第2話 盗品の宝物庫
【遺書代筆・2】
私は怒っている。詐欺師・網島修理に怒っている。
女の子を騙して金を稼ぐ悪党。
騙した女は、ほとんどみんな死んでいる。
別にこんな仕事をしているからといって、誰かが死ぬことを望んでいるわけではない。
遺書代筆などという、世界の誰から見てもうさんくさい商売が成り立つのは、大変不本意だった。死と絶望、そしてわずかばかりの希望を胸にした人間のその顔は、老若男女問わずこの心に錆びた刃物となって突き刺さる。
私の必要ない世界こそが最も美しい。
しかしまだ、彼らはその手を離さない。煉獄の底から手を伸ばす。枯れ枝のようで、しかし何かを吸っては伸びる。何かを犠牲に私に縋る。
『世界の拘束力は必要な者を生かし、不必要なものを殺す。
その流れの中で貴女が今も息をしている以上、神は貴女のことを嫌ってなんかいない』
黙れ網島修理。私はお前が嫌いだ。
ならば何故お前は生きている。何故お前が騙した女は死んでいる──
網島修理とは一度だけ会ったことがある。奴の姉の遺書を書いたときのことだ。
一目見た印象は『白蛇』だった。しかし幸福とは程遠い。
色素の薄い肌はさらさら滑って、誰の手も拒まない。お手本みたいに整えられた髪は真ッ白に、その癖澄んだ様子はとんと無い。どんな色にだって染まれるように白紙であった。あらゆる綺麗な色を渦にしたような瞳は水に浮く油のように透明で、同時に執着の未練がましさが滲んでいた。
網島修理は人の目を惹く容姿をした男だった。
しかしその言動は、相手の全てを無理矢理にでも肯定しようとする、ヒトの形をした化け物のような気味の悪さがあった。
奴は私の仕事がどれだけ素晴らしいか、どれだけ人を救うのかということを、会って数分でまるで隅々まで完璧に理解したと言わんばかりに滔々と、よりにもよって本人に嬉しそうに解説してきた。釈迦に説法という言葉を、まさか自分のために使うとは思わなかった。耳からガムシロップを流し込まれて喜ぶ人間はいない。少なくとも私の常識の範疇には。
奴は大きな勘違いをしている。
残念なことに、遺書代筆などという仕事はこの世から亡くなった方が良い。
人は、自分の力で永遠の別離を乗り越えていかねばならない。
見せかけの翼で何処を目指す?
太陽か、海洋か。どちらにしろ待ち受けるのは失墜に過ぎない。
血の通った真の翼で、貴方を待つ誰かがいるあの島を目指せ。砂粒ほどに見えたって大丈夫、歩みを止めなければいつか必ず辿り着く。
人は人に生かされているのだから、そうでなければ──意味がない。
早く。私をこの役から降ろせ。
世界よ。
【詐欺師・2】
自分に詐欺師の才能があると気づいたのは、高校生一年の秋だった。
姉さんが死に、親が荒れた。おっとこのままでは俺のもちもちお肌まで荒れてしまう。それは駄目だ。姉さんが褒めてくれたこの容姿だけは保たなければならない。
特に何か荷物を持つこともなく、着の身着のままでふらふらしていると女の人に拾われた。いわゆるヒモである。彼女は名をナツメと言う。結構年上だったのだが呼び捨てで呼べと強要されて、今でも俺の中でナツメはナツメとしか呼べない。
今思えば、まっこと危ない橋を渡ったものだ。
本当に、彼女が悪い人でなくてよかったなあと心の底から思う。
半面、俺が悪い奴で彼女は本当に不幸だなあと腹の底で思った。
昼にいちゃいちゃして、夜にもっといちゃいちゃして。仕事の愚痴に付き合って、抱き合って。そんな惰性と堕落が濃縮還元な極めてローコンテクストな日々が何回か続いてから、飽きたので金目の物を盗って逃げた。
衝動的な行為だった。脂汗で風邪をひく体験など後にも先にもアレだけだ。
臭う路地裏でアスファルトにへばりついて、警察に怯えながら息を殺していた。日本の警察組織はとても優秀だ。やつらはとてつもなく働く。とてつもなく働くから、姉さんは死んだのだ。
しかし俺が捕まることはなかった。
追いかけられることもなかったし、職務質問や指名手配だってされなかった。いや?
そもそも彼女は警察に連絡すらしていないようだった。
なに故だい、と軽い頭を弾いてみれば、天才的8ビットがぱちぱち算盤を鳴らし出す。あっちにぱちぱちこっちにぱちぱち、おまけに妄想も一つまみ、ぱち。
しかしそんな間抜けた表象とは異なって、頭に浮かんだ妄想は大変嫌な味をしていた。
【自殺した?】
全身の骨が氷にすり替わって、世界は容易くブッ壊れた。
頭は真っ白どころでは済まない。脳が完全に過電流にショートしてその場で少し吐いた。そしてそのままゲロを蹴り飛ばして人目も憚らず全力で彼女の家に向かう。肺を切り、血の味も噛み潰し、膝の震えを踏み殺す。汗はだくだく頭皮を濡らし、振り乱した頭は掻き混ざり、まあ世間様にお見せできる顔面ではなかったなあ、などと今になって思う。
そうして辿り着いたはかつての愛の巣。嗚呼、彼女は、ナツメは!
──普通に、ゴミ出しをしていた。
全身の力が抜けてしまって、しばらく立てなかった。
目元に隈はあったけれども元気そうにしていた。
嗚呼。俺は……酷いことをしたなと思った。
金は返すことにした。三度に分けてポストに投函する。
三度目、これで返済だ。もう二度と会うことはないだろうと、重い足を引きずって家の前まで来てみると、扉には付箋が貼ってあった。
薄い糊付けは微弱な意志を思わせた。
そこには引っ越すことになったという旨と、
「金はいいから顔を見せろこのヤロー」
掠れたインクで、そう書かれていた。
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