第七節 応戦

 作戦開始直後、無線はがなり立てるような状況確認と、通話手順はおろか目的語も具体性もない報告の応酬で溢れた。同時並行で陸海空が複雑に行動する当作戦の詳細を無線だけで把握するのは不可能に近く、せめて近隣の部隊の動きを追おうとした武藤も遂にさじを投げた。

 そこから十五分ほど経つと、今度はCPが部隊を動かし始めた。だがその下命は整然とは言えず、我が隊の西方を固めていたはずの戦車隊は早々に南下し我々は付近のエリアで孤立無援となった。中隊以上は無秩序に沸き出る報告に処理能力の殆どを奪われ、我々のような末端小隊の問いかけに応えられる余裕などなかった。

 怒涛の部隊移動がひと段落すると、今度は状況確認と報告が少しずつ減り始めた。映画のように絶叫しながら途絶えたり遺言を遺したりするようなものこそないが、通信は確実にその質と量を落としていた。一方通信の分隊返答は数字が歯抜けになり、『状況送れ』に返す部隊はなく、遂にはあるべき状況確認すら失せ、やがて沈黙とノイズが通信を覆い始めた。

 せめて敵がどんな相手で、何処にどれだけいるかでも分かればどんなに気が楽か。飯塚のように遺して見られて死ねるのは贅沢なのだなと、最後の方はそんなことを考えながら、無線を握りしめ隊が呼ばれるのをひたすら待った。

 二一五八。

 中隊より『中型車両で移動式高射砲をけん引し、二九四号線を南下する車列に合流せよ』との命が下る。息詰まる状態から解放され、再び目覚めた使命感と共にそれに応えた。

 車列の到着は予定より十分以上遅れた。指揮車両から降りてきた男は田中三佐と名乗った。無論、今朝合流した部下と同じく面識はない。田中隊長は現在の状況について何も語らず、移動先が大田原の西側だと言うだけだった。

 車列は七両。最前列の指揮車両と第四車両、そして最後列に並ぶ我が隊の第七車両が移動式高射砲をけん引する。国道二九四号はなだらかな一車線で、周りは遮蔽物のない平地が続く。戦術的には最大限の警戒を払うべき地形なのだが、牧歌的な風景と心地よい揺れが強烈な眠気を誘った。

 成人したばかりであろう候補生上がりが、握りしめた手紙かなにかを片手に隣ですすり泣いている。「うるさいから黙れ」と、虎の子で取っておいたスニッカーズをくれてやったが、液状化したそれを夢中で食い終わるとすすり泣きは嗚咽に変わった。田中隊長はしきりに無線で車両番号の返答を求めてきたが、スニッカーズの嗚咽と武藤の「七号車」という返答以外、車内は静かだった。

 いつの間に眠っていたのか、車両の急停止で隣の隊員に頭突きをされて目が覚めた。

 荷台は真っ暗だったが、鉄帽の下のおびえた無数の目線がこちらに刺さっている。右手を挙げて耳を澄ますが、アイドリングとカエルの鳴き声以外は何も聞き取れない。

 荷台の前方に行き運転手に確認するが、前に倣っただけで事情は分からないらしい。武藤に目配せするが首を横に振って返してくる。あれだけさっきまで神経質に車両確認させておきながら、だんまりとはどういうことだ。重い腰を上げると、突き出た膝頭とブーツを半ば蹴り飛ばしながら荷台の出口に向かった。

 車列は向かって右手の田園地帯と左の小さな山に挟まれる格好で、少し右にカーブする状態で停止していた。要所とも思えぬ辺鄙な場所で、先頭車両は何をするでもなくヘッドライトを地面に投げて止まっている。他の車両からも様子を確認しようと荷台から頭が覗いているのが見えた。

 もう一度武藤に問いかけるが、やはりかぶりを振った。車列が短ければ先頭まで駆けていけばいいのだが、この疲労感の中急発進されて置いてけぼりを食らうのも癪である。少しためらったが結局、月光でわずかに照る路面を睨みながら足を下ろした。

 ――カッ

 ちょうど体重を乗せ始めた路面が、瞬間まぶしく光った。思考より早く首を上げる。同時に

 ――ドゥン!

 爆発音が鼓膜を殴りつけた。

 暗闇に慣れた目は飛び込む光量に難儀しつつも、数刻で事の全貌を捉え始めた。昇る赤炎、纏わりつく黒煙、爆散する破片、炎上するのは先頭の指揮車両!

