第四章
第一節 帰路
「いやぁ今日は大変でしたね。大きい荷物がもう一つありますので待っててください」
グレーのアウディの後部座席に私を乗せると、竹下さんはそう言い残して研究室に戻っていった。触り心地のいい革シートとほのかなフィトンチッドの香りが強張った肩をほぐしてくれる。ダッシュボードの時計はちょうど十九時二分を指したとこだ。
そっか、七時か。
ガメラがセイリュウと衝突してからまだ三十七時間しか経ってないのに、もうずいぶん昔のことみたいに感じる。
結局ガメラが倒したセイリュウのうちの一体は旧大穴付近にいた個体と同一であることが確認されて、作戦自体は成功した。でもガメラの出した人的被害規模は渋谷に次ぐ大きさで、山間部でセイリュウを叩いて事態を早期に鎮静化したかった政府の当ては大きく外れた。
日本中が今、皆が誰かに怒ってる。政府に、自衛隊に、警察に、マスコミに、そして私たち研究室に。
予想はしてたけど、この三十七時間はひたすら謝罪と尻ぬぐいの時間だった。作戦終了後から各省庁やマスコミからセイリュウを見逃して市街地に接近させたことに関する責任追及の問い合わせが止まらなくて、取材対応の度に同じことをずっと聞かれて同じように返事してたから、いつ何をやってたんだか思い出せない。本当は一刻も早く今回の情報を集めて分析したいのに。
あの時、ガメラは衝撃波を放った後一分ほど活動を停止して、その後太平洋沖に泳いでいった。そのままどっかに泳いでいってくれればラクだったんだけど、ガメラはその後いわきから十キロ東の沖合で停止して、海岸線に沿って南下を始めた。今は海上保安庁と自衛隊が二十四時間体制で監視してるけど、この二十時間ガメラは海底でじっと身を潜めたままだ。
ガメラは、世界各地で過去に数回海岸付近で発見されているけど、その場合は必ず上陸をして巨大生物と衝突してる。今回も同じだとすれば、ガメラの付近にはその攻撃対象がいるはずなんだ。ホントなら防衛省・気象庁・環境省と連携して、一刻も早くその対象を見つけ出したい。
当然私も捜索する気満々だったし、それをモチベに議員先生のヤニくさい息に耐えながら謝罪行脚続けてたっていうのに、やっとクレーム対応がひと段落したと思ったタイミングで先生に帰宅命令を食らってしまった。
『長谷部さん、あなたは帰っていいわ』
――そんなことできません、早く目標を突き止めないと!
『言い方を変えましょう。帰りなさい、上司の命令よ』
――どうしてですか?これから大事な時じゃないですか!
『さっきからミスも多いし注意散漫よ。一晩休みなさい』
――私は大丈夫です!取材対応もまだスケジュールが
『あなた最近鏡見たことある?そんな顔マスコミには出せないわ』
――ホントに大丈夫なんです、裏方でもいいから仕事させてください!
『庭坂の後から食事の度に化粧室に駆け込むわよね?それがあなたの大丈夫なの?』
――……。
『半端に仕事されたら迷惑だわ。明日午後から出勤しなさい』
バックミラーの向こうの私と目が合った。ウム、素材が悪い点を考慮しても確かに酷い顔だな。
「……あ」
フロントガラス越しに竹下さんと目が合った、アホな顔して小じわチェックしてたの見られたかも。すごい恥ずかしい。
「お待たせしてごめんなさい」
「いえ、宜しくお願いします」
「二重橋前まででいいですかね。この時間混んでるかもしれないんで、くつろいでて下さい」
「お手間かけて申し訳ありません」
研究所の地下駐車場のバーをくぐった辺りから、マイクで拡声されたドラム音と絶叫が車内に聞こえ始めた。
「予想はしてましたが、やっぱりずいぶん賑やかになっちゃいましたね。ガラスはスモークなんで大丈夫ですが、音はだけはどうも……。少し抜けるまで時間かかると思います」
「構いません、送っていただけるだけで助かりますから」
この施設前でのデモなんて、少し前なら数か月に一回Holy Wings Association系の団体が環境保護団体と組んで正門でプラカード掲げるくらいだったけど、現在は昨日の作戦行動に対する怒りが研究所に向けて爆発してる状態だ。
正門が開くと、徐行する車にトマトやペンキ玉がボンボンぶつかったり、段ボールや拳でボンネットをバンバン叩いたりする音が車内に響いてくる。濃いスモークがかかった窓には人が張り付いて、目を見開いて怒って叫んで泣いてる。私の座る窓のすぐそばでおじいさんが叫ぶ。目は合ってないはずだけど、こっちに向かって必死に叫んでくる。
「ウチの、ウチの孫を返せ!お前ら、オマエ、オマエらが……、アッ!」
夢中で叫んでいたおじいさんが、後ろの参加者に押し倒されて転んだ。
「あ!竹下さん、」
「長谷部さん、無理ですよ」
「でも……」
おじいさんを目で追ったけど、デモ隊の足元に倒れ込んでるのが微かに見えただけだった。十メートルほど進んでデモ隊を置き去りにすると車はぐんと加速して、高速道に入るとため息がひとつ出た。
「竹下さんもごめんなさい、車にキズついちゃいましたね」
「いいんですよ、長谷部さんの方こそ大丈夫でしたか?」
「ええ、こっちは」
「テレビでも見ててください、ニュースしかやってませんけど」
ニュースなんて、どの局もいわきの話ばっかりだ。
