第三節 口論の後
右手がスマホを机に置くべきか迷っていた。
連日の任務明けでわずかに得た休み、その最初を真琴との通話に費やすことに決めていた。家族とのやりとり、睡眠、シャワーと着替えなど候補は様々だったが迷いはなかった。
数日ぶりの声は相変わらずの明るさだったが、眼鏡を外した彼女は血色が悪く、指摘すると気まずそうに上司に帰宅を命じられたと告白した。身体は強い方ではないが人一倍強い正義感のせいで、彼女は健康を害するまで直進しがちだ。
『先生に怒られちゃった、自己管理しなさいだって。一大事に情けないよ』
「マコトは張り切りすぎるからな、庭坂の後からロクに寝てないんだろ」
『寝てないっていうか寝たくないって感じ。ちょっと不謹慎な言い方かもだけど興奮してる。官邸の危機管理センターも初めて入ったし、私たちのこれからの行動がみんなの未来を決めるんだよ?休んでなんかいられないよ』
「みんな優しいから遠慮して言わないんだろうけどな、目のクマ酷いもんだぞ?結構老けて見える。ロクなモン食ってないんだろ」
『そんなヤバい?一応毎日食べてんだけどなー、毎回半額弁当だけど。ショウはどうなの、体壊してない?』
「こっちは平気だよ、風呂入ってないから臭うけどな。こないだ小学生に『自衛隊さんクサいね』って言われた。こっちはだいぶ落ち着いてきたぞ、夜のギャオスの侵入も殆どないし。やっぱりマコトの言う通り、あの時の一群は森中のギャオスをかき集めてたんだろうな」
お互いの体調を気遣い、近況を聞く。字面だけなら普段と変わらぬ会話をした。だが今振り返れば、触れてはいけない一線の探り合いをするような、妙なぎこちなさがあった気がする。
通話が公安に記録されてるということもあり真琴の説明は非常に慎重かつ最低限であったが、被害対策審議会の方では南会津から男体山付近でセイリュウが複数潜伏していることを既に掴んでいるそうだ。テレビで連日報道されている核攻撃に関する外国からの圧も事実らしく、次回の作戦に日本の命運がかかっているのは明らかだ。真琴の熱量は語るほどに増し、猛りが抑えきれないのが伝わってきた。
そんな彼女の演説に相槌をうちながら耳を傾けていたのだが、その中のふとした一言に反射的に口を挟んでしまった。
『だからさ、やっぱり亡くなった人の死を糧にして、今回の作戦に活かさなきゃいけないんだと思うんだ。庭坂でも被害が出てたけど、いわきの方はもっと深刻。競輪場下の被害や逃げ遅れた被災者が多かったのも勿論だけど、深刻だったのは避難中に混乱した人が建造物の密集地域に流れ込んでしまったことね』
「……なぁ」
『これはガメラの衝撃波というのが未知だったことが大きな要因だけど、避難誘導マニュアル――』
「なぁ」
『――え、あ、なに?』
「死を糧に、ってやつ、止めないか。気分悪い」
『え?でも、そうしなきゃおかしいよ。人の死を無駄にしちゃいけないじゃない』
「無駄じゃなきゃ良かったか?意味がありゃ死んだ人は満足なのか?」
『そんなこと言ったって、それ以外どうするの?死んだ事実は変わらない、死んだら後はないんだよ。だから生きてる人がこれ以上被害を受けないように糧にするのが最善策でしょ』
「何だよ、その言い方。冷たいだろ」
『でも事実だよ?今生きてる人が最優先でしょ?』
「そうなんだけどさ、そんなの分かってるけどさ、そんな簡単に言うなよ」
『……』
「死者数はただの数字じゃないんだ、よくそんな簡単にやり過ごせるな。庭坂のみんなに、『死んだ事実は変わりません。次からは良い方法を考えます』なんて言えるか?オレ言えないよ。嘘でもいいから花束手向けて寄り添って、天国で幸せに暮らしてるって言ってあげたい」
『そんなのは建前だよ、建前だけじゃ世界は救えない。私は嘘は言えないし、もう私たちには時間がないの』
「じゃあ、飯塚さんは本当にもうどこにもいないんだな」
結局自分が言い過ぎたのが悪いのだが、その後すぐ通話は切れてしまった。
真琴が離れていく気がするのが怖かったのかもしれない。十年以上遠距離関係を続けてきたが、その間この関係が崩れることを心配したことはなかった。だがここ数日、彼女に対し妙な焦燥感が高まっている。自分の内面と彼女の内面が変質していって、かみ合っていた歯車が互いにぶつかり崩れていくようなもどかしさを感じる。これは彼女の変化を認められない自分の醜いエゴなのだろうか。
スマホをもう一度取り上げ、彼女宛のテキストメッセージ送信画面を開く。背景は小学校三・四年の頃の学芸会の写真だ、もう数年間ずっとこの写真を変えていない。
小学校の中学年、真琴は既に全国学力テストで異常と言える数値を叩きだし、飛びぬけた聡明さで教師陣にちやほやされていた。それに加え、教室のゴキブリを手掴みし爬虫類やダンゴムシを机の中に保管しておくような性格だったため、彼女は子どもから浮いた存在だった。クラスメイトは奇人の類の如く彼女を見ていたし、また時には極度の怖がりでパニックになりやすい彼女を脅かしてからかう者もいたが、それを含めても彼女とクラスメイトの関係は非常に希薄で、自分にとっても彼女はずっと空気のような存在だった。
そのはずが、何時どんな出来事だったか、ある時突然彼女に突然惚れた。
きっかけの出来事があったはずの小学校半ば頃の写真を見ていれば思い出せそうな気がして背景に設定しているが、結局ずっとそのままになっている。
テキストメッセージに何度か文字を入れては消し、最終的には誰にでも書けそうな月並みな字列が残った。
『さっきはゴメン、愛してる。お休み』
気休めに聞こえるかもしれないが、彼女に対するウソ偽りのない言葉だ。
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