第22話 望まない結末

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 物語は急転する。

 松井の自宅に制服警官が向かうが、駐車場に車は残されていたもののすでに彼の姿はなく携帯電話の電源も切られていた。すぐに東洲区全域に緊急配備が敷かれ、東洲区重警備刑務所にも制服警官が大勢押しかけた。混乱の最中、部屋の隅で刑務所長とD区画刑務主任は沈黙を続けていた。

「松井はすでに逃げたあとですか?」

 彼の問いに課長は苦々しい表情で答える。

「すぐに捕まえる」

「取り調べのあとすぐに帰宅したのなら、こちらが奥田由紀子殺しの捜査を始めたことはまだ知らないはずです。それでも逃げたとなると、加藤殺しの方も無実とは思えませんね」

 彼の言葉に、課長もそうだなと答える。

「斉藤雅文は加藤と松井の二人で殺害したのでしょう。次に七海圭吾を殺したのが加藤で、松井は奥田由紀子を殺害した。一見対等に見えますが、七海圭吾の一件はお咎めなし。一方で奥田由紀子の事件は捜査が中断されているとはいえいつ再開されるかわからない。また七海圭吾は囚人ですが、奥田由紀子は一般人です。それが二人の間に亀裂をもたらしたのかもしれませんね」

 わたしの言葉に課長はふむとうなずいたあと、刑務所長の方へと歩いていく。

「これからわれわれは半年前の一連の事件についての再捜査を行います。ここまで事態が大きくなった以上、加藤刑務官殺害事件の捜査についても管理委員会は反対出来ないでしょう。斉藤雅文脱走事件を含め、これから未未市議会を通し正式に東洲区重警備刑務所D区画についての厳正な捜査を行います。その際には、是非とも捜査にご協力いただきたいものですな。今日の所はこれで失礼いたします」

 課長は深々と一礼し部屋を出る。爬虫類は刑務所長に何かを言おうとするが、所長はそれを制すように言う。

「私はこれから市庁舎に向かう。私にはここで起きたことを市長に説明する義務がある」

「私も同席します。説明をさせて下さい」

「貴様は来なくていい。これより市警察の捜査が終わるまで、貴様の刑務主任の権限をすべて剥奪し、自宅での待機を命じる」

 刑務所長は爬虫類に目を合わせることなく部屋を出ていく。所長、所長と手を伸ばして悲鳴を上げる爬虫類は哀れだが、ここで起きたことを考えれば同情の余地はない。

「次に会う時は、市警察の取調室になりそうだな」彼は残酷な表情で、爬虫類に言い放つ。「逃げるなよ」

 それから彼は部屋から出ていき、わたしもあとに続く。

 D区画刑務主任の三神は一人、絶望の淵に取り残される。


 1996/3/23 Saturday 捜査第十一日目


 未未市東洲区の工業地帯にある河川敷に複数台のパトカーが停まっている。小雨が降り、灰色の空には冷たい空気が広がっている。河川敷に古めかしいぼろぼろの2CVを停めると、わたし達は堤防を歩いておりていく。わたし達の姿に制服警官が一人駆け寄ってくる。

「お疲れ様です。遺体はこちらです」

 わたし達は鑑識作業の間を通り抜け、ブルーシートがかけられた遺体の前に立つ。制服警官がブルーシートをめくると、河川敷に打ち上げられた大柄な男の死体が目に入る。

「松井だ」彼がつぶやくとわたしもうなずいて答える。「これで加藤殺しの真相はわからず仕舞いか」

「自殺、でしょうか?」わたしの問いに制服警官が答える。

「遺書は見つかっていません。自宅にはあれから一度も帰っていませんね」

「どれくらいになる?」彼が遺体の横に立つ監察医にたずねる。

「三、四日ってところだねえ」

 お腹の出た監察医はのんびりとした口調でそう答える。

「三日日前なら水曜日ですね。たしか加藤刑務官の殺害事件も水曜日でしたから、ちょうど一週間になります」

 しかもこの場所はあの斎藤雅文の死体が見つかった工業用水路からも近い。カタをつけるにはもってこいの場所、というところか。川の水面が朝の光に反射して輝いているのを見たあと、わたしは物言わなくなった松井を見下ろす。

「逃げ切れないと悟って、自分で終わらせたのか」

 彼は現場の保存なんて気にもしていないのか、タバコをくわえると火をつける。鑑識官の怒声を無視して、彼は足早に河川敷を上がっていく。くそったれ、最悪だ。こんな結末なんてありかよ、彼の背中がそう言っている。