 号令を!、と叫びながら荷台に顔を向ける。だが半ば車列に残した目線の先で、事態は更に変化した。

 今度ははっきり見えた、二号車に突き刺さる細く紫色の線。

 揺らめきながら荷台から運転席の辺りを撫で終えた瞬間、二号車は上半分がめくれるように爆ぜて跳ね上がると、後ろの荷台から地面に突き刺さるように落下した。エンジンルームに引火したのだろう、爆発の瞬間、吹き飛ばされる荷台の中身が見えた気がしたが、そのいくつかは既に上半身と下半身が直線的に切断されていたようだった。そしてその黒煙を切り裂くように、初めて耳にする「ビィィィン」という鋭い轟音とともに三つの巨躯が低空を左に横切った。

「全員降りろォ、急げ!車両から離れろ!」

 部下を避難させねばと思考が追い付いた時には、もうそう叫んでいた。律儀にポリカ盾を運び出そうとして転倒した隊員を踏みつけながら、皆荷台を飛び降りて蜘蛛の子を散らすように車両から距離を取る。

 頭の血管がはちきれそうに脈打つ。上官にどやされようが知ったことか、さっきまでの鈍重な気分が嘘のように生への渇望が沸き立つ。指揮系統繰上りを確認する暇はない。自分が、そして周りの隊員さえ死ななければ、裁判にかけられようがどうだっていい。

 武藤に一声かけると、先頭車両に向かって走り出す。恨めしいほどまばゆい星空を泳ぐ三つの飛影に目を凝らしながら、横切る車両の荷台側面を滅茶苦茶に叩き、叫びながら車列の脇を先頭まで走る。

 あれほど巨大なギャオスを見るのは初めてだが、通常相に比べて異様に翼が長細い、恐らくあれはGH相だ。不気味な飛行音は小さくなったが、まだ僅かに耳に捉えられる。急がなければ次が来る!

 確か三号車と五号車に管理隊経験がある隊員がいた、彼らならマニュアルで高射砲は扱える。本来なら砲台を地面に杭打ち固定する必要があるが時間がない、ジャッキだけ上げて迎撃態勢を取らなければ。

 後ろを走る武藤が五号車の目当ての隊員をすぐに見つけ、最後尾の高射砲に走らせた。だが三号車から隊員がほとんど降りてこない。荷台を殴った瞬間

「熱ッ!」

 側面にあるはずがない鋭利な手応えを拳に感じ、思わず手を引いた。

 熱と勘違いするほどの刺し傷を負ったのかと思ったが、側面は本当に熱くなっていた。少し波打った切断面が荷台の側面を前から後ろまで走り、断面のふちが少し尖った形で均一に盛り上がっている。『超音波メス』の名に違わぬグラインダーで切断したかのような見事な切り口を見せられ車両内の生存を願う気は瞬く間に失せた。上下する視界でギャオスの影を逃さぬよう必死に焦点を合わせ、一号車後ろにあった高射砲のジャッキボタンに飛びつく。

「……あぁ、クソ!」

 機関砲をGH相が飛んでいる田園地帯に向けた瞬間、自分の悪態に武藤の舌打ちが重なった。

 最初に車列が攻撃されたのは田園地帯からだった。その方向に目をやると、恐らく住民避難用に利用したのだろう、はるか向こうに工場かスタジアムかのLED照明が煌々と光る。GH相は照明を逆光に低空で車列に接近したのだ、あの巨体がレーダーにも見張りにも気づかれなかったのはこれか。

「武藤、後ろの高射は?」

「七号準備完了、四号も打てますが射手はペーパーッす!」

「仕方ない、一方通信!高射機関砲三門、目標は上空GH相三体、射角は右手田園地帯方向および上空、射撃は伝令による指示を待て、おわり!」

『七号了解』『四号、了解しました!』

 GH相は再び田園地帯上空に差し掛かりつつあった。やり口は最初と同じだろう、機動力がない我々は相手の動きを読み切るしかない。

「四号七号、目標は?」

『七号目標視認』『四号、視認!』

「先頭北寄りの一体を我、南寄りを七号、中ほどを四号。垂直降下して地表間近で水平飛行に移行すると思われる。水平飛行になるまで射撃待て。首が上がった瞬間を狙え。LED照明を直視するな、おわり。……武藤、サーチいるか?」

「夜目で撃ちます、観測だけ頼みます」

 武藤が言い終わると同時、先頭のGH相がまるで空気が抜けきったゴム風船が落下するように急降下を開始した。あまりの運動の速さに目方も測れていなかったが、加速度と重量感はやはり通常相のそれではない。

「射撃待て、待て、待て……」

 まるで分の悪いチキンレースだ。早く手を出せば切り返されて負け、遅ければ全身のエネルギーが乗った速度で突っ込まれるか、メスで焼き切られて負け。余多ある死線をかきわけ身体を起こす一瞬に賭ける。

