第17話 開戦

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「手紙を書いているな」

 彼の言葉にわたしはえ、と顔を上げる。

「見逃していた。見ろ、刑務所では囚人が出す手紙はすべて中身がチェックされコピーがとられる。七海圭吾のカウンセリングの診療結果の資料の中に含まれていた。どうやら七海圭吾殺しの際の内部調査はまともに行われていたらしい。七海圭吾に過去に問題行動がなかったかも詳しく調べている。まったく。ここまでやってどうして正当防衛なんて結論になるんだ。管理委員会は頭が悪いのか?」

「あるいはわざと見逃したか」

「わざと? 何故、何のために。管理委員会はあいつらに弱みでも握られているのか? 加藤の部屋を見ただろう。同僚相手の違法賭博で小銭を稼ぐジャンクフードが主食で家族に捨てられた独り身の中年。法務省相手に脅迫を行う器量もなければ頭脳もない。単に内部調査でヘマをしただけだ。結論。管理委員会は頭が悪い」

「それはともかく手紙には何と?」

 彼はわたしに向かってファイルをつつっと滑らせる。七海圭吾の手紙のコピー。手紙は死の二日前に出されている。今となっては会うことも話すことも出来ない男の遺した最後の言葉。どうやら感謝の手紙らしい。ありふれた文章、ネットで調べてそのまま書き写したような定型文の礼状に見える。お世話になった人に一生懸命文章を調べて書いたのだと思うと健気に思えるが、死の二日前ということを考えればまるで自分の死期を悟っていたかのようにも見えてくる。それにしてもこの手紙、一体誰に宛てたものなのだろうか。

 手紙の宛先も記録が残されている。名前を確認し、わたしはふと首をかしげる。どこかで聞いたことがある。顔を上げると彼がこちらを見ているのに気付く。目が合って、どうかしましたかとたずねると、彼はその名前、とつぶやく。「どこかで見たな」見た? 聞いたじゃなくて。それからわたしは理解する。そう、わたしはこの名前を知っているが、聞いたんじゃない、見たんだ。どこで。資料の中で。それが一体どこだったか。わたしが記憶の扉を開くよりも早く、彼は別の資料を手に、わたしの方に向かってファイルを滑らせる。これは、七海圭吾の診療記録? そうか。わたしは思い出す。七海圭吾の診療記録、カルテの写し。その中に名前があったんだ。医務室の看護師、それが、七海圭吾が手紙を出した相手。七海圭吾が殺害された二週間前、医務室を受診した際に対応した看護師だ。余程手厚く看病されたのだろうか。彼なりに必死に調べてお礼状を書き上げた。

 いや、本当にそうだろうか?

 わたしには何か小さな違和感がある。もう一度、七海圭吾の手紙のコピーを見る。便箋は刑務所指定の用紙らしい。用紙の右には囚人の名前、そして宛先の名前と住所を記載する欄がある。囚人の手紙を検閲し、また余計な物を封筒に入れさせないために、囚人の書いた手紙は刑務所側で封筒に詰められ、囚人が指定した宛先に送られる。この便箋。何だ、わたしは何かに引っかかっている。手紙は手書き。とってつけたような定型文。どこにもおかしい点は見当たらない。宛先の欄には、看護師の名前、住所、電話番号が記載されている。本文の筆跡と同じ。だからどうした。それが、どうした? わたしは何に引っかかっている?

