盗賊の青年

 財布を盗った男は街を出てすぐの森に入って行った。男は森に入ってしばらくして、辺りを見渡し誰もいない事を確認すると大きな木に隠れるように腰を下ろし、荒れた息を整える。男はつい先ほど手に入れた財布を眺めた。手に感じる重量からして、かなりの金額が入っているだろう。財布の持ち主はかなり身なりの良い冒険者のようだった。身に着けている装備も街で売られているような既製品ではない。おそらく彼女のオーダーメイド。サラサラとした手入れの行き届いた、ブロンズのロングヘアが印象的な、碧眼の顔立ちの整った女。


 正直、財布を盗る行為にかなりの良心が痛む。しかし、彼はここ数日何も食べていない。無一文なのだ。


「ごめんなさい」

 

 彼は誰に言うわけでもなく、ぽつりと呟いた。そして財布を開こうとしたその時。


「誰に謝っているの?私?」


 突然、頭上から声が降ってきた。慌てて顔を上げると手に持っている財布の持ち主の、さっき街で標的にした冒険者の女。周りを確認したはずなのに、人はいなかったのに、どうしてここに……。


 ―――逃げないと!


 そう、男の思考が答えを出すよりも先に、自身の周りを取り囲む氷の刃。確実に男を捉える意思を持った鋭い氷は、男の体ぎりぎりの所を攻め、一切の動きも許さないと言っているようだった。いつ氷の魔法が展開されたのかも分らない。手を出した相手は相当の手練れだ。


「捕まえた」


 女のその言葉に、男は投降するしかなかった。


「……ゴメンナサイ」


 彼が両手を挙げると、女は抵抗の意志が無いと受け取り男を取り囲む氷の刃を解除した。


 ◇◆◇


 男はフードを外せばなかなかの美青年だった。あまり日焼けをしていない肌が、夜を思わせるような真っ黒な髪によく映える。薄い唇は少し血色が悪いようだが、エメラルドの瞳には力強さが残されていた。くたびれたフードを被っている時はかなり年上かと思ったが、今はイリヤとあまり変わらない年齢、もしくは年下のように見える。


「俺の名前はセト。財布を盗って悪かった」


 セトと名乗る青年はイリヤに財布を返して地面に手をつき深々と頭を下げた。


「ここ数日まともに食事と採っていなくてつい魔が差した。許されることではないけど本当に申し訳ない」

「何も食べてないの?」


 イリヤがそう訊ねるとセトは黙って頷く。イリヤは革の鞄から持っていた携帯食料を取り出してセトに差し出した。セトは少し戸惑ったが、イリヤが強引に押し付けるので押し負けて一口かじった。


「うまい」

「そう?なら良かった」


 イリヤが満足したように笑うと、セトは携帯食料を一気に食べ切った。久し振りに口にしたものは美味しくて、たとえそれがイリヤにとっては非常食だとしても、今のセトにはご馳走だったのだ。


「どうしてこんなことをしたの?」


 ぽつりと向けられた言葉。刺のなくやわらかな口調は、不思議とセトの口を軽くした。


「詳しい事情は言えないが……故郷を追われて飛び出して来たんだ。盗賊という職業も、俺の本来の職業とは違う」


 この世界には人々に「職業」が振り分けられており、それぞれの職業に応じて固有スキルが存在する。剣士なら剣の才能があり、魔導士なら魔法の才能。盗賊であれば盗み―――盗賊の冒険者は魔物の素材や持ち物、武器等を奪うことができる。また、ダンジョン攻略時には財宝の在処を察知できるなど、重宝される場面は多い。名前で損している職業といっても過言ではない。


「じゃあ、元々は違うんだ?」

「ああ……実は盗みスキルを使うのも初めて」

「どうりで。とても分かりやすかったよ」


 いたずらっ子のようにイリヤは笑う。実際、財布を盗られたことにはすぐに気付いていたし、肩のぶつかり方もその後のセトの反応も、とても不自然なものだった。本職が盗賊でなく、盗賊の固有スキル「盗み」を使うのが初めてだとすれば納得の事だった。


「やっぱり?俺怪しかった?」

「とても怪しかった」

「だからすぐ追いつかれたのか」


 慣れない事はするもんじゃないね、とセトは苦笑いを浮かべる。


「そういうあんたは?その身なりからして高ランクの冒険者か何かだろ?」

 

