第24話 水曜日の刑務所は人殺しにうってつけ

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 それから数カ月が経ち、わたしは警視に昇進する。

 首都警察と自治体警察の間の特別交換研修制度を利用し、未未市警察への転属願いを出したわたしを、周囲は完全に頭がおかしくなったと避けるようになったがちょうどいい。これで、後ろ髪をひかれることなく首都警察をきっぱりと辞めることが出来る。解約した部屋の最後の掃除を終えると、がらがらとキャリーケースを引きずってわたしは駅へと向かう。

 実家に帰ったことを両親はよろこんでくれる。わたしは学習机が置きっぱなしになった高校生の時と変わらない景色の部屋に戻ると、ベッドの上に洋服のまま横になる。わたしがいなくなってからも掃除をしてくれていたのか、部屋に埃はたまっておらずシーツもきれいに洗われている。ありがとうお母さんとわたしは寝返りをうつ。部屋にはすでに送りつけていたダンボールが山積みになっている。そのうちの一つが目に入りわたしはむくりと起き上がる。そしておもむろにダンボールの箱を開くと、中から袋に入った靴を取り出す。分厚いエナメルを塗ったローファー。殺人課刑事のダンスシューズ。わたしはそっと胸に抱くと、そのままベッドに倒れ込む。わたしは殺人課刑事に戻る。続きを始めなくてはならない。

 数日後、身の回りの品を詰めたダンボール箱を抱えてわたしは未未市警察のレンガ造りの建物の前に立つ。とんとんと軽快に建物の正面の階段を上がると刑事部屋に入る。二年前、初めてこの刑事部屋に来た時にわたしは一瞬で立ち戻る。刑事部屋の入り口でわたしはホワイトボードの東方班の欄を見る。加藤貞夫の名前は赤字で書かれている。わたしは満足げにうなずくと、東方日明の名前の横に、水沼桐子と書き足す。

 正式にわたしとコンビを組むことになった彼は、口うるさい警察学校の校長に別れを告げ捜査一課の刑事部屋に戻ってくる。市警察に戻ってきた彼を見る刑事達の視線は冷ややかだったが、彼はまったく意に介さない様子で、殺人課の刑事の日常に戻る。

 それからのわたしと彼は件のぼろぼろの2CVで街を徘徊し、仕事に忙殺される日々を送る。毎日毎日救いようにない悪意に立ち向かう。

 殺人課刑事。この仕事を続けていると、良くも悪くも人間の死というものに慣れていく。人間として大事な部分が少しずつこぼれ落ちていく。だがそれは防衛本能のようなものだ。この世界には悪意があふれている。あまりにも多くの悲劇を目のあたりにしながらも自分を守るために、わたし達は心を麻痺させることを覚える。そうでなければ耐えられない。だが稀にそう出来ない人間がいる。狂った世界に背を向けることが出来ない人間がいる。それこそが東方日明の悲劇だ。悲劇とは、運命に抵抗して苦悩する人間の姿を描いた物語だ。誰もが感覚を鈍らせ自分の心を守りながら世界を見るが、傷だらけになりながら繊細なままでいる彼には、いつだってわたし達とは違う景色が見えている。彼は誰よりも傷ついている。だからこそ彼は優秀な殺人課刑事なのだろう。

 これが東方日明の悲劇だ。


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 ある夜、連日の捜査でもう五日間も家に帰っていないわたしは、いい加減家に帰ろうと大きく伸びをしながら刑事部屋横の廊下に出る。と、廊下の先、一番奥の取調室の灯りがまだついていることに気付く。そっと扉を開けると、東方日明が顔の前で祈るように両手を合わせたままぶつぶつと何やらつぶやきながら部屋の中を歩き回っている姿が見える。

