貴方の為の幽霊

固定標識

貴方の為の幽霊 第1話 冴えた黒白

 ばん、と

 指鉄砲の示した方角が鳴いた。

 終わりの音よ。

 始まりの音よ


 




【遺書代筆・1】

 遺書代筆屋のお姉さんは怒っていた。

 その様は殆ど憎悪と言っていい。眉間にできた渓谷はひどく凸凹としていた。

 影を裂いて、影より暗く。しかし固く崩れない。

 意固地な剣が人の形を取るならば、きっと彼女はそんな風に。

「何故」

 尖った筆跡のようなお姉さんは怒気を一切隠さない。真っ黒な靴が寂しい音を立てて歩く。

 泣けない代わりに叫ばせるような、鉄の音響が肌の上で震える。

「何故──愛娘が亡くなったというのに……貴方たちがまるで満足だと言わんばかりの表情をしているのか、わたしには分かりかねます」

 しかし問われた男女──おれの両親は、あんまりな程にこやかに。

 今ばかりはこんな当たり前の背の違いでさえ、彼らが隔絶した存在である証拠のように思えて仕方がない。影は伸びる。遠く、細く。

 父も母も、青い霧で作った仮面を被っているように見えた。のっぺらぼうに傷を彫り込んだようにも見えた。しかしその両方がそれを比喩するには物足りない。

 つまりは確かなものは何もなくって

 けれどもそんな霧中でただ一つ明確に理解できたのは、先も後も前面も後面も関係がなく、それらが不相応に笑んでいることだけだった。

 あの子は幸せだった、と父さんが言った。

 ええ、と母さんは頷く。

 音響は無い。

 当たり前みたいな風は、正しい物にすら厳しく吹き付ける。疑う前に真だから。

 遺書代筆屋のお姉さんは立ち上がった墨のように静かに、でも確かに震えていた。感情を隠さない人間は怖い。けれども感情を隠し通そうとする奴も怖い。

 だから──あんな詐欺師と

 こんなお姉さんは正反対の黒白に冴えていて、どっちもどっちで怖いのだ。

 そして正反対故に似ているから、おれはこの人を嫌えない。

「貴方はどう思った?」

 お姉さんはこっちを見た。ふいの視線に刺されて、詰まったものが喉で膨れていく。

 情け容赦のない黒い光が背後の雪道に降り注いだ。矢か弾か、なんて身構えるほどに勇ましい火から目を背けると

 雪の上。浮き上がるように

 あんな詐欺師の真白い影が傍にいた。

「貴方は、あの詐欺師を見て何を感じた?」

 問の答えは、果たしてわからなかった。夥しい細い虫が蔓を巻いて目玉になる。そうして得られた微かな視力は、しかし何処へもゆかず、ただ目の前の正し過ぎた黒に吸い込まれるばかりだった。

 悟ったのは、こんなことは永遠に悩んだって答えは出ないということ。

 けれども、このお姉さんが望む言葉を吐いてやるのは癪だということ。

 だからおれは、頭に浮かんだまま、どうやったって沈まない言葉を吐いた。

「でも、あの人はいい人でした」

 お姉さんは一層機嫌が悪くなったことを、やはり一切隠そうとしない。

「網島修理」

 遺書代筆屋のお姉さんは、澄んだ声を燃やして唱える。

 その名前は

 この長すぎた三か月の中で、ただ一人、俺の白い道標となってくれた

 最低の詐欺師の名だった。

「知ってるんですか」

「有名人よ」

 歯で研いだ声を零して、舌打ちでもしそうに尖った唇は針のような息を吹く。

 お姉さんは踵を返した。

「用事ができました。仕事は、それが終わってから」

 吐き捨てて、お姉さんはおれたちの目の前からいなくなった。


 伽藍と。

 心の箱庭に大きな隙間ができた。

 天伊さん。名字は知らない。でもだいぶ辛い方だと思う。

 世界に一人の遺書代筆屋のお姉さんは、影も残さず光と消えた。






【詐欺師・1】

 女が死んだ。この腕の中で溶けて死んだ。

 昼の宙に星が流れるように──透明に、その輝きを閉じた。

 遺族からは金を貰った。

 よくやってくれたとお褒め頂いた。

 姉さんのことも褒められた。熱い涙と共に認められ、熱い抱擁と、やはり熱い握手を交わす。

 握る拳に力は入らない。

 だって、こんな無痛の握力は、彼女を抱きしめるために使ってやるべきだったのだから。

 終わってる。

 終わってる。終わってる。終わってる。終わってる‼

 人が死んで金稼いで、終わってる。

『わかってるよ姉さん。どんな時でも、どれだけ気分が最悪でも女の子の前で弱音を吐くようじゃ、理想の男には程遠いんだ。わかってるよ。わかってるんだ──』

 終わってる。

 人騙して金稼いで人死なせて金稼いで稼いだ金で死なせて終わってる。

 終わってるのに終わらない。この足は止まらない。永遠の道は続く。

 この道の終は霞みと隠れ一寸先も視えず。亡と考えて至る景色は、嗚呼これは俺の人生なのだという結論一つ。

 そう、太陽から逃げる道。ただ冷たい風を求める洞穴。落ちるように──落ちている。

 両脇を造花で彩った華やかな永遠の道は、俺が諦めるまで決して終わらない。生者の旅は続く。本人の意思とは全ッく、関係はなく。

 託された命。貰った思いやり。受け取った使命。腕に抱えこんでいてはぬるい涙で濡れてしまうから、目を逸らすように背中に括りつける。

 無限と光の粒を零す薔薇色の棘の過程が在って、背負った荷物は大層膨れた。その重量は最早枷のように、煉獄へ向かって沈みゆく。

 そして何時しか真っ直ぐ立つことすらできなくなっても──しかし道は続く。

 生存の道が続く限り 歩みを止めるあらゆる理由は悉く抹殺される。だって俺は生きている。生きている、生きている! 彼女たちと違って、俺は今も当然みたいに。許され難いことに──息をしている!

 夢想から立ち帰れば、目玉の嘔吐で景色が眩む。

 指鉄砲をこめかみに当てた。爪を肌に捻じり込んで皮をめくり、血を零し肉に触れる。

 このまま道を突き進めば

 何処へも行かない脳味噌を放棄して、造花の道に火を放てるか?

 息を呑んで、指先の火薬は黒く熱を持った。

 しかし──足は止まる。

 目玉の吐瀉物を拭って潰す。頬を叩く。真白の火花が散る。

 終わるわけにはいかない理由が数多在る。

 こんな長すぎる旅の最中で、落としたものと失くしたものが無限と煌めいた。

 嗚咽と絶叫が木霊する世界で、しかしシニカルに笑うのは、あまりにもイケメン過ぎる理想の男前。笑んだ口元から覗く歯は眩い光を零し、その輪郭綺麗に尖り、髪のセットは完ペキ。何処へ出したって恥ずかしくない絶世の美男子。

 理想の俺がいた。

 眩しさにへらと笑って見せると、美男子の顔はどろりと腐った。上り調子の口角は地に臥せて、尖った牙が生臭い色を吐き出した。

 割れた仮面の隙間で、月色の獣毛が冷たく燃えた。


 手のひらを振って獣を消し去る。

 そして思い出すように握る拳に力は入らない。

 ぴたりと鳴って、人差し指から垂れた紅はこの足の行き先を示す様だった。

「この道は続く。何処までも」

 終わってる。





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