしめた。





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