「まだ帰らないんですか?」

 わたしの問いには答えず、逆に彼は問い返す。

「32丁目の事件の報告書はどうした?」

「二日前に東方さんの机の上に置きましたよ」

「俺の机? どうしてあんなところに置くんだ。あそこに置いた書類はどこかに消える」

 たしかにあそこは大事な物はすべてなくなってしまうという不思議な磁場がある。そんなことより、「何をしているんです?」

 彼は答えない。だが机の上に乱雑に捜査資料が並べられているのを見て、わたしは小さくうなずくと、お疲れ様です、と言い部屋から出ようとする。

「さっさと報告書を見つけ出せ」

「わたしが勝手に机の上をいじると怒るでしょう?」

「見つけ出せ」

「勝手に触ってもいいんですか?」

「駄目だ」

「じゃあ、どうやって探すんです」

「何とかしろ」

「了解」

 わたしはそっと扉を閉じると刑事部屋を出る。悲劇は続く。東方日明の悲劇の物語。わたしはその物語を一緒に歩いていく。


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 わたし達は未未市警察捜査一課長に、東洲区重警備刑務所D区画において起きている囚人の不審死についての捜査を申請する。いくら囚人の死亡事例については市警察と情報共有がなされるようになったとはいえ、法務省直轄の政府機関での捜査はすぐに却下される。それでもめげずにわたし達は何度も何度も捜査の申請を出し、再び季節が巡りコートが必要になった頃、根負けしたのか捜査一課長はまずは予備捜査として捜査一課の中に捜査準備室を設置する許可を出す。捜査一課長はあくまでもD区画には二度と関わるなという態度をとり続けているが、あのホワイトボードの加藤貞夫の名前が一年近く赤字のままになっていることを黙認しているということは、彼自身、あの事件の結末をよしとは思っていないのだろう、とわたしは楽観的に考えている。

 わたし達は通常業務から外され捜査準備室の専従となる。ようやく本格的に捜査が始まると、あてがわれた小さな部屋にわたし達は地下の資料室から大量の荷物を運び込む。もう一度資料を整理し直し、部屋の壁には次々と新たなメモや資料が貼られていく。D区画が設置されてからの三年分のカレンダーが並べられ、囚人の不審死の日付が事細かに記録されていく。そしてその多くが水曜日に集中していることにわたし達は自分達の仮説の正しさを日々確信する。そしてわたし達は新たな結節点に到達する。


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 その日、捜査一課の刑事部屋にある会議室に課長を始め、捜査一課の刑事達が集められていた。大勢が注目する中、彼は顔の前で祈るように両手を合わせ、それから両手の人差し指でとんとんと唇を叩いたあと、刑事達に向かって説明を始める。

「犯人が水曜日に殺人衝動が芽生えるのは間違いないでしょう。平均すると水曜日に発生した囚人の死亡事件は年間約十五件。この犯人とは関係のない囚人同士の殺人が偶然水曜日に起きることもあるでしょうから、平均すると約一カ月に一件のペースで犯行が行われていると考えられます。ですがその間隔は二週連続することもあれば六週間以上空くこともあり、一見ランダムに見えます。単純に殺す機会に恵まれなかったのか、あるいは何か日付に意味があるのか。これを踏まえてこのカレンダーを見て下さい」

 わたしはホワイトボードに貼られたカレンダーを彼等に示す。そこには囚人の名前や犯行日、罪状などの情報が記載されている。

「犯人が水曜日に殺人衝動が芽生えるのは間違いないですが、それだけでは毎週殺してもいいはずです。そうではないのは他にも条件があるからです。この表がその答えです。手元の三枚目の資料を見て下さい。殺害された囚人の罪状犯行日、そしてその横にあるのが、その囚人が殺害された日付です。いずれも日にちが一致しているんです。六月十日に強盗を犯して収監された囚人が三月十日に殺害されています。九月六日に飲酒運転の死亡事故を犯した囚人が十月六日に殺害されています。これこそが犯人のもう一つの条件です。刑務官なら囚人の基本情報にはアクセス可能です。きっと犯人はD区画の囚人達の犯行日のリストを持っているはずです。そしてその誰かの日付と一致する水曜日がやって来た時、犯人の殺人衝動が爆発してしまう」

