◇第2話

「あら、アクト。早かったわね」

「ええ、アーサナからお母様がご飯の時間だから帰るよう言っていた、と教えられたので急いで帰ってきたんです」

「うーん、あの子に伝えた覚えなんて無いんだけどなぁ。どこかで聞こえていたのかな。本当に地獄耳な子だわ」


 苦笑しながらアルナは頬を掻いた。

 それにしても本当に我が母ながら綺麗な顔だと思うよ。アーサナのような藍色の髪でもなく、俺のような緑がかった青色の髪でも無い。美しい紫色の短髪が入口から零れた光に照らされて輝いている。


 それらにそっと目を逸らして居間に向かう。

 この匂いやアルナの言葉からして昼食が出来ているのは本当の事なのだろう。じゃあ、昼食が出来た事を急いで教えに来る意図は何か。……どうせ、午後は彼女のしたい事を手伝えと言い始めるに決まっている。


 村の人達からアーサナの頼まれていた仕事は土地の開拓と農地の作成だったからな。世間一般から考えたとしても類を見ない程の魔法の才能があるアーサナならば三十分もあれば終えられるのだろう。本当に神と人間の差を感じさせられてすごく複雑な気持ちにさせられるよ。


「あ、アユ料理なんですね」

「そうよ、今朝は多くの魚が取れたみたいでたくさん分けて貰えたの。もちろん、味は保証できるわ。アーサナが喜びながら食べていたもの」

「はは、アルナ母様の料理が美味しくないわけが無いでしょう。父様が作ったのならいざ知らず、母様のご飯に不味いものはありませんでしたから」

「ふふ、なら、たんと食べてね。アユもパンのオカワリも沢山あるわ。でも、さっきの事はファングが聞いていたら悲しむから絶対に言ったらダメよ」


 プンと怒りながら額を指で弾いてきた。

 普通なら痛々しく感じるような行動だが……何故だかそう感じさせない何かがある。生まれた時から母乳を与えられた息子としても不思議で仕方が無いな。やはり、顔か……顔が良ければ全てが解決されるのか。


 少し悲しい思いになりながらも席に座って出された箸を手に持つ。焼かれたアユのエラとヒレの間当たりに箸を通して一口分だけ身を取り出す。そのまま口に運んだ後で味付けがされていないパンを一口だけ含む。


 純粋に美味しい……けど、パンに関しては必ずしも日本の物より良いとは言えないからな。だけど、魚に関してはしっかりと焼けているのに焦げていないベストな状態だし、振りかけられた塩の塩梅も良いおかげで飽きずに食べられる。


 横に置かれたスープを器に口を付けて少しだけ喉に流してからアルナに視線を向けた。やはり、いつもと同じように俺の反応を伺っているみたいだ。こういう事には慣れてはいないけど……。




「美味しいです」

「それなら良かったわ」


 この程度の反応で良かったのだろうか。

 まぁ、アルナは笑顔だし、日本にいた時だって同じ反応をして切り抜けていたからな。これで何も言われないという事は大丈夫なのだろう。今はさっさと昼食を済ませて……無駄だろうがアーサナの魔の手から逃げる事だけに専念しよう。


「……それにしても使うの上手いのね」

「そうですね……フォークを扱うよりは上手に食べる事ができます。綺麗に食べられるようにと作ってみましたが上手くいって良かったですよ」

「うーん、私は上手く使えないからなぁ。そうやって指の間に挟んで扱うなんて……頭がこんがらがっちゃうわ」


 この村に箸の文化は無いからなぁ。

 それこそ、この箸は俺とアーサナが上手く食事を取れるようにと作っただけだ。まぁ、俺と違ってアーサナはフォークでも綺麗に魚を食べられるんだけどさ。


 そこら辺は落ちても神だからなのだろう。

 何兆年と生きて力を失ったとはいえ、それでも知識や持っていた力に関しては間違いなく人が測れるものでは無かった。その最後の残滓を使って俺を使徒とし幾つかの能力を付与した上で転生させたんだ。


 そこまでしてでも期待しているのだろう。

 元の力とまでは言わずとも、元のような神として動けるだけの信仰心を求めている。多くの信徒を集める事が転生する時のアーサナの出した願いだったからな。


 まぁ、その転生先に日本を選ばないあたり、きな臭い部分もあるけど。だって、信仰を高めようとするのであれば無神教者の多い日本はピッタリだろうし、地球という魔法の概念が無い世界では奇跡だと人を騙す事も可能だろう。


 それを無視して異世界であるアナザーヘイムに転生をさせた。それも俺に異世界の常識や知識を与えた上で命令等で制限も無いままで近くに置いているんだ。本当に……何を狙っているのか分からない存在だよ。


「と、ご馳走様でした」

「おかわりはいいの」

「多分、午後からはアーサナのワガママに付き合う事になると思うので……お腹いっぱいに食事をしてしまうと後で困るのでやめておきます」


 どうせ、アーサナの事だから戦闘訓練やそれに近しい話を持ってくるに決まっている。となれば、逃げるのと同時に体を動かしておいた方がいい。転生して五年も経ったおかげで異世界の感覚に慣れてきたけど限界があるからな。


 アーサナ曰く、この世界は地球の八倍程度の質量と二倍ほどの重力がある。また、惑星誕生の瞬間から偶発的に魔力とステータスという概念が生まれたようで、それらに適する形で生物が進化していったそうだ。


 その中での魔力に関しては未だに人並み程度にしか制御出来ていないんだ。とはいえ、魔力という物質は地球にもあるにはあったらしいけどな。言ってしまえばダークマターに近しい存在ではあるらしい。


 ダークマターは周囲の物質と混ざり合わない単独の存在であり、魔力は周囲の物質と同化してしまう合同の存在という明確な違いはある。それでも地球の者達が探知出来ず、視認も出来ないという点では同じだろう。


 いや、厳密に言えば全然違うらしいんだけどさ。何分、人が口にするダークマターという存在自体の定義が曖昧だから何とも言えないらしい。それに魔力の扱い方次第では定義上のダークマターを生み出す事も可能みたいだから……いや、これは例として出す物質が悪かったか。


 まぁ、どうでもいい話ではあるな。

 捉え方や認識の違いで魔力操作が極端に上手くなる訳では無い。一番に重要なのは魔力という物を知覚的に認識し、そしてそれを明確なイメージのもとで他の物質に変換させる事だ。……それが上手く出来ないせいで悩んでいるしな。


「あら、外が騒がしくなってきたわね」

「そうですね……いや、すみません。ちょっと思い出した事があるので外に出ます。アーサナが来た時は訓練に出たとでも伝えてください」


 魔力操作の鍛錬のためにも村全体に網を作って通していたからな。今、それに急いで村へと入ってくる存在がいた。少しだけ魔力に違和感はあるけれど間違いなくアーサナのものだろう。


 外に出ていた、そして家まで一直線で向かってきている事を踏まえれば……何となくアーサナの考えそうな頼みも見えてくるからな。だとしたら、関わりたくない案件だし、任せられるのなら任せてしまいたい。


「それじゃあ、行ってきま」

「ただいま! アクト! お母様!」


 げ……探知だとまだ余裕があったはず……。

 コイツ、ブラフを張っていたな。だからか、少しだけ違和感のある魔力だったのは。ヤバい、この状況ではアルナは助けにならない。走って逃げたとしても無理やり抑え込まれるのが目に見えている。


「な、何の用ですか」

「分かっている癖に。さぁ、アクト! 外に出るわよ!」

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