第20話 奥田由紀子

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 医者からもらった奥田由紀子の住所。

 東洲区上葉町西三丁目二番地アルプスコート1302号。自宅に押し込み強盗が入ったのであれば管轄は東洲区分署。大島刑事が助手席で携帯電話を片手に東洲区分署に事件の概要を問い合わせる。「奥田由紀子は半年前、仕事から帰宅したところ自宅に侵入していた犯人と鉢合わせ、複数回ナイフで背中を刺されて殺害されたらしい」背中を複数回。単なる偶然か? 「捜査で顔見知りの犯行が疑われたが、被害者は元々家族がおらず、友人関係も広くない。主な人間関係は職場ということで過去に勤務していた病院などが調べられていたが、結局犯人は挙がらず捜査は迷宮入りとなったようだ。当時の担当刑事に連絡を取っている。分署に向かおう」ギアをがこんと動かしアクセルを踏む。頼むからまだ壊れないでよ。ハンドルを切ると車は中央高速に乗る。

 仕事以外の人間関係が希薄ということは、ボランティアをしていた東洲区重警備刑務所にも捜査の目は向けられていたはずだ。だが当時は脱走事件の大騒動の最中だ。刑務所のボランティアの看護師が殺害されたとなればマスコミの格好の餌食になる。とすると、捜査が迷宮入りになったのも七海圭吾の事件が不自然なほどあっさりと正当防衛と判断されたように、事態をおおごとにしたくない何らかの力が働いた可能性は否定出来ないだろう。

 三十分ほど車を走らせ、東洲区分署のコンクリートの建物の前にわたしは乱暴に車を停める。制服警官に何やら文句を言われるが無視。わたし達は階段を駆け上がると正面入り口に立つ制服警官に警察手帳を提示。首都警察の水沼警部ですと名乗ると、刑事がお待ちですと案内される。

 ちん。エレベーターが停まり、刑事部屋にわたし達は入る。首都警察の警部と市警察本部捜査一課の刑事二人がわざわざ出張ってきたことで、東洲区分署の刑事部屋には緊張感が漂っている。奥田由紀子の事件を担当した刑事が、額の汗をハンカチでぬぐいながら当時のことを教えてくれる。

「変な事件でしたよ。ある日突然、捜査が中断されたんです」辺りを見回すと声を落として年老いた刑事はわたし達に言う。「圧力がかかって捜査が中止されたというのが正確なところでして、」「捜査資料を見ると、当時、市警察の捜査一課に、捜査協力依頼が出されていますね」大島刑事の言葉に、ええと刑事はうなずく。「覚えていますよ。がっしりとした体形の、こう、目の下に隈のある、」「東方刑事、ですか?」わたしの言葉に、ああ、そうでしたと刑事はうなずく。「ほら、あれでしょう。彼は警官殺しの、」「ええ、そうですね」と大島刑事が答える。「いいアドバイスをしていただいたんですがね、成果を上げられる前に捜査が終わってしまい、残念ながらお宮になってしまいました」「あいつがいい加減な助言をしたから迷宮入りになっただけじゃないのか」という大島刑事の混ぜっ返しに、あり得るなと杉本刑事もうなずく。

 捜査資料を確認し終えると、わたし達は証拠品保管庫に向かう。「それにしても、俺達まで厄介ごとに巻き込みやがって、これは貸しだぞ」と言う大島刑事にわたしは神妙な面持ちで言う。「持つべきものは頼れる先輩ですよね」「変わらないな、お前は」呆れた杉本刑事にわたしは鼻を鳴らす。「褒めてます?」「もちろんだ。お前は何しろあいつの顔面を張った期待の星だからな。もう一度やれ。それで今回の貸しはちゃらにしてやる」「どうしてそんなに仲が悪いんですか?」わたしの言葉に二人の刑事は足を止めてこちらを見る。「先祖に因縁があるんだ」と大島刑事。「遺伝子が反発している」と杉本刑事。仲のよろしいことで。

 ブザーが鳴り鉄格子の扉が開く。証拠品保管室に入ると、刑事は奥から箱を抱えてやってくる。箱の中には被害者の遺留品に事件の証拠品が無秩序に押し込められている。わたしは一つ一つ証拠品をあらためていく。

 被害者の机から押収されたという手紙の束が出てきて、ビンゴ、わたしは一通一通確認していき件の手紙を見つける。七海圭吾が死の直前に奥田由紀子に送った手紙。封筒は東洲区重警備刑務所の刻印が入った既定の封筒。封筒自体に意味はないだろう。中にはコピーで見たのと同じ手紙が入っている。便箋自体は刑務所指定の物。右端に宛先の住所や電話番号、氏名が書かれている。文章自体は前に見た通り、定型文の羅列でここに意味はないように思える。ただ、死の直前に医務室で会っていたという二人。礼なら直接言う機会はいくらでもあったはず。何故、わざわざ手紙を書いたのか。意味がないとは思えない。ここには絶対に何かが隠されている。一体何だ?