「偶然にしては、出来過ぎているな」課長が腕組みをしたまま言う。

「何故水曜日なのかは不明ですが、犯行日と同じ日に囚人を殺害するというのは、ある意味、囚人に罰を与えているようにも見えます。そういう意味でも犯人が刑務官というのはしっくりきます」彼の言葉に課長は小さくうなずく。「D区画で起きた囚人殺害事件の多くは地下の管理エリアで起きています。監房エリアは上下左右から目撃される空間ですからね。地下のジムや図書室、シャワー室に礼拝堂など日中でもあまり囚人が立ち寄らない場所が犯行現場に選ばれています。殺害自体は日中、夜間のいずれでも起きています。ただし夜間に殺人が起きている場合は死体が発見されたあと、その犯行が火曜日や木曜日と認識されている可能性もあり、見逃されている事件はまだあるかもしれませんが」

 彼はふんと鼻を鳴らすと再びとんとんと両手の人差し指を唇に当て刑事達をぐるりと見回す。

「一年間は五十週、水曜日は五十回訪れます。D区画に収容されている囚人は百名以上、罪状の犯行日と一致する水曜日が年間十から十五回程度というのは無理のない数字です」

 彼が合図しわたしはホワイトボードを裏返す。一九九五年八月、九月そして十月のカレンダー。

「犯行は平均して月に一度起きています。ですがこの一九九五年九月前後だけ、九週間にわたって犯行が起きていないんです。それ以外には最大で六週間しか間隔は空いていません。ここだけが異常なんです。では、一体この時に何があったのか?」

「一九九五年九月、まさか、」課長が静かに唸るように言う。「脱走事件か?」

「はい。斉藤雅文が消えたのは一九九五年九月十三日の水曜日です。七海圭吾の証言では、違法賭博のボクシングは日をまたいで行われていたようですから、斉藤雅文が殺害された日付は九月十三日と考えていいでしょう。そして、奇しくも斉藤雅文が収監されることとなった事件を犯したのは二月十三日です。つまり、こうは考えられませんかね。斉藤雅文が加藤と松井によって殺害された九月十三日は、偶然にも犯人が斉藤雅文を殺害しようとしていた日だった」

 まさかそんな偶然か、皆がそう言いたげにわたし達を見る。だが彼の言葉の引力に誰も抗えないでいる。すべてはつながっている。そう確信せざるを得なくなる。

「斉藤雅文はシリアルキラーのターゲットだった。そしてそれを加藤と松井に横取りされたんです。それこそが、シリアルキラーが加藤と松井の命を狙った理由です。強迫性障害の犯人は自分のルールが曲げられたことに、とてつもない苦痛とストレスを感じていたはずです。それを解消するには二人を殺すしかない。犯人にとっては、斉藤雅文を殺害した九月十三日が、加藤と松井の犯行日です。つまり十三日の水曜日に加藤と松井を殺害することこそが犯人の次の目標となったはずです。一九九五年の九月十三日以降、次の十三日の水曜日は十二月十三日、そしてその次が、加藤が殺害された一九九六年三月十三日でした。では何故、斉藤雅文が死亡してから最初の十三日の水曜日、十二月十三日に加藤と松井が殺害されなかったのでしょうか。現在、法務省にD区画の刑務官の過去三年間の勤務日の開示請求を出していますがおそらく理由は単純です。勤務が合わなかったんです。囚人と違い、刑務官は刑務所の外にも出ることが出来ますからね。仮に十二月十三日は加藤と松井が日勤、犯人が夜勤勤務だとすると十三日中に殺害するのは困難です」

