第十一節 惚れた訳
ガラスを失った窓枠から灰交じりの熱風が吹き付ける。爆風がすべてを薙ぎ払った大地に原形を保ったものはまるでなく、地を舐める炎と昇る煙と、その更に後方で巨大な影二つだけが緩慢に蠢く。
「周辺にギャオスは目視できない。ガメラとセイリュウは?」
「少し回復したのか両者とも再度戦闘する兆候があるわ。ガメラは巣というよりセイリュウそのものを攻撃しようとしてるみたい。少しずつだけど、やっぱりガメラは海に出ようとしてるわ」
双眼鏡を外した真琴の顔は、頬が赤く照らされて上気しているように見えた。野鳥観察で興奮した時なんかは顔を真っ赤にするから、或いは本当に火照っているのかもしれない。全てがぼやけた赤黒のグラデーションの中で彼女の表情だけが美しく目に映る。
「長谷部さん、あれですか?」
武藤が指さす先、百メートル程先には大通り同士がぶつかる交差点があり、その中央が一メートルほど均一に盛り上がっている。
「ええ恐らく。急ぎましょう」
「到着したら武藤はガメラとセイリュウを監視。上空は俺が見る」
インスタントの粉が泡立ったコーヒーの表面に浮き上がるように、炎に照らされた雲から一つまた一つとギャオスの影が現れる。
停車も待たずに真琴は車外に飛び出し、勢いのまま巣の淵に飛びついて中をのぞき込んだ。自分も引き上げ用のロープと資材を掴んで横に並ぶ。
「……綺麗」
真琴がつぶやいた言葉に、それ以上が見当たらずただ頷いた。
巣は几帳面な正確さで直径二十メートルほどの穴が緩い半球状にくり抜かれている。最深部で三メートルほどだろうか、穴には水が膝ほどまで溜まっている。
そしてその底には、直径が人の背丈ほどの卵がらせん状に産み付けられていた。半透明の殻はゼラチン質に似た柔らかさで揺らめき、卵黄は醒めるような青色、そしてその頂点には藍色の油滴のようなものが浮かんでいた。
「隊長!ガメラとセイリュウ、共に海に到達!海岸で衝突中!」
「私、行く!ロープお願い」
等間隔に結び目をつけたロープを掴むと、真琴は慎重に巣の底に降りていく。水面に浮かべたジェラルミンケースを開けるとシリンダーの蓋を開き、水中に腕を突っ込む。
「ガメラとセイリュウ、ともに水没!」
真琴は険しい顔で上空を睨むとアタッシュケースをベルトのカラビナに引っ掛け、かけていた眼鏡のつるを引き抜いて卵に突き刺した。ギャオスは天栄村で見せた特有の幾何学模様を空に描き始め、その中心がガメラとセイリュウの水しぶきに向かって竜巻のように伸びていく。小型のギャオスが多いが、何体か中大型のギャオスも混じる。
「真琴急げ!」
「終わった、お願い!」
重みがかかったロープをグッと引き寄せる。結び目のこぶがアスファルトをまたぐ振動の合間から、真琴が身体を支える生動が伝わってくる。脚は水面を抜け、掘り返されたばかりのぬかるんだ土を踏み、すり鉢状のドームを這い上がろうともがく。ロープを引く度に聞こえる呻き声が明瞭さを増す。
「手ェ伸ばせ!」
真琴の頭が見え隠れし始め、ロープを手繰り寄せながら前に出る。真琴は苦痛に顔を歪ませながら右腕で身体を支え、痛む左腕を伸ばし――。
「隊長!海上に噴煙!」
顔が跳ね上がり、海の方を見た。廃墟の先に見える灰色の荒れた水面から高々と水蒸気の柱が噴き出しキノコ雲を生成しようとしていた。海中からの噴煙、水蒸気爆発か!
