第十二節 深淵

 〇三四四。

 書類をデスクに詰め込み部屋を出る。もうこんな時間だったか。

 『入出チェック』の新頁には一行目に見慣れた名前がある。ため息を一つつきながら、その下に記名し正面扉を開ける。

 突けば落ちそうな星空の下、相変わらず福島駅特区は健気に街灯を瞬かせる。刈った下草の青臭さも、昼はあれほど辟易するのが今は何となく清々しい。普段通りならこちら側の景色を楽しむところが、魔でも差したか足は珍しく基地の裏側に向いた。

 基地の裏側は照明もなく、下草を擦り凹凸を踏みしめながら進む。弱弱しい月光では密生林周辺の深い闇を払うには至らない。飯塚はいつもの定位置で紫煙を吐いていた。

「お疲れ様です、飯塚さん」

 飯塚は応えない。表情を変えず密生林を睨む。

「なんで毎回ここ見てるんですか?何にもないのに……」

 飯塚は応えず、小さな目が密生林の闇を睨みつける。

「休憩なのにそんな怖い顔してちゃ意味ないっすよ。動物でもいるんすか?俺も目鍛えようかなぁ」

 真似て飯塚の睨むあたりに目線を投げる。


 闇、深淵。

 平衡感覚が狂って倒れそうになる、吸い取られていく。

 正義、理想、希望。捧げど捧げど、返るものはなく。


「……ねぇ、飯塚さん。何か言ってくださいよ」


 喜び、仲間、愛情。

 吸い尽くされようと、なおも飯塚は睨み続ける。


 俺はもう無理だ、どうして俺がここに居なくちゃいけないんだ。


「教えてくださいよ、俺にどうしろっていうんですか」


 全部無くして、何にも残ってなくて。それなのに、なんであんたはここに残るんだ。


「答えてくれよ!もう何にも見えないじゃねぇか!」

 なんか言ってくれ、助けてくれよ!どうしていつも俺ばっかり!


「なぁ応えてくれよ飯塚さん!俺、どこ見て進めばいいんですか!」


 ――バキン


 衝撃。

 顔を叩く破片、流れ始める風、割れ散る闇。


 目覚める。


「援護してくれぇ、隊長ォオオオ!」

 武藤の絶叫、突き破れるショーウィンドウ、磨かれた床、悲鳴を上げる前輪、追走する中型のギャオス。


 自然と小銃を構えた。

 身体を起こして左を向き、シートの隙間に左脚を突っ込んで固定する。右足の位置を確認し、吹き飛んだドアから身を乗り出す。

 下半身を回し、左脇を屋根に当て、固定して狙い、呼吸。単発。


 ――隊長ならァ、大丈夫。


 小気味いい射撃音。弾かれるように中型の頭が跳ね上がり商品棚に倒れ込む。パジェロはそのままショッピングモールの中で停車した。

 無人のモール内。高い天井に反響したアイドリング音だけが辺りに響く。

「……もし、何で自分だけ、だとか考えてんだったら……ブン殴るッすよ」

 武藤が一言そうつぶやいた後は、またしばらくエンジン音だけが残った。だがふいに、


 ――ドゥン、ドンドン


「……砲撃、ッすか?」

「……」

 確かにそのように聞こえた。

 今さらどこの部隊だ。今さら、全て手遅れの今さら、一体どの面下げて援護に来るんだ。


 ――ドン、ドン


「隊長、やっぱどこかの部隊が」


 ――ドーン、サラサラサラ


「……あ、花火」


 花火工場が燃えているんだろうか。運転席の時計を見る。


 一九〇〇。水戸市。

 ちょうどあの時も。



 ――スゴイすごい、本物の花火だぁ!

 どうだぁ誠二、キレイだろ!

 ――いい所見つけたわねぇ昭一さん、セイちゃんありがとうって言わないとね。

 ――此処だってなかなか良く見えるじゃないか。昭一には頭上がらないなぁ。


 ――兄チャン、また絶対一緒に来ようね!


 誠二、ゴメンな。

 兄チャン思い出したぞ。お前との約束、ちゃんと思い出したぞ。



「武藤、運転変われ」

「は?」

「運転だ、急げ!」

 運転席に飛び移るとアクセルを蹴り込み店の窓を突き破る。おぼろげな記憶にハンドルを委ね、左に海岸を睨みながら東へ、東へ。水道管が破裂したのか真っ黒い水が流れ落ちる坂道を駆け上がる。

「あ、隊長!人が!」

 坂を上がった辺り、通りの真ん中に祭りの法被を着た男が手を振っている。

「助けてくれ!子どもが二人瓦礫に埋まっとるど!」

 男が指さす先は廃材置き場のような有様で、崩れた建物が地下に滑り落ちようとしていた。その瓦礫の山の傍で大柄の青年が黒い布切れのようなものを地面から引っ張り上げようと踏ん張っている。青年には見覚えがあった。

 突然、セイリュウの巣の方角が陽が差したように明るくなった。黒々とした雲が鮮やかな橙色に染まる。車を飛び出し、ウインチをひっつかむとベルトのカラビナにはめ込む。

「あ、セイの兄貴!」

 青年が振り返ってそう言った瞬間、地面が大きく揺れ建物が崩落し始めた。


 ――ショウなら、きっと大丈夫

 ああ、そうだよな。


 勢いのまま大きく足を踏み込むと、ぶつかり合い沈みゆく瓦礫の中に頭から飛び込んだ。

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