 だが最悪はまだ序の口だったとわたしはのちに思い知る。


 1996/3/25 Monday 捜査第十三日目


 松井の死体が発見された二日後、わたし達は捜査一課課長室に出頭する。

「本日をもって東洲区重警備刑務所D区画の捜査はすべて終了となった」

 課長からの報せに彼は憤りを隠すこともなく、ぐるぐると部屋の中を歩き回っている。

「管理委員会と市警察が合同で捜査をした結果、斉藤雅文については半年前の市警察による脱走事件という結論を支持、七海圭吾については当時の管理委員会の内部調査の結果を支持、加藤刑務官については自白した囚人による犯行と正式に結論付けられた」

「こちらの主張は何一つ通らなかったということですか?」

 わたしの問いに、課長は厳しい口調で返す。

「松井が死亡した以上、囚人の自白を覆すことは困難だ。ボクシング違法賭博も胴元と思われる加藤と松井は死亡。あるのはすでに死亡している七海圭吾の証言のみ。違法賭博に参加したと思われる刑務官は口裏を合わせたかのように一様に否定。囚人達からも何も証言は得られず、新たな物的証拠は出ず。手詰まりだ」

「法務省の言いなりですか?」

 思わず口をついて出た言葉に課長はぎろりとわたしを睨みつける。

「ただし、奥田由紀子殺害事件については、事件当時に採取された犯人の組織と松井のDNAが一致、松井は奥田由紀子殺害犯として正式に認定された。法務省直轄の実験区画の刑務官による一般人の殺人だ。事態を重く見た管理委員会はD区画の組織編成を一新することを決定。刑務所長は更迭、刑務主任は辞任。D区画内でこれまで発生した囚人の不審死の内部調査の結果を市警察に公開することで市警察上層部、市議会、管理委員会の間で話がついた。痛み分けだな」

「あの爬虫類の首を切っても、刑務官達はそのままですか?」

「実験区画であると同時に、刑務所でもあるんだ。刑務所としての機能を停止させるわけにはいかない」

「そんな話で俺達が納得するとでも?」

「お前の納得など必要ない」

「でしょうね」

「話は以上だ。二人共、部屋から出ていけ」

 くそったれが。部屋から出ると、彼は乱暴に扉を閉じる。一体、わたし達のしたことは何だったのだろうか。唯一の救いは奥田由紀子殺害事件の解決だが、大事なところは結局何一つ解決出来なかったことになる。

 東洲区重警備刑務所D区画。あの灰色の要塞にはいくつもの墓標がある。多くの囚人が命を落としている。その一端を垣間見ながら、結局わたしの目の前で扉は堅く閉ざされた。

 課長室から出た彼は無言で刑事部屋の入り口の方へと歩いていく。そこには大きなホワイトボードがかけられており、捜査一課の班ごとにこれまで担当してきた事件の被害者の名前がずらりと書かれている。すでに解決した事件は黒字で書かれ、現在捜査中、未解決の事件の被害者の名前は赤字で書かれている。

 東方班と書かれた欄はずっと空白で、彼が今年に入ってまだ一件も殺人事件を担当していないことを意味している。彼は無言でペンを手に取ると、そこに黒字で、加藤貞夫と書き込む。

「赤字じゃなくていいんですか?」

 わたしの言葉に、彼はこちらをちらりと見たあと、それから一瞬悲しそうな表情を浮かべ、お前はもう首都警察に帰れ、とだけ言う。そして彼はそのまま黙って刑事部屋から出ていく。その背中をわたしは追いかけようとするが、やっぱりやめて立ち止まる。加藤貞夫の名前が黒字で書かれた以上、わたしの役目はもう終わりだ。もう、わたしがこの街にいる理由、未未市警察にいる理由はなくなった。

 足元を見る。エナメルが分厚く塗られたローファーには傷一つついていない。わたしは廊下の先に消えていく彼の背中に深々と頭を下げる。もう終わったのだ。わたしは黙って市警察の宿直室に置いてあった私物をまとめると、その日の電車で首都警察に戻る。物語は終わり、語り部は沈黙する。


 そんなわけがない。 


【ELEVEN】


 三時間も電車に揺られ、わたしはへとへとになりながら自分の街に戻ってくる。駅に着いたところで携帯電話が鳴り自宅に帰るわたしを足止めする。首都警察本部からの出頭要請。駅前のタクシーに乗り込み行き先を告げる。タクシーからおりると、がらがらとキャリーバッグを引いて首都警察の巨大な建物の中へと入る。さっさと帰ってシャワーを浴びたいというのに、一体何だというのだ。