「理屈は通るな」

「刑務官の勤務がどのように決まっていたかはわかりませんが、次の十三日の水曜日、一九九六年三月十三日、犯人は加藤と松井の二人と夜勤帯が一緒でした。単なる偶然だとすれば、犯人にとっては僥倖です。しかし勤務が終われば二人はそれぞれ自分の生活に戻ります。二人いっぺんに刑務所の外で殺害するのは難しい。だからまず、どちらか一方を刑務所内で殺害し、勤務後にもう一人を殺害することにしたのだと思います。体格的にも松井を手製のナイフだけで殺害するのはてこずるはずです。ナイフよりももっと殺傷能力のある凶器を用いるのであれば、刑務所の外で殺す方がいいという判断は理解出来ます。犯人は刑務所内で加藤を殺害し、勤務後に松井を刑務所の外で殺害するつもりだった。しかし犯人はこれまで囚人の殺害はしたものの、刑務官を殺したのは初めてでした。囚人の不審死であればD区画では簡単な内部調査で不問にされていましたが、それと同じで加藤を殺害してもおおごとにはならないと犯人は勘違いしていたんです。ですが、想像以上におおごとになった。管理委員会から特別捜査官が派遣され、市警察まで出張ってきた。自分が明確に容疑者の一人と扱われた。警察の監視があるかもしれないのに、おいそれと松井を殺害することは出来ない。だからあの日、松井殺しを断念したんです。犯人はほとぼりが冷めたあと、また次の十三日の水曜日に松井を殺害するつもりだったのでしょう。ですが予想外のことが起きます。俺達によって松井が取り調べを受けたんです。犯人からすれば、加藤殺しの第一容疑者に松井が挙げられたと見えたはずです。そうなると松井は逮捕されるかもしれない。ですが次の十三日の水曜日は十一月です。それまで待つことは出来ない。だから犯人は仕方なく水曜日と犯行日の日付という二つの条件のうち、日付の方は目をつぶった。松井の自宅を訪ね連れ出したあと、報道で奥田由紀子殺害事件の犯人として松井が指名手配されたことを知り、それを利用することを思い立った。そして、自殺に見せかけて次の水曜日に殺害したんです」

 彼は手をおろすと唇をきゅうと鳴らす。

「加藤と松井は斉藤雅文殺害の罰を受けたんです。この犯人は囚人を殺害する際には囚人同士の争いに見えるように凶器に手製の武器や刑務所の備品を使用しています。加藤が囚人手製のナイフで殺害されたのは、きっと元々斉藤雅文を殺害するために用意していた凶器だったのでしょう。加藤が装備品を外していたのは、単に彼がいい加減な性格で特に意味はないのでしょうが、まあ、犯人にとっては幸運でしたね」


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 そして物語は終曲を迎える。

 捜査会議の四日後、法務省への機密情報の開示請求が通り刑務官の勤務日の資料が開示される。そしてそれまでの囚人の不審死の日付と刑務官の勤務日が確認され、ついに捜査一課長は重い腰を上げる。未未市警察捜査一課として東洲区重警備刑務所D区画における囚人連続殺人事件の捜査を公式に行うことが決定される。

 彼は警官達を集めると、これまでにわかった犯人像を示していく。

「この犯人は極度の強迫性障害の持ち主だ。水曜日の日付と犯行日が一致した囚人が揃った時に、殺さずにはいられなくなる。強いこだわりを持ち、自分のルールを正確に遂行しようとするこういうタイプの犯人は、自分の殺人をきちんと記録しているはずだ」

 彼の言葉にわたしも続く。

「犯人は囚人の犯行日時を調べ、犯行計画を立てる緻密さがあります。誰にも知られず殺し続ける、実行しきる行動力に粘り強さもあります。三十代以上の男性で知能は平均以上だと思われます」

「自宅の部屋は整理整頓が行き届いた異常なまでのきれい好き。きっと玄関の靴の並びが変るだけでも落ち着かなくなるタイプだろう」

 ここで課長が言葉を挟む。

「しかしそれでは松井の殺害は不完全なルールで行ったことになる。本当に強迫性障害なら、そんなルール破りをすることは可能なのか?」

「松井が自殺したとは思えません。あの男は直情的に人を殺すことはあっても自殺するようなタイプではありませんよ。それに松井は水死体で見つかっています。自分の獲物である斉藤雅文を水路に捨てたことに対する犯人の怒りの現れです。ですがたしかに犯人にとっては松井の殺害が十三日ではなかったことは大きな汚点です。そしてそれこそが犯人を逮捕する突破口になります」

 彼はボードの前に立つ。そこには加藤が殺害された夜の、夜勤者の写真が貼られている。

「一度、ルールを曲げてしまった犯人は、もう二度とルールを曲げないと誓ったはずです。だからこそ、一連の事件のあとも危険を顧みず、水曜日と囚人の犯行日が一致すれば殺人を続けているんです。ですが犯行を続ければ続けるほど、犯人の特定はより確実になります。刑務所内で殺人が出来るのは、その日の勤務についているものだけです。これまでの三年間、水曜日の殺人すべてに勤務していたのはたった一人です」

 そして彼は夜勤者の一人の写真を指差す。

「こいつが犯人です」

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