第三節 松尾浅緋
――キーンコーンカーンコーン、
朝の七時半のチャイム、炊き出しの合図だ。
窓から校庭を覗くと、もう窯の前には結構長い列ができてるのが見えて、俺も校庭にでた。列の最後尾を探して歩くと、腹を空かせてギャンギャン泣く赤ん坊がいる以外はロクに会話も無くて、みんなソワソワ列の前を眺めてるか、俯いてスマホをいじってる。
タダ飯食わせてもらってる身分でこんなのメッチャ失礼なの分かってるけど、この二日間で避難所の炊き出しのクオリティはかなり下がった。初日はデカイおにぎりに鮭や明太子が入ってたのに、昨日はちっちゃい梅干しおにぎりで今日は野菜粥。昨日の夜の汁物も野菜メインでなんだか味が薄かった。もしかしたら負け組の避難所は材料調達も負け組なのかもな。
俺らがこの茂木町の避難所に来たのは一昨日の夕方だ。
避難所ってのは原則誰でも受け入れてくれるらしいんだけど、実際のところ金があったり近所とコネがある奴が幅を利かせてて、いじめとか嫌がらせが結構ある。特に俺らみたいに福島のド田舎から流れてきたよそ者は肩身が狭いから、結局は核汚染区域外ギリギリだったり緩衝地域に隣接してたりするような格下の避難所に移るしかない。ここにいる奴らの殆どは福島辺りから流れ着いた負け組中の負け組で、顔見知りも何人かいるみたいだった。
校庭の後ろを目立たないように横切りながら、炊き出し待ちの列に目を凝らす。昨日の夜ここに来た直後、体育館で見かけた人影を探して、一人一人の背中に目を配る。どっかに、どっかに並んでるはずだ。
人影はあっさり見つかった、左の列の前から二番目、見間違えるはずもねぇ。
汚れたピンク色のジャージを着た女、掃除のときに決まって着てたやつだ。その前には、埃と汗がシミになったワイシャツを着て俯く男。右手には、炊き出しの受け取りに絶対必要ない小さなアタッシュケースをみじめに握りしめてる。
陽の下で見る両親は二人とも、本当に本当に小さかった。
家の中ではあんなにデカくて怖かったのに、今は猫背で垢だらけで、オドオド周りを見ながら今にも泣きそうな顔してる。
俺、こんな奴らにビビってたのかよ。こんなにちっぽけなのを家で囲って大きく演出してよ、ずっとそんなのに怯えてた俺の苦しみは何だったんだ。隠れて泣いてた俺の時間はなんだったんだよ。
でもいいんだ、これでいい。あいつらにとって今が最悪なんだ。
自分の城取り上げられて積み上げてきたものも失って、自分の人生を全否定されてる。背中から誰か知り合いが指さして笑ってるかもしれない。俺が何か言わなくても、きっとこれでいいんだ。そう思ったら、少しだけ気が晴れた。
テンは友達見つけたから会いに行くとか言って夜から姿を見てない。女帝と二人の朝飯なんて気が滅入るけど、最近腹が減って口答えするのも面倒だし、結局使いっ走りをすることにした。
右の列で引換券を渡して野菜粥と菓子パンを二人分受け取ると、古臭い校舎を見上げる。屋上の中心、フェンスを越えた外側の縁に松尾が座っていた。
今すぐ飛び降りてくれりゃ屋上まで歩かないで二人分食えるのにと思ってたけど、錆びだらけの扉を肩で押して開けると、残念なことに松尾はまだ縁に座って遠くを眺めていた。
「遅ぇぞ、何分掛かってんだ。早くしろ」
フェンスの下から手をヒラヒラさせてきて、その上に粥を乗せる。
「……まっず、死ねボケ。お前喰うか?」
「要らねぇよ、喰えよもったいない」
「こんなもん身体が受け付けねぇ、残飯煮込んでんじゃねぇの。パンよこせ」
ヘリで避難した後、集中治療室に担ぎ込まれるコイツは死人同然だった。
今まで死人は見てきたのに、初めて人が死ぬのが怖いと思った。いわきでコイツは家具に埋もれた死体を掘り起こしてたけど、もし俺があの場で死んでて、誰も掘り起こしてくれなくて、そのままがアスファルトで固められたらって思ったら、急に死ぬのが怖くなった。だから治療が上手くいったときは本当に良かったと思ったし、もしかしたらコイツとの接し方も変わるかなとも思ってた。
でも、やっぱり俺とコイツの気は合わない。テンがいないとすぐ喧嘩するし、機嫌がずっと悪いのがウザくてしょうがないし、何かこういちいち気に喰わねぇんだ。