ロープを思いきり引っ張り、反動で身体を前に倒す。真琴の辛そうな顔と右腕が間近になる。思い切り伸ばした右の掌が真琴の手首に触れ、反射的に細い橈骨と尺骨を握り込む。絶対に離すまい、そう決意し左手で身体を支えて衝撃に備えて。
だが、指に触れたのは、柔らかで繊細な真琴の手首ではなく、
硬く無機質な手首飾りだった。
――ズン
鋭い揺れが腹ばいになった身体の下を駆け抜ける。絶対大丈夫だ、そう思ったのに、その振動はアスファルト下の痩せた土砂を崩すには十分だった。
「真琴!」
手首飾りが抜けた真琴が土砂と共に落ちていく。巣の水面は崩れた土砂で激しく波打ち、水深を大きく増している。
「の、登ってこい!」
真琴は卵の上でフラフラと頭を上げたが、その目線はロープでも俺の顔でもなく、さらにその上を凝視する。
上空のギャオスたちは統率を無くし、今や雑然としていた。長らく数多の同胞を湯水のように殺し続けた呪縛から解放され、久方ぶりの自由を得ていた。
彼らの行動は、今や彼ら自身の意思によって決定されていた。彼らは快のために、苦痛のために、飢えのために飛んだ。
だが、彼らは何よりも復讐のために飛んだ。己を誑かし、兄弟を喰らい、同族を弾除けに使った復讐を果たすために飛んでいた。その嘴は海中で緩慢にもがくセイリュウへ向かい、同時にセイリュウが己以上に護ろうとした巣へと向かった。上空のギャオスは怨念を纏った火矢と化し、セイリュウの子種を穿たんと急降下を始めていた。
「急げぇ真琴!」
穴の下から真琴が必死に引いてくるロープを腰に巻いて固定し、身体を回転させて左手でロープを引く。同時に右手で小銃を構え、風の出始めた空を睨みつけた。
殺意が巣に、真琴に、俺に差す。翼をすぼめたギャオスは上空に巻く風に横流しになりながら、標的だけは逃すまいと鮮血のような小さい眼をこちらに剥きだす。
――タタタン、タタン
武藤に釣られて射撃を始める。
不適当な姿勢、不適当な装備。それなのに弾丸がギャオスの頭部に吸い込まれる感覚があった。「レ(連射)」を「タ(単射)」に切り替える。相手の額がスコープで覗くように大きく見え、導かれるように人差し指が軽く曲がる。頭蓋を砕かれたギャオスが風に押されて吹き飛んでいく。
中型とはるか上空で目が合う。恐れはなく、焦りもない。絞るように引き金に圧をかけ、銃口を突きつけるように狙う。
と、中型の口がヘビのようにグロテスクに開いた。超音波メス!
額に血液が集中する感覚。反射的に人差し指は緊張を解き、右脇と右脚が収縮し、左脚が地面を蹴る。身体が小銃を抱えた右肩を中心に、右前に回転を始める。左腕はロープを掴み、回転を抑える動作の準備を始める。
このタイミング、確実に避けられる、前転後の射撃で落とせる。緊迫した中ですべての動作に確信があった。
でも、ロープを引くのが、少し遅かった。
――パチン
回避したメスがロープを切り裂き、真横で軽い音を立てて弾けた。
身体が回転を終え、視野と姿勢が定まる。仰向けになりながら放った一撃が中型の眼底と脳を破壊する。だが上半身を跳ね起こした時、真琴が掴んでいる筈のロープはちょうどアスファルトの向こうに落ちていくところだった。
「真琴ぉ!」
耳の後ろの血が引いていく。腰に巻いたロープをほどく手が震える。弾丸が当たらなくなり、「レ」に切り替えて右腕をくの字に硬直させる。上空から降る超音波メスが水面に当たり、水が気化する音が巣穴から断続的に聞こえてくる。
「真琴、つかめ!」
ようやく解いたロープの端を持ち、倒れるように巣に駆け寄る。
ロープを投げる相手を探した。アスファルトの縁、崩落した黒い土砂、超音波メスで破壊され漂う卵。
いない。
目線を巣の中心に向ける。
寒気が背中を覆う。視野が狭窄していく。ひねり出した呼気は声にならなかった。
真琴が巣の真ん中に立ってる。
全身びしょ濡れで、眼鏡は落ちて、両手にアタッシュケースを抱えて。
怖がりなのに強がりだから、遠くから判るぐらい青ざめて震えてて。それでも無理やり作った笑顔が結局おかしな泣き顔になって。
ロープを掴んで投げる。でも足元に落ちたロープに真琴は反応しない。
「バカヤロォ!なんで掴まないんだァ!」
切れ長で、動物にも誰にも優しい眼からボロボロ涙がこぼれてくる。
ああ、昔もこんなの見たな。小四の授業参観だ。
「ゴメンね、ショウ。わたし、やっぱ、一緒に行けないや」
お前『将来の夢』の作文が読めなくてさ、教室の前で泣きだしてよ。クラスのみんなもクスクス笑って担任の先生も困っちゃってさ。
「頼む、掴んでくれ。死んじまうだろぉ!」
それなのにお前、ずっと突っ立ったまんま席戻んないんだもん。父母も呆れてきた頃にさ、お前デカい声で「ハカセになって、みんなを守るんです!」って叫んでさ。みんな大爆笑だよ。
でもスゲェよな、その根性。お前大した正義の味方だぜ。
「ショウは逃げて!絶対生きて!」
「何言ってんだ!二人で一緒に逃げるんだろうがよぉ!」
ああ、やっと思い出したわ。ホント俺って馬鹿だな、なんでこんな時に思い出すんだろ。
「ゴメン……。エヘヘ、ショウ、ゴメンね。私、どこで間違えちゃったのかな」
気付いてたか?
俺な、あの時初めてお前が好きになったんだ。
瀑布と化したギャオスが巣になだれ込む。真琴の身体は一瞬水面上で跳ね上がって見えなくなって、最期すら捉えられなかった。
脚が支えることを止め、手が握ることを止め、目が見ることを止めた。力が身体から抜け落ち、正常であることを、戦うことを、生きることを諦める。
狭窄し続ける視野の中央には巣の大穴があった。真琴を飲み込み卵の残骸とギャオスの肉片を喰らった深淵は如何なる色も音も逃さず、ただ目の前で黒々とした口を開け続けていた。
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