瘴気の森

 イリヤの二日酔いがある程度回復するのを待ってから適当な店で昼食を取ったあと、2人はルミナスの森にに向かった。ルミナスの森はかなり広範囲に広がっているが、港街カーディナルを中心に道がきちんと整備されている。

 しかしここ数日、魔物の出現が相次いで報告に上がっているらしい。らしい、というのは昼食を取った店で誰かが話しているのを耳にしたからだ。そのせいかこの森ですれ違う商隊は、冒険者を護衛として雇っているようだった。


 しばらく歩いていると、ひとつの商隊から呼び止められた。正しくはその商隊の護衛を務めているであろう冒険者から。


「お前ら今からこの森を抜けるのか?やめておけ、この先は危険だぞ」


 危険、というワードがイリヤに引っかかった。


「どういうこと?この先に何かあるの?」


 イリヤの質問に、危険だと告げた冒険者が答える。


「この先で瘴気が広がってる場所があったんだ。幸い、俺達が通るときは道にまでは広がってなかったから良かったが……俺達がその場所を通り過ぎてからかなり時間が経っているし、今はもうどうなっているか分からない。腕の立つ冒険者がその件を片付けるまで待ってた方がいいぜ」


 瘴気とは魔物の放つ毒のようなもので、解毒薬や治癒魔法ヒールで簡単に回復するものではなく、多くの人々にとって厄介なものだった。また空気中に霧のように広がり、誤って吸い込んでしまう事も、厄介と言われる理由のひとつだ。瘴気に侵された人は魔物の毒に苦しみ、場合によっては命に関わることもある。

 情報をくれた冒険者に「ありがとう、どこかで適当に休んでから行くことにするよ」と礼を言い、去っていく後ろ姿を見送る。見えなくなったところで「さて」とお互い顔を見合わせた。


「瘴気だって……セトはどう思う?」

「怪しいな。調べる価値はあると思う」

「だよね。私もそう思う」


 ルミナスの森にはカーディナルに続く多くの道がある。そのため、冒険者が定期的に魔物を討伐して人々が安全に道が利用できるように管理されてきた。しかし、店で聞いた魔物の出現。カーディナルにいる冒険者が足りず、魔物の討伐が間に合っていないのかと考えたが、イリヤはそれは違うと判断した。もしそうであれば、とっくに他の地方から多くの冒険者や討伐隊が派遣されているはずだ。そして急に発生した瘴気。おそらく関係があるだろう。


「多分、何かしらの理由で魔物が急激に増えて瘴気が発生したんだと思う」

「魔物の急増か……何か俺達にとってのヒントがありそうだな」

「あの人が言うには、この道を進んだところだったよね。急ごう。被害が出る前に行くよ」

「ああ」


 イリヤは先を急ぐように走り出す。ワンテンポ遅れて、セトも後を追うように走り出した。


◆◇◆


 件の現場はひと目見て分かるほど酷い有様だった。2人が到着した頃には既に瘴気が道にまで広がり、あたりの木々は枯れてしまっていた。


「酷い……瘴気の発生源はどこ?」


 じっと瘴気の霧を観察する。ゆらゆらとある方向から流れてきている僅かな動きがあった。


「向こうだ!急ごう!」


 発生源であろう方向へ走る。途中、瘴気に触れてしまった動物たちの死骸がいくつも転がっていた。


 瘴気の流れを辿っていくと、一際濃い霧に覆われた場所があった。


「待てイリヤ。これ以上近付けば俺達が保たないぞ」


 セトに腕を引かれて瘴気に向かって動こうとしていた体が止める。目の前に発生源があるのに、これ以上近付けない。近付いてしまえば、自分達が瘴気に侵され命を落としてしまう危険があるからだ。


———何てもどかしい……目の前にあるのに原因すら確かめられないなんて!


 イリヤは悔しさのあまり奥歯に力が入る。これ以上被害が広がらないようにするためにはどうすれば———。


「だれか、いるのか……?」


 その時、今にも消え入りそうなか細い声が聞こえた。


「今の声……」

「ああ、イリヤにも聞こえたか?誰かが近くにいるみたいだ」


 セトにも聞こえたようだ。2人は顔を見合わせた。


「誰かいるの!?聞こえたら返事をして!」


 イリヤのその呼びかけに、力ない返事が聞こえる。間違いない、やはり近くに誰かがいる。2人は声のした方向を探した。

 声の主はすぐ近くにいた。茂みの中に隠れるように、小さな少女が倒れていたのだ。その少女は血を流してぐったりとしている。相当な血を流したのだろうか、顔色が非常に悪く紫の色をしていた。


「君、大丈夫?もう安心して、私達が何とかするから」


 倒れている少女に近寄り、怪我の具合を見ようと駆け寄る。そして、その少女の容姿を見て驚いた。先の尖った耳に、陽の光に輝く金髪。


「イリヤ、その子……」


 セトの声に頷く。この特徴は間違いなく———。


「うん、エルフ族だ」


 エルフ族。人間よりも長い時を生き、美しい容姿に膨大な魔力量を誇る種族。森の奥深くに里があると言われているが、詳しい位置や真偽も明らかにされていない。

 そんなエルフ族が何故こんなところに……。


治癒魔法ヒール


 少女に癒やし効果のある魔法をかける。ゆっくりと傷口が塞がっていき、顔色も血色を取り戻していった。


「うっ……」


 うっすらとエルフ族の少女が目を開いた。その瞳は宝石のように真っ赤に輝いていた。


「気が付いた?他に痛いところはない?」

「お主らは……?」

「私達は瘴気の出処を探していたら君を見つけたの。ここで何があったの?」


 エルフ族の少女はゆっくりと視線を動かす。そしてイリヤの方を見ると、驚いたように目を見開いた。


「お主、その首の紋章は……!」


 イリヤの腕を掴み、じっと見つめる。そして少女は、追い詰められたような表情で一瞬押し黙った。


「掟を破ること、皆の者どうか許してくれ」


 ぽつりとつぶやいた言葉は、イリヤ達の耳には届かなかった。

少女はイリヤの両目をじっと見据え、真剣な眼差しで言う。それは叫びにも近い悲痛な声だった。


「お主らを信用に足る人間と判断して、無礼を承知で頼みがある。どうか、我らを———エルフ族を助けてくれ」

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