第6話 何者の家族

【遺書代筆・6】 

 網島修理にコトの真相を訊くというならば、まずは奴の居場所を突き止めなければいけない。

 手当たり次第、奴の知り合いの家を訪ねてみたが、網島修理の名前を出すと皆とてつもなく不機嫌になって、そのまま追いだされてしまう。

『あげないわよ』と叫ばれたので、取らないわよ、と小声で返す。

 自然首の骨がやる気を失くす。あんなものを好きになる人間がいることは不思議だった。

 しかしアレは様々な人間に好かれていた。

 彼の姉もそうだし、瑠璃嬢も結局網島修理を好きになってしまった。瑠璃嬢の弟で岸波家の長男である新葉くんも、奴に懐いていたと言う。

【でも、あの人はいい人でした】

 言った新葉くんの目は澄んでいた。

 意外だった。

 わたしが意外だと思ったのは、新葉君が網島修理を「いい人」だと言ったことではない。網島修理は嘘を吐いて人に好かれようとする詐欺師なのだから、きっと新葉君にも適当な嘘を吐いたのだろう。それもまた癪に障るが。

 岸波新葉。

 あの少年が、岸波夫妻という仮面を付けた幽霊たちの息子だとは思えないほどに、真っ直ぐだったからだ。星の無い夜空のように少し青い瞳は今も焼き付いて離れない。

 たしか九歳。九歳の子供。九歳? 嗚呼幼い。しかし九年、生まれて、何も知らず何も纏わぬ姿の時からずっと、共にあんな者たちと暮らして、何故あんなにも綺麗でいられたのか?

 岸波真司は、岸波まどかは、本当に新葉くんの親なのだろうか。

 ──ああ、調べることが増えた。全くもって面倒くさい。こんな煩わしい仕事は、さっさと亡くなってしまえ。

 

 網島修理には人を惹きつける何かがある。

 考えてみれば私だって、今奴を追い求めていると言っても間違いではない。

 うん、鳥肌は立つが。

 この感覚を言語化することは大変難しく思われた。しかし、頭の中で奴の薄っぺらい笑顔とその言葉をぼうっと反芻していると、その背景にうっすらと光景が見えた。

 古びた灯台。掠れた海図。消えかけの篝火。

 どれだけ信用できるかはわからない。その先に真に何が待ち受けているかは果たしてわからない。天への扉かもしれないし、魔物の口なのかもしれない。けれども──縋らずにはいられなかった。

 奴はそんな人間なのだ。






【詐欺師・6】

 瑠璃の部屋は異常だった。

 机も無ければベッドも無い。照明も同じく見当たらす、家屋の下と思えない薄闇の最中目を凝らす。

 一般的な家具はと言えば、一脚の豪勢な椅子が部屋の隅で大人しくしているばかりだった。盲目には余計な家具を増やしても邪魔なのかもしれないけれども、それにしても生活感というものが欠片ほども落ちていない。倉庫か、それとも牢獄のように空気が死んでいた。

 そして、女の部屋にはもう数えきれないほど入ったけれども、そのどれとも違う異質な物がそこにはあった。

 タテヨコ五メートルはあろうかという巨大な箱庭。

 ミニチュアの町。

 指先ほどの樹木は葉の一枚一枚から作り込まれ、電柱はマチ針のように等間隔に並ぶ。そして夥しい数の人家は、全て形と色が異なっていた。坂道の上の本物のお化け屋敷、下った所の商店街。異常に膨れた既視感が、食道を逆流するようにボルテージを上げてゆく。

 そして一際目を惹いたのは、町の隅に建つ、他の人家の十倍はある洋風の豪邸。尖った屋根と洒落た庭園。日当たりは良好で、しかしなに故か薄暗い。お化け屋敷と揶揄されようが、そこに幽霊はいない。

 此処に幽霊はいない。

 口元を抑える。

 抑えつける。

「この町か……?」

 感触は吐き気だった。見てはならない埋葬された禁忌が、目の前で剥き出しに横たわっているかのような、絶対に触れてはならない確信が、鋭利な爪となって瞼に触れる。

「よくわかりましたね。意外とわからないものですよ。自分の住んでいる町の全景なんて」

 瑠璃はなんでもないことのように笑って、指先でくるくると遊ぶ。町を遥か上空から眺めて、弄んでいるかのような、怖気と困惑の混ざる感覚が毒のように回ってゆく。

 あんなにも細く、小さく見えた瑠璃が、今では影色の女神のように。

 彼女は眩しいくらいに白い素足を持ち上げる。

 ──そしてソッと、箱庭を踏む。一歩一歩、街を破壊しないように。家屋も木々も、一つだって例外は無い。目では捉えきれない塵ほどのナニモノかまでもを踏まぬように。

 仮想の箱庭と現実が同じ層に在ることを知るように、彼女はゆっくりと、道を踏む。

 付き従う白い影と共に、箱庭の中央に立つ。

 そして首だけをこちらへ向けて、鈴の喉を鳴らした。

「これがわたしの歩ける理由。全部、覚えてるんです。町も、家も」

 瑠璃は小声で、流石に足元のゴミは見えませんけど、と付け加えた。そして──

 こっちへ来い、と。

 手招きされて、心臓は割れるほど速く鳴る。

【今直ぐに踵を返せば】

 そんな悲鳴に近しい言葉が脈に乗って加速して、全身が後方への引力に支配されてゆく。

 しかし退くことは許されなかった。

 足は勝手に前方を選ぶ。

 最早後戻りできないところまで来てしまったのだと、臓器の軋む音で理解していた。

(いい子)と笑った瑠璃は光の塊みたいに眩しくて、これではまるで誘蛾灯。抗えぬ魅力に近しい──青い魔力のような風が、瑠璃に向かって吹いていた。

 何も踏み潰さぬように、自分が今踏みつけている物に酷く自覚的になりながら、狭く、しかし大きな町を歩く。

 近づいた瞬間、彼女は詐欺師の腕を掴む。

 貧弱な握力、しかし堅い意志の力で離れない。近づいてはいけない、見てはいけない、そんな六感の叫びを、しかし瑠璃は掻き消すように、不気味に笑う。

「ほら、見て」

 彼女は閉じられていた瞼を、彗と、二本の指でこじ開けた。


 綺麗だった。

 異常だった。

 瞼の内側に瞳は無い。

 代わりに、代わりになるのかはわからないけれども、そこに広がっていたのは星空だった。

 暗黒の海に落ちる、砂粒程の青白い光が、幾星霜と距離を重ねてそこにいた。





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