 がちゃり。

 突然の音がしてわたし達は扉の方を振り返る。分厚い扉が開き、そこに不愛想な刑務官が立っている。

「中央管理棟にお部屋の用意が出来たとのことです。ご案内します」

 有無を言わせぬ口調。

 わたしは彼と顔を見合わせると、それじゃあ行きましょうと立ち上がる。


 **********


 松井の取り調べを終えたわたし達は、再びD区画に戻ってくる。

 機密書類保管庫横の資料閲覧室に入り扉を閉じると、わたしは自然とため息がこぼれる。あれで良かったのだろうか。わたしはつい不安に駆られて彼の顔を見る。「そんな顔をするな。悪くなかった。こちらの立場を明確にし、向こうの取るべき選択肢を示した」彼はそう言うと、部屋の隅に置かれている長椅子にどっかりと腰掛ける。「今頃は、ダメージコントロールに必死なはずだ。誰を生贄に捧げるのか。落としどころをどこに持っていくのか。そう簡単に結論は出ないだろうが、な」彼はそれからごろりと長椅子に体を横たえる。「ま、あとはとりあえず、向こうがどう出るのか待つさ」そう言うと仰向けのまま目をつぶる。寝るつもりか。別にまあ、いいけど。

 わたしはイスに座ると机の上に広げられた資料を自分の方へと引き寄せる。さあ、どこまで目を通していたんだっけ。そうだ、七海圭吾が死の直前に医務室の看護師に手紙を出していたということ。しかもわたしはその手紙に何かしらの違和感を持ったのだが、その正体がわからずじまいだった。そんなことを思い出しながら頬杖をついてもう一度、手紙のコピーに目を通す。一体、あの時、わたしは何に違和感を、一体、何に。

「早過ぎるな」

 唐突な声に、わたしははっと顔を上げる。連日の疲れが押し寄せて、いつの間にかわたしはうつらうつらとしていたらしい。よだれを手の甲で拭いながら声の主の方を振り向くと、長椅子に仰向けに横たわったままの彼はお腹の上で手を組み、まだ両目を閉じたままでいる。早過ぎるって? そう聞き返すよりも前に、遠くからこちらに近付いてくる足音が聞こえてくる。

「こちらの予想を上回ったな」彼は目を閉じたまま忌々し気に言い捨てる。「あいつら、本気で俺達と喧嘩する覚悟を決めたらしい」

 どういう意味? その時、扉がノックされるとこちらの答えも待たずに扉は開かれる。刑務官を二人引き連れた小柄な爬虫類顔の男の姿がある。

「囚人が自白しましたか?」

 長椅子に横たわったまま彼がたずねる。ええっとわたしは彼を見て、それから刑務官達を見る。まさか、まさか、そんなこと。そんな選択肢を。わたしはぶるぶると全身が震える。甘く見ていた。わたしは同僚の言葉を今更思い出す。水沼、気をつけろ。あそこは普通じゃない。そんな。考え得る最悪の手段を選択するなんて。

「仮釈放の可能性のない終身刑の囚人なら、殺人の罪状が一つ追加されたとしても失うものは何もない。それよりもおたくらに貸しを作り、D区画内で確固たる立場を勝ち取る方が得策だと考える奴がいたとしても不思議はない。その犯人に、違法賭博も七海圭吾の一件も事件とは関係ないと証言されれば、それ以上俺達は何も手出しが出来なくなる。すべてを有耶無耶にすることが出来る。当然、可能性の一つとして想定はしていたが、おたくらにそれを選択するだけの度胸はないと思っていた。甘く見ていた。反省している。まさか本当にやるとはな」

 長椅子の上の彼の横顔は、壁の橙色のランプに照らされ分厚い陰影が映し出されている。

「何を言っているのかわかりませんね」

 先程狼狽を見せていた小さな鰐男は、人が変ったかのように強気で自信に満ち溢れているように見える。

「D区画の日常を取り戻すために、囚人達の間で自発的な犯人探しが始まり、その結果、一人の囚人が自白したんです」

「でっち上げだ」

「あなたをこの事件の担当に推薦したのは大間違いでした。一年近くまともに殺人事件の捜査をしていないと聞きましたよ。見当外れな推理、いえ、妄想を垂れ流すのは結構ですが、これ以上、それに付き合うわけにはいきません」

