第五節 離別

 ――いい?とにかく総理と顔合わせなさい。私はその後彼をなだめて下に行かせるから。

 執務室の前で先生はこういって扉を開けた。


「出ていけぇ!」

 私たちとすれ違いざま、背中を丸めた高級官僚っぽい二人がしゃがれた罵声に追い出されてった。部屋の中は今まで体験したことのない濃度の紫煙で満たされてて、目に染みて痛いくらいだ。

 薄目で部屋を見渡すと、外務大臣と防衛大臣、斎藤調査官もソファに腰掛けて、ボーッとテレビを見てるとこだった。画面には『緊急速報・中継』のルビ、画面右上と右下には小さな日本地図が出てる。

 右上は台風の予想進路。予想通り関東を直撃して、午後から関東北部は強風域に飲み込まれるらしい。

 右下は日本の内外が紫から赤まで色分けされてて、これは日本に向かって流れ込んできてるギャオスの位置と密度を色分け表示したものだ。チベットから始まって韓国を通る赤い線が栃木に向かって伸びているのが特に目を引く。


 私たちが部屋に入ったのに気付かないのか、総理はガラガラ声を必要以上に張り上げて電話で怒鳴り続ける。髪は乱れてフケが肩にかかって、目は左だけ充血してて黄疸が出てる。激しい貧乏ゆすりのせいで机だか椅子だかがキュッキュッと鳴り続けてる。

 電話の相手は選対なのか連立相手なのか、支持率とか運営みたいな言葉が時々出てくる。いまさら何言ってるんだろう、その辺少し歩けば、企業とか人材とかが海外に流出してるのは一目瞭然なのに。財を持つものほど国家にとって価値が高いけど、そういうものほど移動能力が高くて流動的になる。国益を守り増強するための戦争だったのに、その選択をした結果財が他国に流出するなんて皮肉が効いてる。


「先生、どうするんだよこれは!えぇ?」

 受話器を叩きつけると、テレビを指さしながら総理は先生を怒鳴りつけた。目がくぼんで脂肪が落ちて、皮を張り付けた骸骨みたい。人間の顔って一週間でこんなに老いぼれるんだな。

 テレビの中継映像はマスコミが陣取り合戦で獲得した一番マシな画角でセイリュウを映してる。前回の作戦後から宇都宮のビル群の真ん中でずっと静止してたセイリュウは、核攻撃当日になって突然動き出した。

 中継映像では、強風で揺れる望遠カメラの中央にゆっくりと進むセイリュウの姿を捕らえてる。セイリュウの腹は相変わらず大きく膨らんでるけど、身重というより胸を張って、誇るように鎌首をあげて歩いてる。

 すると、周りを飛び交ってたギャオスの一体がフラフラッと前方に舞い上がった。上昇しようとするけど台風の強風にあおられて枯葉のように舞い上がって、結局ビルに激突した。


「無理だよ……、ダメだよ」

 先生が小声で呟いたのが聞こえた。

 人間の敵で研究対象のはずのギャオスを、この人は愛してる。その恐ろしさを知ってるのに、力強さと逞しさに敬意を持ってる。この矛盾を孕んだ人間らしい先生に魅かれたのに、私の憧れだったのに。


 画面の中のギャオスが次々に舞い上がっては吹き飛ばされて、建物やアスファルトに激突して死んでく。そして巨大な一体のギャオスがセイリュウのはるか前方の道路に突っ込んだ瞬間、道路の上に大きな火柱が上がった。中継映像にアナウンサーの声が入り込む。

『ご覧いただけますでしょうか?たった今、また爆発のような激しい光が見えました!自衛隊による攻撃なのでしょうか、激しい爆音と一緒に黒煙が上がっているのが肉眼で確認できます!強い風と煙で、セイリュウが動きを止めているかどうかはこちらからは見ることができません。この後セイリュウは一体どこへ向かうのでしょうか?』


 埋設した地雷はギャオスの捨て身の体当たりによって解除されてく。自分のために死んだギャオスの肉片と血煙に包まれながら、セイリュウは堂々と見せつけるように歩き続けて、画角から抜けると中継は終了した。今、私たちは何を見せられてたんだろう、中継が終了すると誰もが軽くため息をついた。


「それで、その小娘か?」

 平賀大臣が視線も向けずに呟いて、先生が答える。

「はい、能力や経験からしても彼女が適任かと。セイリュウの産卵が確認され次第、彼女が採取に向かいます」

「情けないもんだ、なあ白井」

 総理は返事もしないで、ボケた老人みたいに背中を丸めてテレビにブツブツ何かを言ってた。先生と私が一礼して部屋を出ようとした時、斎藤調査官が身体を起こした。

「まだ我が国の灯は潰えておりませんよ。希望はある。ガメラが、最後の希望が」

 誰に対して言ったのかわからなくて、私は一度会釈して部屋を出た。


「ごめんなさい真琴ちゃん、私たちのせいで」

 扉を閉めた後、そういいながら先生は私を抱きしめてくれた。もっと前に、せめて昨日こうしてくれればよかったのに。

「絶対に帰ってくるんだよ、生きて帰ってきて」

 返事はしなかったけど、私も先生を抱き返した。きっとこんなことができるのも今日が最後だから。


 官邸を出ると待ち構えていた車に乗せられた。警備にガードされながら自宅のマンションに移動する。一人になりたかったけど警備は部屋まで入ってきた。


「着替えたいので一人になってもいいですか」

「お一人にはできません、女性の警備を同室させていただきます」

 工藤と名乗った警備が部屋に入ってきて、扉を閉めると制服の中から平たい円柱状のケースを差し出してきた。毒物でも触るみたいな気分で手を伸ばしてケースを開くと、思わず叫びそうになった。

 中にあったのは眼鏡だった。私が今かけているものと色や大きさが同じどころか、サビや塗料のハゲなんかも全く同じで薄気味悪い。


 昨日の夜、竹下さんに言われたことを思い出す。左のつるの部分を軽くひねって引っ張ると、確かにつるが外れて中から細くて黒い筒状の部品が出てきた。


 ――おそらくセイリュウの卵殻は硬質なものではないですが、念のため採取装置には卵殻貫通用のブレードがついています。女性でも思いっきり振り下ろせば、一度だけなら三センチのコンクリートまで貫通出来ます。卵殻の上部から貫通させてください、百センチ以内の範囲の胚細胞を装置が自動的に採取します。採取が完了したら、つるの先端が一度だけ緑に光りますので、その後は眼鏡を装着して通常通り任務をこなしてください。


 実際に道具を手にすると、緊張で手汗が噴き出してきて、また悪寒がしてきた。工藤は全く表情を変えずに、さっきケースを差し出した姿勢のまま私に手を伸ばしてる。


 きっとここで採取装置を返したら、彼女は私を始末するんだ。でもそんな恐怖以上に、私の行動が日本の国益を削いで、生まれ育った町も学校も一緒に仕事をした仲間も不幸にするかもしれないってことが怖かった。そんな身勝手許されるの。工藤が少し歩み寄って、緊張した顔で手を伸ばしてくる。


 震える手でケースを開けると着けてた眼鏡を折りたたんで、軽く撫でてから閉じた。採取装置をかけると右手を伸ばして工藤にケースを手渡す。青い手首の飾りが少し光った。

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