◇ ◆ ◇
それからのこと、ソルテはレトとよく歩くようになった。仕事の合間を見つけては村中を歩いて回る。レトに連れられてと言うよりは、レトを連れ回して歩いた。そのことに、はじめのうちは零れんばかりに喜んでいたレトだったが、次第にうんざりとした様子を見せ始めた。それでいてソルテから離れることはなかった。
二人は村の様々なところを回る。それぞれの場所に話の種は尽きずとも、とはいえ大きな村であるわけでもなかった為、その冒険は何周もの重なりで作られた。行く先々でソルテが教えた蘊蓄の物語は、それぞれ体系的に絡みつきレトの中にあたかも、もう一つの村を作り上げた。
知りもしないかつてのポトポ爺さんのことや、絵描き小屋から巣立っていった旅人の話、生まれる前に伐採された村で一番古いマーテナの木の話は、もはや二人の話題の中にしか生きていない。失われた過去を後に紡ぐ意図は無くとも、自然そうした意味合いが現れる。村の誰もが知らないことを語る二人に、現村長などは、強く興味を抱いたりもした。
季節が何度となく巡り、レトにとっての夜が、あまり眠いだけのものでなくなる頃には、レトは村で三番目に物知りとなった。また体は、二番目に強く育っていた。
レトがすくすくと成長していっても、ソルテは何も変わらなかった。あるいは変わっていないと感じていた。いずれ親離れの時期に差し掛かることは自然の道理であると理解していても、レトに唯一無二の親友ができると、ソルテは喜び祝福しながらも、心には潜むように影が差した。
ある日、レトは午前中の仕事が終わると同時、昼食のモッケパンを咥えたまま、行儀悪く飛び出していった。叱りつけようとソルテも追って扉を抜ける。
レトの後ろ姿を見つけると追いかけた。田畑を左右に畦道を過ぎると、村の大通りに出る。真昼の村に人気は無く、遠くからロウルノウルの野太い鳴き声が聞こえるだけだった。
家々がまばらになり、フォロの小川を越えて少し行った先のケロの丘へ続く道の真ん中に、その少年は立っていた。駆けてくるレトに、大きく手を振る少年は雲間から漏れた強い日差しを受けていた。それに負けんばかりの弾けるような笑顔を浮かべた大声が響いた。
「遅いよ! レト!」
少年は細身のレトと並び立つと、やや太っちょで、おまけにこの村では仕立ての良いと言える服を着ていた。そのせいかレトがマリテットに食まれたマーテナの苗木のように、よりみすぼらしく映った。
「君が早いんだ。ロズ」
もごもごとパンを食べながら返すレトは、いかにも育ちが悪い。反対に、少し気障な所作で首を傾げるロズ少年には気品があった。
しかしその印象に反して、ロズは腹を鼓のように弾ませてから、陽気に笑った。
「そうだ、僕はこう見えて、走るのが速い」
「へぇ、ふん、そう。……ところで今日の仕事はどうしたの」
「もう終わった」
「終わった?」
「長の息子たるものそれくらいできなくてはね」
レトは意外そうな顔をして、ロズは自慢げに仕事も早いのだと言った。
その点、レトは集中するのが苦手で、気が散り安いたちで器用なのに仕事があまり早くない。パンを咥えている今でさえ、ロズの大げさな身振りに気をとられて、咀嚼が疎かになっている。モッケのタレが滴りそうだ。
ロズが鼓をポンとたたく。
「さあ行こう、レト。ぐずぐずしていては、日が落ちてしまう。そうしたら丘に登る意味がないだろう? ……早く食べなよ。君は食べるのも遅いのかい?」
僕が食べてあげようか。と続いたその言葉は、存外に効いたらしく、レトは慌ててはみ出していたモッケを口に押し込んだ。
満足そうに頷くと、ロズはその場で機敏に回転すると背を向けて歩き出す。その足は早い。レトは置いて行かれまいとすぐに歩き出す。少し行ってから急に立ち止まると振り返った。ソルテのことに気がついていたらしい。
大きく手を振ると、なにやら叫んでから再び歩き出した。その向こうでは律儀に追いつくのを待つロズの姿があった。
レトの声は小さく、ソルテの耳には聞こえなかったが、どうやら「行ってきます」と言ったのだということはわかった。
ロズに必死に追い縋るレトは次第に小さくなっていく。ソルテは、二人がマーテナの若木の陰に隠れて見えなくなるまで、じっとその背中を見送った。
ソルテは扉を開け放したまま出てきたことを思い出して、来た道を辿った。その道中、そうでないことはわかっていても、レトに「さようなら」と告げられたように思えたことが頭から離れなかった。
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