第九節 落ちた太陽

 あの瞬間。

 我々は中継地から少し遠巻きになり、直線上に巣を伺える場所までの道順を確認していた。ガメラとセイリュウの衝突が激しさを増していたあの時、武藤と真琴は車両内で端末を見ながら衝突の状況を確認し、自分は車外で路面状況を観察していた。

 太陽が落ちた。

 あまりに超現実的な状況にそうとしか形容できなかった。ずっと先にある巣以外の全てが強烈な陽光を受けたように輝きだした。輝きはみるみる度合いを増し耐え難くなり、瞼をつぶってもその上からなお瞳を突き刺した。

 天地が返った。

 爆風とも地震とも形容し難い衝撃に襲われ、戦闘靴は地を離れ、宙に浮いた自分は戦闘服の上から刺され殴られ叩かれた。硬質な何かに身体が激突する度もう終わってくれと願うのだが、絶望は無常に続き、ただ意味もなく小銃を握って蹲るしかなかった。

 いつの間にか失っていた意識が戻ったのは、数秒後かあるいは数分後か。

 眼も耳も聞こえなかった。

 目を触るが眼球はある、耳もある。だがその機能は完全に失われていた。妙に呼吸が苦しいのが異常な熱のせいだと気付くのにしばし時間が掛かった。焼けるような空気を無理やり吸い込み言葉にならぬ声を叫んでみるも、喉元で気管が震える感覚があるのみであった。

 視覚と聴覚を取り戻すまでの時間は生き地獄そのものだった。焼け死ぬかギャオスに食い殺されるか。助けなどまず望めぬこの場所で、ただ必死で目をこすり耳を叩いて叫んだ。そうするうち、いつの間にか真っ黒だった視界が白っぽくなり、耳を叩く感覚が痛覚でなく内耳の振動として感じられるようになってきた。

「よし、よし!」狂ったように叫びながら鉄帽を殴り続けるとようやく光が見え始め、耳孔に詰め物をしたような感覚が失せ始めた。

 霞む視界が最初に捉えたのは、一メートルほど先の地面であった。表面の小さく滑らかな突起が火の手に照らされ濁った虹色に光る。鼻腔が焦げ付くような油臭さで、やっとそれが溶解したアスファルトだと分かった。

 飛躍的に回復する感覚が惨状を捉えだした。周辺が変形しすぎていて、同じ地球なのかすら自信がなかった。電柱をはじめ建造物のほとんどが原形を想起できぬ状態だ。炎上した車のナンバープレートを見るに日本ではあるらしい。

 空の雲は黒々とした煤を飲み込み、落ちてきそうなほど濃い。しかし台風の目に入っているのか天頂は明るく、上空に開いた小さな丸窓から場違いなほど鮮やかな茜色が覗いている。

 ――ズドン

 重い何かが地を叩く音で振り向いた。

 一瞬身体が硬直するほどガメラとセイリュウは近かった。あの瞬間の少し前、物陰から覗いた時より二百メートル以上は近づいているだろう。逆流した爆風に流されてしまったらしい。

 セイリュウは満身創痍の身体を持ち上げようともがいていた。長細い頭をまっすぐ地面に突き立て、上腕を突っ張って半身を持ち上げようとするが、胴はズルリと滑ってしまい、その度辺りが鈍く震えた。頭が地面に叩きつけられた反動で轟くような呻きが漏れ、固く瞑った瞼から青い血液が大量に噴出した。眩い美しさを誇った白銀の身体は至るところで痛々しく肉が抉れ鱗がはげ落ちている。だが絶好機を目前にして、ガメラは直立のまま沈黙を続けていた。

 現状確認、任務遂行、なにより仲間の安否確認。最優先されるべきそれらを好奇が押しのけ、返すべき踵が前を向く。突き出た鉄骨を踏み抜かぬよう恐る恐る瓦礫を進むと、噴き上げる煙で遮られたガメラの姿が少しずつ明瞭になっていった。

「あ、あ……」

 なんてことだ。

 だらりと下がった長い腕。脚は直立を保つものの力感は全く感じられない。ただ頭だけが軽く上向き辛うじて生きていることを表している。

 だが、絶望的な破壊の中心点は正しくこのガメラだった。

 畏怖されつつ敬愛をも受けた威嚇的な顔面は、頑強を誇ったその表皮の大部分を喪失していた。白みを帯びた堅牢そうな頭蓋の周りに濃緑の筋肉がなんとか張り付き、威を損なわんとするように軽く上げた顎先から大量の鮮緑の血が滴る。小さく鋭い眼球があったはずの眼窩には、ただ空虚と僅かな肉片が顔を覗かせるだけだ。