 彼はぎろりと両目を開き、顔だけを鰐男の方に向ける。

「囚人にはどう証言するかちゃんと指導しましたか?」

「東方刑事、」鰐男は低い声で言う。「今のあなたの発言は看過出来ません。市警察に正式に抗議するつもりです」

 鰐男のその言葉に、彼は突然、甲高い声で下品な笑い声を上げる。場違いな声が部屋に響き渡り刑務官達の顔が歪む。彼はそれからむくりと体を起こすと、深々と背もたれたまま鰐男の顔を真っすぐに見る。

「その必要はない。おたくらがその選択肢を選んだ時点でこれは戦争だ。市警察と全面的に対立してまで秘密を隠蔽することに決めたんだろ?」

 静かな口調だが、彼の声には少しでも動いたら鋭利な刃物で切り刻まれるような気配がある。わたしは息を吸うのもはばかられ動けないでいる。

「囚人の一人が、加藤の殺害を自供しました。これから報告書を管理委員会に上げます。捜査はこれで終了です」

「違う」

「違う?」

「犯人かどうかはわれわれが取り調べをして判断します」

「必要ありません。自白調書もこちらでとります」

「これは殺人事件の捜査であり、すでに未未市警察捜査一課の公式な捜査となっています。自白した囚人は市警察に移送しこちらで取り調べます。手続きを始めて下さい」

「無理ですよ刑事さん。自白したのは重罪犯です。刑務所長の承諾がない限り刑務所から出ることは出来ません。何よりD区画は政府機関です。D区画内で起きた事件の取り調べはD区画内で行う決まりになっています」

「そこまで強気に言い切るということは、刑務所長もすでに上手く言いくるめたらしい」

「どう思われてもけっこうですが、囚人はD区画から出すことは出来ません」

「だったらここで取り調べをするだけです。ですが、その取り調べにあなた達を立ち会わすことは出来ません。囚人にどう答えるか手引きされたら困りますしね」

 その言葉に鰐男の顔色がさっと変わる。

「君は今、一線を越えたぞ。最早その発言は許せん」

「だったら刑務所長を呼んで来いよ。おたくじゃ役不足だ」

 彼はぬるりと立ち上がると、鰐男の目の前に立つ。

「俺をこの事件に巻き込んだのはおたくらだ。おたくら自身が始めたんだ」それから彼は耳元まで裂けたかのように口元を歪めて言う。「覚悟はいいか?」


 加藤刑務官殺害事件第一容疑者取り調べ


 東洲区重警備刑務所D区画、管理エリアの取調室。

 手錠で机につながれた長い髪の囚人がうなだれてイスに座っている。

 対峙するように机の反対側に座ったわたしは囚人にたずねる。

「それではまず、あなたの氏名、年齢、罪状をお聞かせ下さい」

 わたしがそう言い終わるよりも先に、囚人は自ら話し出す。

 まるで脚本を読み上げるかのように淀みなくすらすらと。


「俺が殺した」「俺が、殺したんだ」「監房を抜け出した」「あいつは普段から気に入らなかったんだ」「殴られたこともある」「呼び出した」「ずっと思い知らせてやろうと思っていた」「前日に約束した」「図書室で会うことを約束した」「俺が殺した」「俺が殺したんだ」「ナイフで背中を刺した」「三度、」「三度刺した」「ざく、ざく、ざく、」「三度、」「ざく、ざく、ざく、」「三度刺した」「俺が刺した」「俺が殺したんだ」「ざく、ざく、ざく、」「俺が殺した」「ざく、」「ざく、」「ざく、」


 わたし達は黙ってその言葉を聞いている。

 取調室の扉が開き、そこに一人の刑務官が入ってくる。こちらを一瞥したあと、無表情に言う。「未未市警察捜査一課長がお呼びです」わたしは彼を見る。彼は顔色一つ変えずに囚人をじっと見たあと、淡々と宣言する。

「取り調べを中断する」

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