筋っぽくて不味い粥とジャムマーガリンコッペを喰う。校庭の列はどんどん短くなって、両端の釜は片付けを始めてる。天気は蒸し暑い以外文句ない青空で、屋上から街を見ると朝日が建物に反射して白っぽく光ってる。俺らの状況は平和とは程遠いはずなのに、遠くを見てるとなんだか気分が落ち着く。
パンを食い終えた松尾がスマホを見てる。グレーのウサギが畳に寝そべっていて、手前に伸びたウサギの手に人間の人差し指が乗ってる写真で、松尾は画面のウサギの手に指を重ねてる。
「お前なんでいつもそれ見てんの?」
「キモッ、勝手に見んなチカン」
「お前のウサギ?」
「話そらすなチカン。ウサギ様って呼べ」
「飼ってんだろ?今も家にいんの?」
「モーちゃん。もう死んだ」
「……」
「別にギャオスとかじゃねぇよ、十三歳だし寿命だろ。あんとき死んだんだよ」
「何の時だよ」
「洞窟だよ。小学校前から飼ってたからな。コイツあたししか世話してなかったから。コイツが死ぬまでは生きてるつもりだったんだよ」
「でもまだお前生きてんじゃねぇか」
「自殺とかお前ら平気で言うけどな、あれマジ勇者だぞ?それすらできねぇ負け犬なんだよ。でも必ずやんねぇとな、だって死体バラした金で生まれた汚い血だぜ?カス遺伝子は丸ごと消毒するしかねぇだろ、な?」
知るかよ、俺に同意を求めんな。罪悪感を擦り付けんな。やるなら見えないところで勝手にやってくれ。
「じゃああの時勝手に死ねば良かったじゃねぇか」
「分かんねぇんだよな。なんでこんなのあたしがやってんだろ。結局庭坂もいわきもこないだのも、全部あたしのせいで人死んでるしよ。センスない勇気ない、あるのは自殺願望とかマジ害悪だろ」
そんなことねぇだろ、って言いそうになって慌てて口をつぐんだ。コイツは気付いてるか分かんねぇけど、俺はなんでガメラがコイツを選んだのかわかる気がする。数十分ズレてれば俺がガメラと繋がってたかもしれないのにって思ったこともあったけど、たぶんコイツの方が合ってたんだ。ムカつくから本人には言わないけど、そんな気がする。
校庭はすっかり片付いて列も解散したのに、飯を食い終わった人がまたぽつぽつと外に出始めている。互いに見合って何するでもなく、校舎のそばから校庭の中央に向かって集団が広がっていく。
へぇ、口だけかと思ったけど、やっぱやるんだな。
#prayforGamera
#preyon814
最近話題のハッシュタグだ。
もともと八月十四日は今回の騒動の犠牲者への黙とうを一緒にしましょうって政府が呼びかけた日だった。それに上手く乗っかったミームが『#preyforGamera』、庭坂の女子高生配信者がウソくさく泣きながら呼びかけた動画がきっかけだったらしい。
「故郷も、いわきも、栃木ももうメチャクチャ。でもまだ核ミサイルは落ちたわけじゃない、日本は終わってません!八月十四日の午前八時半に皆で祈ってください!どこかできっと見てくれている筈のガメラに、ガメラの巫女に祈りを捧げよう!」
おー、出てきた出てきた。校庭にどんどん人が溢れる。俯く人、足を引きずる人、言い合う人、欠伸する人。当の巫女様もフェンスから身を乗り出して校庭をのぞき込んでる。
「日本人ってこういうの好きだねぇ」
「いいねぇ、こういうの見ると気分いいわ。あたしのためにしっかりデコこすりつけろよ下民どもぉ!」
「おい止めろよ、下まで聞こえんだろ」
「どうだっていいだろ。あたしが巫女だぞ、アイツらもう頼りにできんのあたししかいねぇんだ。アイツらの誠意があたしに伝わったら戦ってやる」
「あっそ」
もう勝手にしろ、どいつもこいつも。
――ピンポンパンポン……
市内スピーカーが黙とうの放送をバカでかい音量で流し始めた。再生がちょっとズレてるせいで大音響がエコー掛かってるみたいで気持ち悪い。校庭でも誰か音頭を取ってるのか拡声器で誰か喋っててすごくうるさい。
だから、最初松尾が何言ってるのか聞こえなかった。
「――え、次――か」
「え、なんつった?」
「――えは、次――か!」
「聞こえねぇよ!」
「お前は、次、ついてくんのか!」
次って、ガメラと戦うってことか?