 親とはぐれたことに気付いた子どものように、耐え難い不安が足元から背中を這い上がってくる。溶けたガラスに足を取られながら後ずさりし、石畳がめくれ上がった歩道をよろけながら走る。

「武藤、真琴!どこだ!」

 叫びながら五十メートルほど行くと坂にぶつかった。へばりつくような焦げ臭さの煙をかき分け坂下を見下ろす。

 燃える碑、裂けた土産屋の看板、埋もれかかった銅像。瓦礫にうずもれた街の破片が目に飛び込んでくる。途端に溢れてきた涙は、高台に置いてきたはずの内田昭一のものだ。坂はかつて家族と来た既知の場所であった。忘れかけていた思い出が、悲痛を訴えながら眼前で焼け崩れていく。

「武藤ォ、真琴ォ!」

「隊長!無事ッすかぁ!」

 潰れたモルタルの向こうで武藤の声が聞こえた。背中に張り付いていた不安がボロボロと剥がれ落ちていく。

「武藤、無事か!真琴は!」

「長谷部さんも無事ッす!腕に枝が刺さりましたが大事ないみたいで」

 急いで武藤の後ろを走り、座り込んで左腕を縛り上げていた真琴を見つけると抱きしめた。

「マコト!良かった、生きてて……」

「良かった、心配したよ!……エヘヘ、ショウが泣いてるの久々に見た」

「もう会えないかと思ったら怖くて。でも、なんでこうなった」

「分からない。でも端末を観てた時にセイリュウの目が一瞬開いた気がしたの。その後全部真っ白になって」

 通信機器は電波障害で使えず正確に何が起きたかは分からないが、やはりこれはセイリュウの攻撃のようだ。しかもセイリュウの様子を見るに捨て身の一撃とみえる。二体とも行動不能のタイミング、任務遂行には願ってもない状況だ。

 スクラップ同然の外見になったパジェロだったが、走行はできるようだった。武藤が変形したトランクをこじ開けるのを遠巻きに見ながら、しゃがみこむ真琴に用意していた言葉をぶつける。

「なあ真琴、さっきの話だけど」

 不自由そうにジェラルミンケースを開けていた真琴が少し顔を上げる。

「きっとあれは尾の攻撃の応用ね、雄の目に発光器は確認されてなかったけど」

「違う、高台での話だ」

 顔こそよく見えないが、真琴の身体が強張ったのが分かった。

「……あぁ、あれ?何でもないよ。もう忘れて」

「大事な話なんだ、今話しておきたい」

 真琴は取り出したシリンダーの蓋をくるくると捻って回す。

「一緒に行こうって言ったな」

「この際なんだけどさ、私たち……もう別れちゃった方がいいんじゃないかな。二人ともずっとこんなで結婚もしないでさ。私と一緒にいたって、いつまで遠距離かわかんないんだし、きっとショウには、きっともっと良い人――」

「そういう話じゃねえ!」

 ビクリとシリンダーを落とすと、真琴は恐る恐る顔をこちらに向けた。

「答えてくれ。お前の世界なら、お前の正義なら、これが止められるのか?」

 切れ長の目から堪え切れぬ涙が溢れてくる。小学生の頃、発表の機会に教室の前に立たされると、真琴はいつもこうやって泣いてばかりだった。

「こんなもの見せられるのはもう沢山だ。お前はこれを世界中にばら撒こうとしてるのか、それとも」

「私が」まだ涙が止まらぬ目に赤々と火が灯る。

「もしこの任務を成功させて日本政府にサンプルを渡せば、決定権は国家にある。そうしたら、勿論これを脅迫にも、もっとひどいことにも使うことができる。でも、もし私がセイリュウのサンプルと同時に国外に出れば、私自身がこの力の使い道に強力に影響できる。私もショウと一緒。こんなもの二度と見たくないし、どこにも起こさせない」

「でもそうなればスパイだ。隠居なんかとんでもない、一生怯えて暮らすんだぞ」

「それでもいい。私の人生と引き換えに、こんなものを二度と見なくて済むのなら」

 パートナーとして盾として、全てを捨て彼女の正義と共に逃避行を続ける生活。ロクに想像すら巡らせられなかったが、満足なように思えた。死の間際、アサガオのように脆い彼女の笑顔をみられるなら、それで幸せのように思えた。

「俺も一緒に行くぞ」

「え、でも、」

「俺の決定だ。まずは任務を完遂する」

 そう言うと、武藤がこじ開けたばかりのトランクから地図を引っ張り出す。

 作戦地は直線距離で約八百メートル、まさに目と鼻の先だった。

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