人魚と内緒話~海洋冒険奇譚『水平線の彼方へ 』
立積 赤柱
人魚
第1話 波打ち際
すべての出会いには意味があるらしい。
「ガイジン!?」
最初はどこかの……そう、外国の船から落ちた人だと思った。
日の本が明治とか言う新しい時代になって、頻繁に異国の船が目の前の海を通るようになったからだ。
彼女は潮だまりの岩にうつ伏せになって倒れていた。上半身だけが潮から出ている。目の入ってくるのは、不思議な髪型。腰までありそうな長い髪を、縄のように編んであった。髪の色は自分と同じ黒色だが、潮風に焼けてボロボロになったくすんだ色ではない。まるで
着ている物が青やら桃色やら、見たことのない色をしていた。それに……
まるで、まるで……海彦には表現できなかった。
ようやく表現できる物を思いついた。
「――うっ……」
声をかけた彼女がうめき声を上げた。生きているようだ。
「しっかり!」
とにかく、水の中から引き上げなければ――
気を失っている彼女の脇に手を入れて持ち上げた。妙に重い感じがした。海に落ちた大人の男を持ち上げたことがあるが、それよりも重いぐらいだ。
「えッ!?」
突然、驚くべきものが目に入ってきた。
下半身が人ではなかった。
――なッ 何だ。これは!?
脚がない。まるで
潮の下から姿を見せたのは、イルカのようなヌルッとした皮膚に尾っぽが見えた。よく見れば、彼女の細い指の間には水掻きのような
――噂に聞く半人半獣の
そう思った途端、海彦は、恐ろしくなって手を離してしまった。
おかしな話だ。海を自由に泳ぎ回れるはずの人魚が、まるで溺れているようだ。
しかし、まれにクジラが砂浜に打ち上げられたことはある。大海原を住み処としているクジラが、打ち上げられることもあるのだ。人魚もおかしくはないだろう。
彼女は化け物であったが、海の中へ消えていく姿……消えていく泡ぶくを見ていると、彼はいても立ってもいられなくなった。
――人魚は……でも!
気が付けは、海に飛び込んでいた。
そして、沈んでいく彼女の手を取ってしまった。
――勢いで助けてしまったが……
海彦は結局、人魚の彼女を海から引き上げてしまった。
あらためて見ると、普通の少女としては大きい。頭の先から尾っぽまでの長さは5尺6寸――約170センチ――あるかもしれない。身体の大半は
しかし、よく見れば身体中に傷があった。擦り剥き、ぶつけたような
「――うッ!」
苦しそうに彼女が声を上げた。
そこで、海彦は少しドッキッとしてしまった。
助けた人魚の歳なんて分からないが、顔をよく見れば人間からしたら幼さもある。自分の歳より少し下。自分が17なので、となると14かそこら――
そんなことを思うと、ますます彼女を直視できなくなってしまった。
「助けたのはいいが、どうすれば……」
気を失っているようだが、魚なんてどうやって手当していいのか分からない。
しかし、今の硬い岩の上では可哀想だ。
――とりあえず、ウチに連れて行こう。
彼女を抱きかかえる。
人の少女も抱えたこともないが、ずっしりと重い。海で鍛えられた彼であったが、重く感じた。恐らくイルカの部分の所為かもしれない。
幸いにも彼の家は一人きりだった。両親は早くに亡くし、双子で兄がいた。双子は忌み子として嫌われ、村では疎まれていた。
そして、兄は数年前に漁に出たきり、行方不明になっている。何とか彼女を家に運び込めば、隠すことは出来るだろう。
――村の人に見つかったらまずいな。
女の子――だと思われる――だとは言っても、人魚は妖怪だ。
人魚。海彦の記憶では、それは凶兆だと言われている。世の中が明治とかいう新しい時代が変わったばかりで、みんな敏感になっているときだ。しかも数年前に、村人の働き手が半数以上、漁から帰ってこなかったこともあった。何と言われるか分からない。
彼女を助けるためにも、村人には見つからないに越したことはないだろう。
※※※
彼の家と言っても、粗末な掘っ建て小屋だ。
集落の端っこに位置した場所にあり、何度も修理を繰り返していた。扉も無い。材料が買えないからだ。入り口には使い古しのムシロで、中と外を区別している程度だ。
――他の村人には見つかっていない……と、思う。
彼女を運び込んだのはいいが、中に入っても土間しか無い。あった床板は全部、壁の修復に使ってしまった。
自分はどう横になっているかと言えば、ムシロを地面に広げただけだ。それしか無いのだから仕方がない。土の上に寝かせるよりはマシであろう。
――服を脱がせる……本当に?
ムシロの上に寝かせたが、濡れたままの服のままでは可哀想に思えた。唯一ある自分の着替えを持ってきたが、古ぼけた灰色の麻の着物だ。彼女の着ている着物と比べたら、本当にみすぼらしい。だけれど、これしか無いのだ。
彼女の上半身を起こして肩に手をかけたが、白い肌が目に入ってきた。
――人間じゃ無い。人間じゃ無い。
頭に血が上るのを押さえつつ、彼女のキレイな服を脱がせた。
慌てて自分の着物を着せて、前をあわせた。考えれば、彼女の人間の部分は自分の歳に近い少女だ。村にも若い女性などほとんどいないし、女の裸など見たことがない。
濡れた彼女の着物は本当に綺麗だ。だけれど……考えていて見れば、こんな綺麗な着物を乾かしていたら、村人に見つかってしまう。
彼女の着物を単に脱がして、裸を見ただけ――
人魚だとは言っても、海彦の頭の中にはすでに年頃の少女に見えている。くすみのない白い肌、柔らかそうな頬、くっきりとした鼻筋、緩やかな曲線……しかも、嗅いだことの無い甘くいい匂いもしてくるではないか。
「おい、海彦はいるか?」
突然、入り口のムシロの向こうに人影が現れた。
「なっ、何だ!」
村の者のようだ。
入ってくるかもしれない。慌てて彼女にムシロをかけて隠した。
海彦は飛び上がると、入り口に向かって走り寄った。気付いていないかもしれないが、彼女の身体はムシロで隠れていなかった。下半身……尾っぽが完全に見えている。
「どうかしたのか?」
入り口にしているムシロの向こうにいたのは、隣に住む
彼が怪訝そうな顔をして、中を覗こうとしたが、海彦は覗かれまいと外に出て話をする。
「何でもない。それよりどうかしたのか?」
「ああ、いや、村に知らない奴が来ている」
海彦は、知らない奴と、言われた途端ドキッとした。だが、よく考えてみれば、匿っている彼女ではないはずだ。
「誰?」
「なんだかよく解らん。異国人のような格好をした日の本の者だ。
村の者を集めろ、と騒いでいる」
「なんで?」
「何かを捜しているようだ」
捜している……その言葉に、家の中を見ようとした。だが、すぐに思いとどまる。
人魚をかくまっていることを悟られるかもしれない。できるだけ、隠し続けなければならない。
「それで俺を呼びに来てくれたのか?」
「ああ、見つけた者に
「金? それは本当!?」
金と聞いて、心が揺らいだ。
この村では食料その他は、昔からほぼ物々交換だ。だが、金がなければ手に入れられないものはたくさんある。自分の家の木材だってそれだ。
それにあっても困るものではないだろう。
何か見つけるだけで、金をくれるというのは魅力的だ。後で思えば、そんな上手い話があるわけではないが、目先の『金』と言う言葉に目をくらんだ。
「どこで!」
「こっちだ!」
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