酒に飲まれた独り言

 イリヤとセトが隣街のカーディナルに到着する頃には、既に陽が傾きオレンジ色の空が広がっていた。ひとまず2人は休むために宿を取ることにした。手持ちのないセトは自分は野宿でいいと渋っていたが、イリヤが強引にセトを部屋に押し込む。ここまでされてはさすがに引き下がれず、仕方なく宿で休む事にした。


 しばらく部屋で休んだ後、2人は腹ごしらえに街で一番大きな酒場に入った。イリヤ曰く「パーティー結成記念」も兼ねているだとか。

 カーディナルは港が栄えた比較的大きな街で、獲れたての海の幸が名産である。2人が入った酒場も、他の地域では食べることのできない刺し身や、漬けにフライなどの美味しい料理が評判の店だった。いくつか品を注文し、先に来た酒で乾杯をして一気に喉奥へながしこむ。


「美味しいねー!やっぱ長旅のあとの一口目は最高だね!」

「いいのか?食事代まで見てもらって」

「ん?ああ、大丈夫だいじょーぶ!パーティー抜けるときに勝手に財産分与してきたから!」

「財産分与って言葉の使い方合ってる?」

「いいのいーの!細かい事は気にしない!むしろ私が稼いだお金が大半だからこのくらい貰わないと割に合わないのよ。それに、前のパーティーで稼いだお金なんて縁起が悪そうじゃない?今はもう新しくパーティー組んだんだからさ。早く使いきりたいのよね」


 だから遠慮しないでどんどん食べてね!と言うイリヤに、「じゃあ遠慮なく」と笑い返す。


 出てきた料理はどれも美味しいものばかりだった。海産物はどれも新鮮で、刺し身は上品な脂にほんのりとした甘みがあり、フライにしたものは衣がサクサクで思わず頬がとろけてしまった。こうなれば酒の進むスピードも早く、イリヤは次々とグラスを開けていく。その面白いほど積み上がるグラスを、セトは若干引き気味に眺めていた。ペースが速すぎやしないか。酒に強いのだろうか。

 一方セトは酒に弱く、下戸である。どちらかと言うと酒はちびちびと唇を湿らす程度で、出てきた料理に舌鼓を打つ方が好きだ。あらかじめイリヤに酒が苦手であることを告げているので、この店のチョイスもそういった理由だろう。これだけ酒が飲める人間が「ここらで美味しい料理の出る酒場はどこですか?」なんて、聞かないはずだ。酒好きなら「美味しい酒の飲める店」と訊ねるからだ。


 また気を使わせてしまったと、申し訳ない気持ち半分、ありがたい気持ち半分。今日1日で一体何個の借りを作ってしまったのだろう。あまりにも情けない気持ちになってくる。


ーーー明日からは借りた分をしっかり返さないと。


 グラスに口を着け、こくりと喉を震わす。目の前の勇者がだんだん呂律を怪しくしてきたことに関しては、いったん目を逸らすことにした。


◆◇◆


 見事に出来上がったイリヤは、テーブルに顔を突っ伏し静かに寝息を立てていた。開けたグラスは25個。これは全てイリヤが一人で飲んだ量である。セトはグラス2個が限界で、イリヤの酒豪っぷりを見て先が思いやられた。次から酒場に入る時はセーブして飲んでもらわなければ。

 というよりも、少しは警戒して欲しい。いくらパーティーの仲間とは言え、出会ったのはつい数時間前だ。しかもその出会いは財布を盗った側と盗られた側。お互いのこともまだロクに知らないのに、何故目の前にいる女はこうもすやすやと寝こけていられる。俺は男だぞ、と内心ツッコミを入れたが、入れたところで起きてくれるわけがない。

 セトはイリヤの肩を揺さぶり声をかける。


「イリヤ、会計して店を出るぞ。少し飲み過ぎだ」

 

 少し、は気を使った表現だ。本音は引くくらい飲んでいる。


「うーん……セトが払ってえ……私のお財布取っていいからあ」

「あんたの財布はどこにあるんだよ」

「ぽけっと……セトならわかるでしょお?」


 皮肉でも言われているのかと思ったがここは我慢だ。酔っ払い相手に言い返しても意味がない。セトはイリヤのポケットから財布を取り出し、会計を済ませる。女性のポケットに手を突っ込む行為に少し抵抗があったが、本人の許可があるのだから仕方ない。金額はセトが想像したよりも安いものだった。美味しくて財布にも優しい酒場。なるほどこれは人気の店なわけだとひとり感心する。

 酔い潰れたイリヤを担ぎ上げて店を出た。酔い潰れて仲間に担がれてる女がまさか勇者など誰が思うのだろう。冷たい視線が突き刺さる。事情を知らない周囲の目には、2人はそれだけ滑稽に写った。まるで自分が酔わせてお持ち帰りしてしまったように思われていそうなことが、激しく心外で意を唱えたい。


 ようやく宿に帰り着いた。イリヤの部屋の前で彼女に声をかけるも返答はない。完全に眠ってしまったようだ。

 深くため息を吐いてしばらく考えた。女性の部屋に勝手に入ることに躊躇いがあったからだ。宿の人を呼ぶか、それとも諦めて部屋に入るかーーー。


 結局、セトが最後まで面倒を見ることにした。これから先、同じことが起きるたびにいちいち他人を呼んで迷惑をかけるわけにはいかないからだ。そのくらいなら、さっさと自分が慣れてしまった方が手っ取り早い。


「明日文句言うなよ」


 聞いてはいないだろうが念の為声をかけてから部屋に入る。イリヤは宿を綺麗に使うタイプのようで、彼女自身の荷物はひとまとめに部屋の隅に置かれていた。

 ゆっくりとベッドに降ろし横に寝かせると、「うぅん……」とかすかな唸り声が聞こえてきた。


「起きたのか?起きたなら自分で、」

「ひとりに、しないで……」


 ぽつりと零した震える声に心臓が嫌に音を立てた。きっとそれは彼女の心からの本音で、証拠は閉じられた瞳から流れ落ちた一筋の涙。次々と頬を伝っていくそれは治まることを知らないというように、無遠慮にシーツにシミを広げていく。伏せられた長いまつ毛が涙で濡れて月明かりがきらきらと反射していた。

 表面上は強がってはいるがやはり本人にとってはショックが大きいのだろう。信頼していた仲間に裏切られたのだ。それも心底くだらない理由で。今思うとあの酒の飲み方もやけ酒ではないだろうか。

 明日に控えているであろう二日酔いが若干恐ろしいが、可哀想なので薬を調合してやるとしよう。幸い故郷を出る時に持ってきた手持ちの薬草で簡単に作れるものだ。


「あんたはもう、独りじゃないだろ」


  つぶやいた言葉は誰に聞かれるでもなく空に溶ける。セトは丁寧に布団をかけてやり、「おやすみ」と一言残して部屋を後にした。

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