「ッテェ!」

 瞬間、攻撃を受けたのではと紛う閃光と爆風が顔を叩いた。

 真っ赤な弾丸が水平飛行に移った目標に向かって伸び、火花が散る。砲台を固定していないせいで武藤は台ごと激しく揺すられ声にならない声を上げているが、それでも砲の引き金を引き続ける。高射砲の連射力では本来高速移動するギャオスは捉えきれないが、初手の命中が効いていた。なんとか体勢を立て直し左右に転回して弾丸を避けようとしたが、次手を幾つか食らって翼を折られ水田に激突した。

 喜ぶ間もなく反動で傾いた砲台から武藤を下ろすが、降り際に武藤が叫んだ。

「四号が!」

 目端に入った光景に反射的に砲台に飛び乗る。

 四号砲は空中に向かって射撃を開始していた、恐怖で引き金を引くのが早かったか。GH相は横に流れ、弾丸を避けながら四号に正対して超音波メスを放つ機会を伺っている。

「四号撤退、撤退しろ!」

 送信機に言い終わらないうちに射撃を始めた。砲台はアスファルトを削って土手に倒れこみ、まともに射程が定まらない。だが四号の隊員が逃げる時間さえ稼げればいい、こっちを向け!

「隊長ォ!」

 武藤が突然グッと足を引っ張り、身体が台から滑った。受け身を取る暇もなく、背中を砲台の足場に打ち付け落下する。

 ――バシュッ、パァン

 身体が落ちていく瞬間、顔の下あたりで何かが音を立てて弾けるのが見えた。身体が地面に落ちてしまうと、目の前に斜め切りになった高射砲の薬きょうとレバーがバラバラと転がる。身体を転がすように上を見ると、今まで居た砲台の座席が切断されて、切断面が美しく月光を反射した。

 同じように這いつくばっていた武藤と顔を合わせる。頭・腕・手・膝・足首を急いで触り、欠損がないことをお互いに確かめる。武藤に穴の開いた鉄帽を捨てさせると急いで立ち上がった。

 だが、駆け出そうとする車列後部は絶望的な展開を迎えていた。

 四号砲台は既にひっくり返り、隊員が小銃で射撃をする中、GH相はもう砲台から百メートルほどの場所に迫ってきていた。猛禽類のように翼を広げて下半身を失速させ、脚を突き出して中型車両を砲台ごと蹴り飛ばす。翼幅長は二十メートルを超えているだろうか、そのまま着地して翼を折りたたむと身を低くし、五号車の前で応戦する隊員たちに向き合った。

 隊員たちは間違いなくギャオスに応戦した。

 記憶に新しいであろう基礎講習に倣い、三人一組で前列がポリカ盾を持ち、後列二人が射撃をした。だがギャオスは彼らをあざ笑うように一間置くと、一人ずつ始末しにかかった。

 スニッカーズが最初の被害者だった。

 ポリカ盾ごと右前腕で思いっきり殴られた彼は、まるで子どもが投げたおもちゃの人形のようにクルクルと宙を舞った。五号車のフロントガラスに激突すると下半身が車窓に突き刺さり、上半身は千切れて飛んで行ったが、それでもその両手は闇に消えていく最後までポリカ盾を握りしめていた。

 残る二人の隊員は勇敢に引き金を引き続けた。

 だがギャオスは振り抜いた右腕を戻す勢いで左手を二人に伸ばして地面に押し付けると、暴れる二人をそのまま口元まで引きずって咥えこんだ。口の中で藻掻くのが鬱陶しいのか、何度か顔ごと地面に打ち付けると無理やり咀嚼をする。骨がバキバキ割れる甲高い音が十回ほど響くと、二人だった肉体は一つの塊になり、それをギャオスは満足げに嚥下した。

 ふざけやがってチクショウ、ぶち殺してやる!ハラワタ引きずり出して食わしてやる!

 そう思うのに、本当にそう思っているのに、悔しさはバネとなって行動に移り変わってはくれなかった。指も目も最早自分のものではないかのように、自分の命令を拒んだ。

 ――ガコン!

