第四節 旧友

 コンクリートジャングルで錬成された殺人的な暑さは、蜃気楼以上に人間の視神経に強烈に作用し視界を歪ませた。平日昼間にも関わらず中央線の高架脇の通りは人もまばらで、時々店舗から店舗へと飛び移る人があるくらいである。

 高度経済成長以降何度となく行われた区画整理をすり抜けた高架下の喫茶店は、数回の改装改築を経てもなお取り残されたような独特のノスタルジーを帯びており、入り口に立つ長峰も今まさにその魅力を古ぼけたドアガラスの向こうに嗅ぎ取ったところであった。

 長峰は神経質そうな目線で店名を確認した後、何度か通りを見回してから店に入った。「魔女」の二つ名で国内に知らぬものはない彼女であっても、白く大きなストローハットとスカーフにブラウスという出で立ちでは正体を見抜かれることはまず無いと言える。警戒心というよりむしろ、長く要職に就く彼女にとって馴染みのない待ち合わせ場所が彼女をそう行動させた。

 萎びた店構えに似合わず客入りは盛況であった。店員の案内も待たずに壁際一番左の席へ向かうと、そこに座る先客を見て今日初めて、いや数日ぶりに相好を崩した。

「浅黄ちゃん」

 つい滑り出た昔の呼び方に大人の女性に相応しくなかったかと反省したが、振り返った草薙は昔のままの天真爛漫な笑顔でそれに応えた。

「お久しぶりです長峰さん!さあ座って、何飲みます?」

「お任せしようかな、浅黄ちゃんのと同じで」

「ここブレンドが美味しいんですよ、昔と変わってなければだけど」

 長峰が腰を下ろしバッグを荷物置きにしまうと、給仕が注文を取りヒールの音を軽く立てて厨房に戻った。長峰は周りを見回すと軽く椅子を引き、ようやく落ち着いた。

「久しぶりだね、本当に」

「そうですね。昔はもっとたくさん会えると思ってたのに、なんだか喫茶店誘うのも一苦労になっちゃって」

 ホントにね、と長峰はぽつりと呟いた。初対面、未知の生物ギャオス、ガメラと巫女、第三次衝突。年月を感じる互いの顔つきの向こうに己が若かりし頃の冒険を投影し、二人はしばし沈黙した。先に切り出したのは草薙だった。

「この間はごめんなさい。協力していただいたのに、わたしの見通しが甘かったばっかりに」

「謝ることないのよ、私もセイリュウが巫女の存在と場所を察知してることまでは読めなかった。誰がやっても結果は変わらなかったわ。あの子たちは無事?」

「ええ、三人とも栃木県の避難所です。外からは目立って不健康には見えないですけど……」

「やっぱり、浅黄ちゃんとは違うんだね」

 『不適合』という残酷な言葉が無意識に脳裏に浮かび、次の瞬間長峰は自分を精いっぱい罵った。

「そう、かもしれません。でも」

 草薙は胸元の勾玉を触りながら言葉を選んだが、結局口をつぐんだ。

 八洲海上保険が保管し第二次衝突時にすべて自壊したと思われていた勾玉。しかし形状を維持していた勾玉二つを入手した神道系宗教団体は、勾玉を通じて『草薙浅黄』という唯一無二の存在と強固に繋がることに成功した。以降団体は『火環の結』と改称し強大な権力を握り、草薙は信仰対象として祭り上げられることになった。草薙にとって勾玉は断絶されたと思われていた人ならぬ戦友との唯一の絆の証であるとともに、草薙の人生を変質させた元凶でもある。

 草薙が勾玉に触れる手つきから、長峰は草薙の感情の一端を読み取ろうと注視した。だがその意を察した草薙はグッと勾玉を拳で握りしめた。草薙が抱く根拠なき確信は、余りにも突飛であるとともに破滅的で、同時に唯一の拠り所であった。たとえ数十年来の友であっても気取られるわけにはいかなかったのだ。

「今回は、前回のようなリークはできないわ。米軍主導だからセンターではあくまで成り行きをモニターするだけ。あちらの作戦情報までは取得できないわ」

「良いんです、多角的な情報が同時に手に入るなら。それだけでもあの子たちの助けになる」

「危険に自分から飛び込むことになるのよ。あの子たちは本当にそれでも戦う気なの?」

 数時間前の通話が脳裏に蘇り、草薙の吸気は言葉でなく失笑となって口から零れた。

「ごめんなさい。よく考えたら、昔のわたしもあれぐらい危なっかしかったんだなあって。子どもが正義感丸出しで怪獣同士の戦闘に突っ込んでいくなんて、周りの大人からしたらヒヤヒヤしちゃって見てらんないのに何にも考えてないんだから。わたしもお父さんにも迷惑かけてたんだなって」

「あら、やっとわかったの?ガメラと同じ傷を負ったり気絶したりして、あの時ずっと浅黄ちゃんがどこかに行っちゃうんじゃないかって怖かった。でも元はと言えば、何もできなくて浅黄ちゃんに頼りきりだった大人が悪いんだけどね」

「そうなのかもしれないです、今回もそう。結局あの子たちの正義に託すしかない。悲しいけど、あの子たちみたいな、昔みたいなチャンスはもうわたし達には巡ってこなくて、じゃあ何ができるかって言われたら、あの子たちを信じるしかないんです。わたしなりにできる限り信じようって、それを妥協しないようにしようって」

「そうね。私たちに残されている道はそれしかない。大人はもう動けないけど、ガメラなら」

「あーあ、昔は何にもできない大人になりたくないって思ってたのに。なんだか悲しいな」

 長峰は、勾玉に触れて背をもたれる草薙の様子に、研究室の若き秀才の姿を重ねた。草薙の勾玉は、彼女の弾けんばかりの正義を権力の中に押し留めることに成功した。だが長谷部真琴の青い飾りは、彼女の正義を世界中に拡大させ最終的に四散させてしまう性質のものだ。かつて草薙に対して抱いたものと同じ危機感がここ数日で膨れ上がっている。

「彼は、どうしているの?」

 提供されたブレンドを啜って長峰が問うと、草薙は間を開けて頭を振った。

「もうダメ、みたいです」

「そう」

「好きで、好きでいてくれて、最初はそれだけだったんですけど」

「どうするの?」

「何とかします。嘘ついてばっかりでイヤになるけど。浅緋ちゃん見てると余計に辛いです」

「……待ち合わせは居酒屋のほうが良かったんじゃない?」

「アハハ!ホントだ、今度は御馳走して下さいね!」

 その後二度ほど、切り上げて店を出ようと互いに持ちかけたが、積もる話がそれを遮った。損得と敬語抜きに笑い合える友との会話がこの先暫くないことを互いが知っていたからかもしれない。

 だが十分もすると店内には静寂が訪れ、残るのはまだ温もりの残る空のカップが二つだけとなった。

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