第十三節 正義のヒーロー

 あの時はとにかくすごく混んでて、花火の席は取れなかったんだ。

 諦めてみんな帰ろうってなったのに、兄チャンは親二人無理やり引っ張って、俺をおんぶしながらデパートの屋上に連れてったんだ。

 あの時だけじゃないんだぜ。

 俺って小さい頃からチビでヒョロかったから周りに置いてかれることが多くてさ。でも、困ったときは手を伸ばせばいいんだ、そうすればきっと兄チャンが――



「ゲホッ、ブハッ!ゲホゲホ……」

 ……クッソ。あれ、何考えてたんだっけ。


 ああ、そっか。

 あの時、ガメラはセイリュウを海に引きずり込んだんだ。狙い通りの水蒸気爆発、セイリュウの尾っぽに嚙みついた状態で火球。その後衝撃が来て、建物が崩れて、柱が倒れて……。


 暗くて何も見えないし、全身鉛が詰まってるみたいだ。身体を無理やり捻ると周りの砂みたいなのががザラザラ流れて、右手だけなんとか動かせるようになった。

 きっと目の前の冷たくて硬いのが、さっきまで前にあった駐車場の柱だ。頭蓋骨と腰が圧迫されてるし、肋骨も動かせなくて息が辛い。鼻と口にコンクリートの粉末みたいなのがベットリ張り付いてて咳き込むたびに目の前で舞い上がる。


 ――え、生き埋め?

 そう思った途端パニックになった。

 怖い、死にたくない。もがいてもがいて、その度にちょっとずつ柱が倒れてきて、腰の辺りの圧迫感が強くなる。

 いや、そうじゃねぇ。俺が滑ってるんだ、どんどん埋まっていってんだ。自分が上を向いてるのか横倒しなのかもよく分からない。でもしばらく右肘から先だけ伸ばしてみると、柱の反対側に少しだけ空間があるのが分かった。

 右手を伸ばして、何か触れるものがないか探す。助けを呼ぼうとしたけど、息を吸おうとした瞬間にコンクリの粉末を思いっきり吸い込んで余計に苦しくなった。口をすぼめてゆっくりしか息が吸えない、辛い。


 右手に何か触った。少し柔らかさがあるし、ちょっと温かい。人の手だ、松尾だ。

「松尾、起きろ……」

 指先かなんかを握って引っ張るけど反応がない。頼む、起きろ!


「ま、松尾ぉ……。起きろぉ……」

「う、うぅ……」

 ――バチン!

「ウワッ!」

 松尾が呻いたのが聞こえた瞬間、感電したみたいな刺激が右手に走って、その一瞬真っ暗なはずの目の前が明るくなった気がした。


 一瞬ビビって引っ込めた手をもう一度伸ばしてみる。今度は絶対離さねぇ、しっかり握るんだ。

 松尾の手首の辺りを握った瞬間、もう一度スパークみたいな衝撃が来た。右手の電撃が肩と首を駆け上がる、瞼を思いっきりつぶってるのに、目がどんどん明るくなる。眩しくて、白くて、緑で、赤くて、灰色で、まるで――


 ――あ、海。


 身体の周りは真っ白な湯気が昇ってて、雨も酷くて、目の前をギャオスが飛び回ってる。

 何だか周りが良く見えないな、ちょっと歩いてみようかな。


 右脚を前に出してみたけど、やたら重くて嫌になる。手前の護岸に手をかけて身体を水から上げる。身体を起こして前を見ると、セイリュウが背中を向けて身体を引きずってくのが見えた。


 ――スゲェな松尾、やったんだな。

 ――なんだよ、良いとこだけ見に来やがって。あたしの手柄だかんな。

 ――独り占めしやがって、俺も早く来ればよかったな。

 ――……何呑気言ってやがる。ここ来てんだからお前ももう長くねぇぞ。


 セイリュウの鱗はほとんど剥げてる。空から突撃してくるギャオスが傷口の肉をつついて、それでもセイリュウは巣のところに必死で這ってく。あんなに強くて綺麗だった尾っぽも、水蒸気爆発で千切れて先端が無くなってて、その傷口にも小さなギャオスが群がる。