 エレベーターで四階まで上がり、首都警察捜査一課長の部屋の扉をノックする。

「水沼警部、出頭してまいりました」「入れ」部屋から短く声がしてわたしは扉を開ける。「入って閉めろ」上司の言葉に大人しく従いわたしは扉を閉じる。部屋には首都警察の鬼軍曹と仇名される屈強の捜査一課長と、そして涼やかな笑顔を浮かべる猫の目をした男とがいる。九一桜。どうしてここに。にこにこと笑っている猫の王様猫又殿を前にして、わたしは背中に嫌な汗をかく。シャワーを浴びる前で本当に良かった。

「水沼警部。本日より指示あるまで自宅待機を申しつける。理由は言わなくてもわかっているな?」「わかりません。説明をお願いします」「貴様は法務省から命を受け、東洲区重警備刑務所D区画で発生した殺人事件の捜査にあたっていたはずだ。未未市は首都警察の管轄外であるため、貴様の捜査権限はD区画という政府機関内における限定的なものであるにも関わらず、貴様は刑務所外にあたる未未市東洲区内で発生した殺人事件の捜査を行い、事件関係者に接触、事情聴取および証拠の採取を行った。甚だしい捜査権の乱用及び服務規程違反に当たる。また、D区画内での捜査においても、自白強要まがいの取り調べおよび刑務官への職務妨害を行い、苦情が首都警察にも届いている。首都警察上層部および管理委員会は貴様の特別捜査官としての適性に問題があると判断、本日正午を持って特別捜査官の任務を解くことと決定した。理解したか?」「理解はしましたが納得はしていません」

 わたしはびしっと背筋を正して大声で返事をする。課長の顔が怒りで歪むが、横に立つ猫の目の男は笑顔を崩すことなくわたしに告げる。

「一応、忠告しておきますが、これまでに特別捜査官として実験区画で見聞きした情報を口外することは、機密情報の違法な漏洩と見なされ重罪となる可能性があります。水沼さんはそんな馬鹿なことはしないと思いますけど、お口にチャックは徹底して下さいね」

 何がお口にチャックだ、わたしが言い返そうとしたところを課長が駄目を押す。

「法務省に睨まれることを好ましく思わない上層部一勢力からは貴様に対する厳重な処分を提案されたが、これまでの貴様の特別捜査官としての働きを評価し、ここにいる九局長の温情にて懲戒解雇を免れたのだ」わたしが睨みつけると、猫の目の男はにいと大きな口で笑ってみせる。「水沼警部。これより無期限の自宅待機を命じる。その間に依願退職とするもよし、あるいはどこかに異動願いを申請するもよし、貴様に自由に選択させるようにと提案されている。よく反省し、九局長に感謝しながら今後の身の振り方を考えろ。話は以上だ」

 一度も噛まずにそうまくし立てると、首都警察捜査一課長はわたしに部屋から出ていくように要求する。わたしは眼鏡がずり下がっているのを直そうともせず慇懃に敬礼すると、「水沼警部、これより謹んで自宅待機に入ります」と宣言する。背中で上司の舌打ちを聞きながらわたしはがらがらとキャリーバッグを引きずり部屋を出る。あれ、わたしってもっと立ち回りが上手かったはずなのに、いつからこんな反抗的な問題児みたいな振る舞いを身に着けてしまったんだろう。きっと未未市に戻った二週間で誰かの悪影響を受けたのだろう。

「水沼さん、」名前を呼ばれて振り返ると、前髪の長い優男がこちらを見ている。「長い間お世話になりました」わたしは深々と頭を下げる。「あなたの仕事ぶりは気に入っていたのですが、最後はちょっとおいたが過ぎましたね」わたしはポケットから特別捜査官のネームプレートを取り出すと猫の目の男に渡す。「ご期待に添えず、申し訳ございません」「東方刑事と仲直り出来たようですし、もう一度、彼と組むのも面白いんじゃありませんか?」そう言って男は笑う。まったく。ほんと、「余計なお世話です。九局長」

 わたしはもう一度頭を下げると踵を返す。何はともあれわたしは自分の家に戻りたい。郵便物も溜っているだろうし、食洗器の中の食器も取り出したい。そして何より熱いシャワーを浴びてそれから十二時間眠るのだ。

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