 鉄がひしゃげる物音が真横であったかと思うと、武藤に雑嚢を引き込まれて地面に突っ伏した。うつ伏せになって三号車の下を覗くと、着地したばかりのもう一体の巨大な爪が車の反対側、運転席の辺りを歩くが見える。恐怖か疲労か、はたまた高射砲を撃った反動か、掌をついて支える前腕の震えが止まらない。

 ――ヒュン

 耳をつねるような風圧が襲い、反射的に頭を車列の最後方に向けた。

 スニッカーズたちを襲ったギャオスが七号砲台にいた隊員に向かって突進している。夢中になった隊員はこちらが地面に伏せているなど知る由もなく、ギャオスに向かって泣きながら小銃を乱射している。時おり飛んでくる弾丸で動けずにいると、気のせいか乱射する隊員と眼が合った気がした。


 ――また見殺しにするんですか。


 飯塚も、庭坂の住民も、同じ顔だった。嫌だ、その顔はもう沢山だ。

 怖くなって身体を捻じって、後ろの武藤を見た。


 ――俺も見捨てるンすね。


 だめだ、皆同じだ、逃がしてくれない。死んでても生きてても、あの顔で俺を責めるんだ。


 半狂乱になってはね起きると、武藤が制止するのも構わず喘ぎ声交じりに三号車の荷台に飛び乗る。案の定中は死体の山で、皆同じ顔で俺を見つめてきた。


 ――また殺したんですね隊長。みんな待ってますよ。


 マネキンの部品のように転がる腕や脚をかき分けて、ゼイゼイと息継ぎしながら床に転がったグレネードを拾い上げ、発射筒のベルトを握りしめた誰かの右手を振り落とす。慌ただしい荷台の物音を聞きつけたのだろう、ちょうど左上の辺りで鼻息が聞こえた。人間よりはるかに巨大な生物が発する澱んだ吐気が、一度二度と、明瞭さを増しながら大気を揺らす。


 ――隊長、また会えますよ。


 三号車の隊員たちが、荷台の外に立つ武藤の目が、そう話しかけてくる。前腕の震えは上腕や肩にまで伝播し、グレネードを発射筒に詰めるという単純なはずの作業が全くできない。

 目の前の武藤の、小銃を握る手が筋張る。正義でも勇気でもなく、ただ恐怖から逃避するためだけに、震えあがる全身に命令しグレネードを発射筒に押し込む。

「ウオォォォ、こっちだぁ!」

 武藤が小銃を構え、叫びながら連射を始めた。ギャオスは楽しそうなオモチャを見つけたとばかりに身を乗り出す。伸ばした側頭部は荷台の目の前。

 弾が正常に嵌ったかどうかは、引き金を引くまで自信がなかった。

 ――バシュッ!

 糸を引く間もなくグレネードは目の前の目標に直撃し、ギャオスの頭部を吹き飛ばした。紫色の体液と脳みそが顔や鉄帽にへばりつく。首から上を失った胴体が倒れ込み、その奥から数人の隊員が車列の脇をふらつき乍ら歩いてくるのが見えると、続くように自分と武藤もその場にへたり込んだ。



 『三十六名死亡、五名負傷、車両全損二、使用不能三、高射砲全損一、使用不能一、その他武器・装具使用不能多数』

 暗闇の中、土塗れの金属片と肉片をかき分けて得た現状である。

 逃げたい、死にたくない、無意味だ。

 疑いようもなく全員がその思いを共有していた。だが集合した誰しもそれを口に出そうとはしない。それは正義とか人を護る使命とかいう輝かしい物のためではなく、あえて形容すれば脅迫であった。上官の監視も同僚の密告もここにはない。だが汗と泥と仲間の血が浸み込んだ戦闘服が、どうしても上半身が見つからない死体が、そして飯塚の「駒」という言葉が、自衛隊員としての死を強要していた。

「長田・松月・広瀬三名は六号車で負傷者の後送、死亡者は残置、残り十名は七号車で予定地まで移動する、以上」

 誰も顔を上げず、返事もなかった。

 いや、動くものが一人いた。武藤が顔をあげ睨みつけてくる。

「……本当に行くンすか?」

「命令の通りだ、他に質問は?」

「……四分の三が死傷ッすよ、こんな状態でどうしろって言うンすか」

「答える必要はない。他に質問は」

「大田原の南だァ?戦車大隊が張ってたとこじゃないッすか!今更俺ら行ってどうなるンすか!」

「うるさい、命令通りだ!他に質問はァ!」

 武藤は涙を流しながら歩み寄ってきたが、どうにか飛び出そうとする言葉を飲み込み鉄帽のツバを額に押し付けながらこちらを睨み続けた。

「他に無いな!なければ解散!準備完了次第出発する!」

 言い捨てて振り返り車列後方に進むが、隊員がついてくる気配はない。早足で七号車に飛び乗ると、ドアを閉めてハンドルに頭を預けた。


 みんな、武藤、頼むよ、一緒に来てくれ。

 俺もうダメなんだ、もう怖くて、俺一人じゃ歩けないよ。


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