 セトのその質問に、今度はイリヤが苦笑いを浮かべた。


「あー……実は私もパーティーを追放されたんだよねえ」

「へぇ。さっきの魔法、結構高度なモノに見えたけど。それでも追放されるんだ?いったいどんな高ランクパーティーだよ」

「あははー……」

「職業は?やっぱり魔導士か?詠唱なしにあれだけの高度な魔法を展開できる魔導士はめったにいないよ」


 純粋に才能を褒めてくれるセトに対して、イリヤはとても居心地が悪かった。しばらくの沈黙の後、重たい口を開く。


「勇者」


 ……。


「……は?」

「勇者」


 開いた口が塞がらない、とは、まさしく今のセトを指す言葉なのだろう。あんぐりと目を見開いてイリヤを凝視する。


「勇者が追放されるってまじ?」

「……まじ。それも今日」


 再び流れる重たい沈黙。次に沈黙を破るのはセトの番だった。


「追放された後に財布盗まれるって可哀想」

「君が言うのは違うんじゃないかなあ……」






 ———魔王が現れるとき、勇者は再び世界に降臨する。


 これは世界の人々が赤子の頃から聞かされる、勇者伝説の決まり文句である。魔族の王「魔王」が現れる度に、正義の女神テミスが、その時に最も勇者の称号を得るにふさわしい者を選び、勇者の証を身体に刻み指令を出す。勇者の指令を受け取った者は絶対的な正義のもと、魔王を討ち世界に平和をもたらす。誰もが憧れる存在であり、正義の女神に選ばれた人物。


 それが「勇者」という存在であり、勇者と共に旅をして魔王を討つという事は、どんな称号よりも名誉あるもの―――にもかかわらず、パーティーから追放された勇者イリヤ。


 イリヤは首筋にある天秤のような痣を見せた。これこそが正義の女神に認められた勇者の証だとイリヤは語る。


「勇者パーティーの名誉を捨ててまで追放するって……何があったんだよ」


 心底不思議そうに訊ねた。財布を盗んだことを必要以上に追求せず、腹を空かせていると言えば持っていた携帯食料を躊躇いなく差し出し、今もこうして盗人の隣で悲しそうに目を伏せる彼女が、どうしても追放されるような人物には見えなかったのだ。例えば仲間を盾にするとか、暴言を吐くとか。

 あまり触れられたくないのだろうか。聞かなかった方が良かったか?と内心焦ったが、やがてイリヤはゆっくりと口を開いた。


「私のいたパーティーって戦士以外みんな女の子だったの。私以外の女の子はみんな戦士の事が好きだったみたい」

「男女比率がバグってるな。それで、あんた以外は戦士が好きだけど、戦士はあんたが好きってか?」


 よくある嫉妬かと思った。しかしイリヤは「違う」と首を横に振る。


「私が戦士の男の子……ルイスっていうんだけど。ルイスは私がルイスの事を好きじゃない事が気に入らなかったんだって」

「お前はルイスに好意を寄せなかった。それがお前が追放された理由か?」

「そう、そして他の女の子たちも、私がルイスを好きじゃない事が気に入らなかった」


 出る杭は打たれる。きっとそれは私の事だとイリヤは投げやりに言った。


「ダンジョンを攻略しようと、誰かが言ったの。私は了承した。その攻略途中のダンジョンでイレギュラーが現れたの」

「イレギュラー?」

「うん。そのダンジョンに出現するはずのない高レベルの敵。私たちでは勝てないから撤退する事を決めた。その時私は殿しんがりを引き受けたの」


 殿しんがりとは、撤退するパーティーの最後尾に配置され、敵の追撃に備えることである。つまりパーティーの仲間が無事に撤退できるよう、パーティーの盾となり仲間を護る役割もある。仲間の力を借りる事なく、ひとりで対峙しなければならない。実力者でなければ命を落としてしまうかもしれない、危険な役割だ。

 その殿しんがりをイリヤは自ら引き受けた。


「多少の怪我は負ったけど、私は無事にダンジョンから抜け出せたの。それでも一週間はかかっちゃったな。みんなに心配をかけさせてないだろうか、みんなは無事だろうか……って、私は急いでその時拠点にしていた宿に向かった」


 けれど、イリヤを迎え入れたのは冷たい視線。

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