第4話 詐欺師・網島修理

【遺書代筆・4】

 網島修理のアパートに鍵はかかっていなかった。

 ので、ドアを引っ張って開ける。

 酷く歪んでいたものだから、悲鳴のようにぎいぎい泣いた。

「うーわ……」

 思わず声が漏れる。

 ありとあらゆるものが破壊され尽くしていた。高級そうな鞄。高級そうな服。高級そうな家具、エトセトラエトセトラ。視界に入る殆どのものが原型を留めていない。破かれて千切られて砕かれて、この威力を人に向けて放っていたらと思うと、ゾッとする。

 丁度人間の頭くらいの高さで壁にこびりついた乾いた赤黒い血の跡は、一体何をしでかした痕跡だと言うのだろう。

 無意識の内に止めていた息の封を解く。試しに一息吸ってみれば、香水の匂いで甘ったるい。

 破片でけがをしないように土足で上がる。まあ、いいでしょう。

 鍵が掛かっていないのも納得の惨状だ。こんな部屋から何を盗めばよいのだ。

 網島修理の寝床は定まっておらず、滅多にこの部屋には帰ってこない。

 しかし隣人によれば、トキタマふらっと帰ってきて、破壊的騒音公害、絶叫と罵声をまき散らし、またどこかへ消えると言う。

 怖いよ、あの人。堅気じゃない。

 隣人は言う。

 人は見た目に依らないねえ。


 破壊され尽くした部屋の中で、唯一形を保っていたのは一冊の本だった。角のささくれた本棚の、一番下、一番隅。目立たないように、隠すように。しかし絶対に忘れることのないように。

 そんな臆病な意が透けて見える。

 重い『それ』を手に取り、固い台紙を開ける。「ぱきり」というビニルの剥がれる音を合図に、寂しい部屋に鮮やかな景色が広がった。

 どうやら、アルバムらしい。

 同時に眉間が歪む。口も不格好に凹む。

 夥しいほどの女の写真。どいつもこいつも大笑い。何処までも幸せそうだ。この後死ぬことも知らず、大口開けて、天の光に祝福されるように。

 恋する女の子は可愛かった。しかし何人も連続で見ると流石に気が滅入る。

 一番枚数が多かったのは、姉単体の写真だった。

 なんとなくわかっていたけれど網島修理はシスコンだった。一層私の中での印象が悪くなる。

 けれども、確かに彼は姉のことを好いているのだ。

 ならば何故。

 あんなにも冷たい眼を、隠そうともしなかったのだろう。





【詐欺師・4】

 詐欺師というものは、カモる相手を見つけてから信用を得て、隙を見て騙す。そういう生き物のはずだ。

 しかしこの世界は大変クソで終わってるので、俺に仕事を依頼する人間もいる。

 岸波真司は言った。【娘に夢を見せてやって欲しい】、と。

 バカを言うな。ふざけることも大概にしろ。娘の気持ちを考えろ。

 そう、叫ぼうとした俺に向かって岸波真司は言った。

「死の間際にある人間には、世界が温かいまま終わって欲しい」

 まるで他人事のように。

 終わって欲しいって、なんだ。家族ならば、死んで欲しくないと願うのが当たり前のことじゃないのか。

「なんで僕なんですかぁ?」

 しかし怒りは見せてはいけない。理想の男はどんな時であっても姿勢を崩さず、夢幻よりも格好よく在り続けなければいけない。姉さん、そうでしょう。

 しかし

 何事にも限度はある。

「君のお姉さんは立派な人だった」

「は?」

 聞き捨てならない言葉だった。何故? 何故あんたがそれを知っている?

 俺は問うた。あんた誰?

「彼女の上司だった者だよ」

 君のことを自慢の弟だと言っていた。

 岸波真司はそう続けた。


 やる理由ができた。

 腹の中で熱が膨れてゆく。

 頭の真ン中がチカチカ光って、目の裏が燃える。

 しかし笑顔は絶やさなかった。

 詐欺師のきほん、きほんの「き」。

 君のために、今要る修理。





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