第3話 彼女の仕事

【遺書代筆・3】

 網島修理の姉は警官だった。とても優秀だったと聞く。

 正義感に溢れ、しかし厳格過ぎるかと言えばそんなこともなく、いつも穏やかな笑顔を湛えていた。ご近所でも評判の、自慢の姉。

 彼氏が欲しい、甘やかしてほしい、と生前ずっと言っていた。

 過労だった。

 そんな危険なほどに純粋な人の弟が軟派な詐欺師だというのだから、やはり世界は配役を間違えている。

 網島修理は姉を慕い、彼女に理想の彼氏像を叩き込まれていた。女の子を甘やかし、弱いところを見せなくて、でもほんの少しだけ打たれ弱い雰囲気も出して見せる。

 なるほど。まあ月並みだ。しかし普通に良いということは、世間一般の普通には刺さるということでもある。だから流行などというものがあるのだ。

 私に姉の遺書代筆を依頼した網島修理は言った。

「僕には人を騙す才能がある」

 そして続けて寂しそうに言った。

「けれども僕を好きになった人は、みんな僕の前からいなくなる」

 んだコイツきっしょいなあと思ったことは鮮明に思い出せる。思い出せなくて良い。

 依頼を蹴ってやろうかとも考えたけれども、しかし網島修理はクソ野郎でも網島姉は良き人間だった。彼女に救われた人は数えきれない。

 人を騙して得た金など触れたくもなかったのであの仕事はタダでやった。時間の無駄とは言わないけれども損はした。

 そして連鎖するように思い出すのは一つの理由。

 私が網島修理を嫌う理由は、もう一つ。

 網島修理が遺書を読んだのは、順番にして最後だった。奴は欠伸しながら姿勢悪く待ち呆けて、遺書を片手で受け取った。目やにを擦りながら遺書を開く。

 先んじて遺書を読んだ両親、親戚、友人、職場の仲間。皆皆が涙と嗚咽でぐしゃぐしゃに死屍累々と重なる様を横目で流して、網島修理は遺書を読む。

 静かに、静かに。鏡面のように。嗚呼そうだ、あの時の。

 まるで凍った目玉を肉の内側で転がして、風で吹くように軽々と。

 あんなものを許して堪るものか。

 怒りが呼んだ頭痛は耳の裏で膨れてゆく。

 ──煩わしい。






【詐欺師・3】

 姉さんが死んで半年が経った。その頃には俺も一端の詐欺師としてそれなりなものになっていた。うーん誇ることではない。

 何かしてやれることはないか、なんて考えていたその時、一緒に暮らしていた女が言った。

「遺書代筆って知ってる?」


 天伊と名乗った女は美人だった。

 真黒と真白だけで描けてしまいそうなのに、しかし空間を掌握する鮮やかな立ち振る舞いと恰好に、変な仕事をしているだけあるなあ、などと妙な感心をしたものだ。

 果たして遺書代筆って何をするのだろうという疑問もあったが、女を騙して得た金がその頃には結構溜まっていたので、とりあえず依頼してみることにした。

 まあ。受け取ってもらえなかったが。

 彼女の仕事は精密で緻密だった。

 筆跡を完璧にコピーすることはサービスだと言った。【あんまり意味はないけれども、その方が少しだけマシな気がするじゃない】、と。

 彼女は常に何かに怒っていた。悪者をこの世から全員消せば世界が平和になると信じている。

 ある種平和な思考だった。けれどもその苛烈は仕事の際にも滲み出す。

 遺書代筆屋は姉さんの生前の友人、職場、同級生、あらゆる交友関係を探った。親族などは当たり前に根掘り葉掘り、知っているわけがねえだろということまでも、一切の妥協もなく訊きまくる。訊き過ぎる。

『貴方は何か隠している。ねえそうでしょう。話しなさい。全部。おい、こら逃げるな』

 探偵とイタコと手紙職人を混ぜたような破滅的な仕事だった。俺には絶対できない。

 その癖『こんな仕事は亡くなった方がいい』などと厄介にもほざくものだから、俺の中の軟派が発動し、思いつく限りの言葉全てで彼女の仕事を肯定した。

 しかし頬を緩ませるどころか軽蔑するような視線で、彼女は【やっぱりこんな仕事亡くなった方がいい】。

 そう口にするばかりだった。

 ──完成した遺書は、素晴らしいものだった。芸術品のような装飾も相まって、その様はまるで白亜の窓枠のように、そして中身は詩文の箱庭のように。

 親は泣いた。親戚一同顔面崩壊。姉さんの友人、職場の同僚、後輩も。みんな声を上げて泣きじゃくった。嗚咽の大合唱はズビズバときったなく下水直行便の洪水であった。氾濫したドブ川のせせらぎとは容赦なくこの可憐な耳を傷めた。

 しかしその中に、俺の求めていた答えはなかった。

 結局──遺書などというものは生者のための楔であって

 死者のためのものではないのだ。





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