 セイリュウは巣の前まで行くと群がるギャオスを振り払って中を覗き込んだ。巣の中は割れた卵の黄身で水が真っ青になってて、それを見たセイリュウは一度小さく鳴くと大事そうに巣の上に丸くなった。


 身体を流れる雨と潮風がさっきより強い、もう少しで暴風域を抜けるんだろう。なんだか遠くの方からぼんやり人の声が聞こえてくる。

「……尾ちゃん?松尾ちゃんか!待ってろォ、今外に出す!」

「一人じゃ無理だぁ、誰か助けば呼ばんと!」

「それよりスコップだ、オッサンなんか掘るものねぇか!」


 みんながこっちに向かってくる。

 雲の上のギャオス、爆撃機、その援護機。ドローンも、ヘリも、衛星も、俺達を待ってる。


 ――んじゃ、終わらせないとな。

 ――あたしは別にいいんだけどよ、お前この後死んじまうぞ?

 ――うーん……。まあ、埋まっちまうのは嫌だけど、最後が見られりゃそれでいいかな。


 松尾の手が弱弱しく握り返してくる。片手だった手が両手になって、ひんやりしてた感触がいつの間にか温かくなってる。


 ――フン、勝手にしろ。


 前傾になって吸気を始める。脚から爪を伸ばしてアスファルトを貫き、下半身を固定する。周囲のギャオスは慌てて逃げたり、逆に飛び掛かってきたり。

 セイリュウは姿勢を変えなかった。ただこっちを向いて何度か大きく鳴いた。鳴くたびに大きな目から青い血がこぼれて、本当に泣いているように見えた。


 ――泣くなよな。

 みんなさ、間違えるし嘘つくし、忘れるんだよ。でもそのうち、気付いて反省して、思い出す。それがいつかは分かんないけど、ワレラはそれを待てば良い。しかるべき時に存在し、依り代になる。その時が来るまで、喰らい、分裂し、殺し合い、かばい合う。悠久の流れの中で、この瞬間がこうあるだけだ。だから――


 吸気が終わる、喉元が燃えるように熱い。


 ――なあ、良かったんだよな?あたしらホントにこれで良かったんだよな?


 浅緋の手を握り返して、最後だろうから、ちょっとクサイ台詞を返した。


 ――ああ、当たり前だろ。俺らの命賭けたんだ、これでいいに決まってる。


 火炎。

 

 目の前が真っ赤に染まる。セイリュウも、巣も、ギャオスたちも燃える。

 衝撃が来る。メリメリ音がするほど頭を潰され、肋骨が圧される。

 足元の砂が抜け、上から瓦礫が容赦なく押しつぶしてくる。

 視界が真っ暗になる。目が潰れたのか埋められたのか。

 鼻に、目に、耳に、口に、砂が流れ込んでいく。

 汗ばんだ手が、硬く握った浅緋の手を離す。

 結局こうなるよな、俺って貧弱だし。

 でも欲を言えばもうちょっと

 カッコいい死に方なら

 良かったな。



 転んだり、いじめられたり、チビなのをバカにされたり、

 いつもビービー泣いてた俺を肩車してくれて。

 兄チャンは困ったときに必ず現れる

 俺の正義の味方なんだ。

 

 きっと助けに来てくれる、

 手を伸ばせば、

 必ず。

 


 ――グン


 伸ばした腕が引っかかり、身体が瓦礫を逆流していく。

 頭を上げて、砂が詰まったまぶたを開けてみる。

 なにも見えなくても、手首に力を感じた。

 熱くて、必死で、少し懐かしくて。

 それが分かると一息ついて

 俺はやっと眠りについた。



 ――



 数十年ぶりとなる巨大怪獣同士の衝突のニュースは、巨大な大波となって世界中を駆け巡った。様々な思惑を孕んだ情報が錯綜し、世界は大いに混乱し悲観した。そしてその混乱の中で多くは失い、ごく一部が巨大な富を手に入れた。

 衝突の翌週発行に発行されたある三流週刊誌は、防衛省の若手官僚が成田空港のターミナルで変死した事件に関し特集を組み、政府の陰謀論を煽って一山当てようと目論んだ。だが手持ち資産の目減り勘定で手一杯な世間に事件は響かず目論見は外れ、やがてその事件も大波の一泡と化し、情報の海に押し流されていった。

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