 複雑な暗号が隠されているとは思えない。七海圭吾がそれほど知的な人間であるかどうかは知らないが、少なくとも暗号であるならば、送る相手が読めなければ意味がない。この文章がつまらない定型文ならやっぱりつまらない定型文でしかないはずだ。だとすると、他に意味があるのは本文以外の部分ということになる。封筒の宛先は刑務所側が記載した物。とすると、便箋の中の宛先の欄しか残されていない。

 送り先氏名『奥田由紀子』、ここに意味はないだろう。住所、わたしがあの医者からもらったメモと一致している。これも何かが隠されているとは思えない。とすると、

「電話番号?」

 わたしは思わずつぶやく。そうだ。どうして七海圭吾はわざわざ宛先の欄に電話番号など書いたのだろう? 手紙を届けるのに電話番号は必要ない。事実、封筒の方には住所と氏名しか転記されていない。七海圭吾は何のために電話番号を書いたんだ? いや、そもそも七海圭吾はどうやって奥田由紀子の住所や電話番号を知ったんだ。いくら仲が良くなったとしても若い女性が囚人相手に個人情報を教えたりするだろうか。わたしはそういえばとポケットの中からあの医者にもらったメモを取り出す。彼女は電子カルテを開いてこの住所を書いてくれた。きっと奥田由紀子はあの医務室を受診したことがあるのだろう。重病でなくともちょっとした眠剤を処方してもらったことくらいあっても不思議はない。あの医務室には彼女のカルテがあり、彼女のカルテには彼女の個人情報が載っている。だから医者は彼女のカルテを開き、この住所を確認した。七海圭吾も同じことをしたのだろうか。

「だとしてもどうしてわざわざ電話番号を」

 わたしはそうつぶやくと捜査資料に手を伸ばす。七海圭吾が手紙に記載したのは携帯電話番号じゃない、自宅の固定電話の番号だ。だが、押収記録には、ない、ないぞ。事件当時の写真を確認するが、彼女は自宅に電話を引いていないのか? 若い女性だ。携帯電話しか持っていなくても不思議はない。しかも奥田由紀子に家族はいなかったはずだ。身寄りがないのなら実家の電話番号というわけでもないだろう。とすると、七海圭吾が宛先の欄に書いたこの電話番号は、一体誰の番号なんだ?

 番号の照会をかけよう。大島刑事が言うが、わたしはその必要はありませんと答える。そして自分の携帯電話で七海圭吾が記載した謎の電話番号を押す。わたしには確信がある。この番号にかけて受話器を取るのは間違いなく、

「もしもし、七海でございます」

 女性の声。ビンゴ。ほんと、いい勘してる。


 **********


 住所を教えてもらいわたし達が訪れたのは七海圭吾の生家で、古めかしい一軒家のインターホンを鳴らすと六十を過ぎているだろう小柄な女性が出てくる。「七海圭吾の母です」と彼女は頭を下げ、わたし達も丁寧にあいさつを交わす。「本当に親不孝な子です。皆様には最後の最後までご迷惑をおかけして」曲がった背中をさらに大きく折り曲げて頭を下げる母親にわたしはいたたまれなくなる。「それで、本日は一体どのようなご用件でしょうか?」母親の問いに、半年も経ってしまいましたがお線香を上げに伺わせていただきましたとわたしは答える。「刑務所の方ですか」との問いに、関係者ですとわたしは答える。嘘ではない。

 家に上げてもらい殺風景な和室の仏壇でわたし達は手を合わせる。お茶を運んできた母親に、つかぬことをお伺いしますとわたしは話を切り出す。「息子さんが亡くなられてから、どなたか訪ねてきた方はいませんでしたか?」「いいえ。線香の一つも上げに来る方は、」そこで母親は言葉を切ると、それからああそうだ、と思い出したかのように言葉を続ける。「あの子が死んで一週間くらいした頃に一人だけ、若い女性が手を合わせに来て下さいました。あの方も刑務所の方だとおっしゃっていました」「この方、でしょうか?」わたしが差し出した写真を母親はしばらくじっと見つめていたが、やがて首を振る。「すいません。はっきりとは覚えておりません」「そうですか。お茶、ごちそうさまでした。それではわれわれはこれで」立ち上がるとわたし達は一礼する。玄関に向かおうとして、わたしは母親にたずねる。「すいません。実は携帯電話のバッテリーが切れていまして。もしよろしければ電話をお借りすることは出来ますか?」「はい、かまいませんが、こちらです」母親が台所に案内してくれる。台所の隅の電話台の上に置かれた白いプッシュボタン式の固定電話機。留守番電話が38件とたまっているが、どうやら母親は機械には疎いらしい。

「わたし以外に、誰かこの電話を借りた方はいましたか?」「電話をですか。おかしなことをお聞きになりますねえ」そう言うと、母親はしばらく考え込み、「ああ、そうだ。それこそ線香を上げに来てくれたあの方も、たしか電話を貸してほしいと」正解、正解、正解、またしても大正解。わたしは自分の正しさを確信する。それからわたしは受話器を手にすると、ボタンを一つ押す。


 **********


「証拠を見つけてきました」

 中央管理棟の取調室の扉を開くなりわたしは言う。

 あれから半日近く経ったが、彼はまだこの小さな部屋の中で囚人に相対している。ずっとここでわたしを待っていてくれたのか。ゆっくりと振り返った彼は、わたしとそれに付き添うように立つ二人の刑事の姿に鼻を鳴らす。

「遅えよ、まったく」


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