「まあ、頼まれりゃな」
「聞こえない!」
「行くよ、行く!お前独りじゃ無理だろ!」
怒鳴らなくてもこっち向けばいいのに、松尾はずっと下向いたままだ。少し何か考えてるみたいだった。
でもその後、顔を半分だけこっちに向けると言った。
「横に居ろ」
「横ぉ?何の?」
「あたしの横に居ろ、お前が喋れ」
何言ってんだよ突然。音声拾うってことか。
「音声だろ、俺がやるよ。テンが映像で俺がマイク――」
「要らない」
「……何が」
「マイクが。お前が喋れ」
「何言ってんだ、お前ガメラと繋がってる時は聞こえねぇんだろ」
「聞こえる」
「はぁ?お前聞こえてたのかよ、じゃあ何でわざわざ」
「違う、他の音は何も聞こえねぇ。お前だけ別。お前の声だけ聞こえるんだよ」
一瞬、周りが静かになった気がした。
耳が真っ赤になる。簡単な言葉だったのにうまく処理できなくて、言われた言葉を頭の中で繰り返す。聞き間違いなのか、なんて返事すればいいのか。いつも喋ってるのに迷って言葉がでてこない。
「……俺の声?」
「そうだよ、お前の声だけ聞こえる」
「いや、でも、他の、爆発音とか」
「なんだよ、しつこいやつだな」
眼が、ひそめた瞼から覗く眼が、シャワーもロクに浴びてないはずなのにサラサラの前髪の間からこっちを見た。コイツ、こんなに鼻高かったっけ、何でいきなりそんなの気になるんだ。
「他の、他の人、テンとか、草薙さんとか」
「お前もわかんねぇ奴だな、何度も言わせんな」
なんか気分が悪い気がしてきた、ちょっと怖いような、でもちょっと違うような。
「言いてぇことは分かったな、音は全部お前に任せる」
舌が張り付く感じで、返事が出てこない。コンクリートについた松尾の指先が少し赤くなってて、妙にそこばっかり目が行っちまう。
「お、すげぇ。お祈りしてんじゃん!お前も見ろよ、面白れぇぞ」
松尾がフェンスに手をかけてもう一度身体を前に乗り出した。
頸と、半袖から出た腕と、ショートパンツから出た脚がやたらと白くって。
なあ、なんでだ。なんで今なんだよ。
今までずっと一緒にいただろ。なんで今なんだ。
「おぅおぅ、やってるやってる。デコから血ぃ流す気でやれよ、気合入れろぉ」
祈りが始まる、皆祈り始める。目を閉じて頭下げて、何人かは手を合わせて。
松尾は身を乗り出してそれを眺めて、俺は松尾とフェンスをつなぐ細い腕に目が離せない。
ここは、誰も入ったことなかったのに。
今まで誰も、家族も、アイドルも、趣味も。
それが、なんで今、よりによってお前が今ズカズカ入ってくるんだよ。
黙とうは続く。
両手を固く握りしめて、何人かが膝をつくと他の人はどんどん従った。言われてもいないのに、どうせ無神論者のくせに。コイツが何回死にそうになったか知りもしないくせに。どうせ死んでも気づきもしないくせに。
「おー、すげぇことになってきたな。ちょっと気分いいわ」
フェンスを握る手が不安でたまらない。「やっぱ止ーめた」ってフェンスを離したらって思うと怖くてたまらない。
草薙さんもあんまりだろ、なんで俺にだけ腫瘍のこと喋るんだよ、なんで俺に注射薬を渡したんだよ。
黙とうはまだ終わらない。膝をついて頭もついて、自分のため、家族のため、知りもしない他人のため。校庭の左端では、両親が校庭の砂ぼこり被りながら顔を地面にこすりつけてる。
いい加減にしろ、ふざけんな、怒ってるのか何のか訳わかんなくて、喉で抑えてられなかった。
「バカヤロォ、もう止めろぉぉ!!」
思いっきりフェンス越しに叫ぶと、弾みで涙があふれた。松尾は一瞬驚いた顔した後、腕を組んでフェンスに寄りかかった。
「しゃーねぇなぁ。こんなに頼まれてんだし、やってやるか」
「お前もだバカ野郎!こんな奴らのために死んじまっていいのかよ!」
「……へーぇ、お前って他人とかどうでもいいタイプだと思ってたわ。思いやりとかあんのな」
「死ぬかもしれねぇんだぞ!逃げればいいじゃねぇか!なんも関係ないあんな奴らのために死んでいいのかよ!」
「お前も知ってんだろ。あたし負けたくねぇんだよ、セイリュウにも草薙センパイにも。他人なんかどうでもいいんだよ」
そういうとフェンス越しに俺の方に振り向いた。
猫みたいな、真ん丸な眼だ。透明というか深いというような、良く見ると深い緑で、コイツと目を合わせたことなんかなかったのに、なんだか、前にもこんなことあったような。
「さ、庭坂ん時の貸し返してもらうぞ。今度はお前らがあたしに付き合え」
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