ちょうどつけたチャンネルは総理談話のリプレイが流れてる。国の長だけあって演技力は大したもんだ。白井総理はスピーチに抑揚が無くて演説下手って言われてるけど、この直前を見てればそうは言えない。
ガメラが衝撃波を撃った後、センターの誰もが言葉を失った。煙が晴れて映像も回復して、ギャオスもセイリュウも吹っ飛んでしまったのが確認されると、物理や兵器に疎いお偉いさん方は無邪気に喜んだ。でも防衛省関係の顔が真っ青になってるので総理はすぐ異変に気づいたみたいで、若手官僚に耳打ちされるなり血相変えてスピーチ原稿を作りに別室に引き揚げた。数時間後の発表じゃ涙ながらに追悼を述べて国民に団結と援助を訴えるんだから、やっぱり国政は並みの心臓じゃやってけない。
ニュース画面の端には赤い帯に白抜きで『行方不明者八百名以上か?』の文字。周辺地域で避難勧告を連発したせいで人の動きを追い切れていないのもあるんだろうけど、きっと最大の要因は衝突地点間近にあった競輪場下の第一避難所の人たちだ。
衝撃波は、簡単に言えば凄く大きい音だ。打ち上げ花火や和太鼓のそばにいると内臓が響くのを感じるように、大きな音は鼓膜を破ることも内臓を破裂させることもできる。そして、衝撃波は密閉空間だと威力が増幅してしまう。
ガメラが放った一撃は、筋密度が異常に高いギャオスですら解放空間で即死するくらいの威力だった。密閉空間だった第一避難所内の住民は恐らくひとたまりもなかったはずだし、個人の特定とか人数の把握だって難しいかもしれない。私の貧相な想像力じゃ、あの中がどんな地獄なのか想像もつかない。
人がたくさん死んだことで国内も国外も一気に反ガメラの論調に傾いて、その結果日本政府はすごく難しいかじ取りを迫られることになった。
元々日本政府は国際的には珍しくガメラに寛容姿勢をとる国で、それはガメラに再三国家的危機を助けられた義理立てだったんだけど、国際常識としてはガメラを含むすべての巨大生物は駆除対象、つまり殺すことが大前提とされてる。
特に同盟国のアメリカは、二〇〇二年三月にガメラをネバダ核実験場に誘導して核攻撃を行った過去がある。駆除はできなかったけど五日間の行動停止が確認されて、この時から『巨大生物に対して核は有効』っていうのが国際的な常識になった。だから、それ以降どこかの国で巨大生物が出現すると、国家そのものが巨大生物をどう考えるかっていう以前に、『最終的には核使ってでも巨大生物を殺す努力をするんだぞ?やらなかったらどうなるか分かってるよな?』っていう外からの物凄いプレッシャーがかかる。巨大生物というのは出現した瞬間からもう疫病神なんだ。
今回もガメラが市街地で被害を出した事実があるから、周辺諸外国と同盟国、特にアメリカが核攻撃による支援要求を政府に迫るのはまず間違いない。多分外交筋じゃ、避難準備に時間が掛かるとか別案による解決の検討もしたいとか言って時間稼ぎしてるんだろうけど、首都圏を最終防衛ラインと考えたら距離的にはもうギリギリ。国民感情が爆発したり外圧で核支援を押し通されたりする前に、政府は何としてもガメラが居座る原因を取り除いて事態を収拾しなくちゃいけない。
「しまったなぁ、ここもデモやってるのか。ごめんなさい、少し遠回りしますね」
「大丈夫です、全然急いでないですから」
「テレビ同じのしかやってませんね、音楽とかにしましょうか」
「消してしまって構いません、静かな方が好きですから」
目の前に広がる大通りではHWA系の団体っぽい人たちが大勢歩いてる。この団体はもともとキリスト教系の宗教団体だったけど、ギャオスを天使と捉える独自の宗教観を持っていて、最近世界的に信者が増加してるそうだ。海外の人もちらほら混ざってるし、多分大きな大会をやってたんだろう。結構ルール的には緩い宗派らしくてあんまり攻撃的じゃないから研究所としてはありがたい。
「一度聞いてみたかったんですが、長谷部さんは信仰は持たれてたりされてるんですか?」
「いえ。科学者ですから」
「即答ですね、長谷部さんらしいな。自然科学はダーウィン以来宗教とは折り合いが悪いですからね」
「ダーウィンが折り合いが悪いとは思いません。進化の木をたどって種の起源を探る辺り、唯一神に起源をみる宗教観をよく表していると思いますけれど。そもそも『対立』は宗教と科学の関係モデルの比較的新しい一つであって、『折り合いが悪い』という問いかけは暗に対立煽りをすることになるのでは?」
「まあ、確かに論を限定してしまいましたね。いえね、こないだ本省に戻った時、同僚に『お前は科学教信者だという意識はあるのか』って聞かれたんですよ。神格化してるつもりはないって答えたんですが、自然を操作してることに疑問を抱いてないことこそが、骨の髄から信者の証だって言われまして」
「日本の教育ベースがかなり科学よりですから。『宗教』は日本ではカルトと混同されて敬遠されますし、お話のお相手の言い方にはなんとなくトゲを感じます」
「特に他意はないと思いますよ。我々の世界は青春時代を学業に捧げた人間が殆どですから、日常会話の訓練が十分になされていないんだと思います」
「それなら私もそうですね」
「え、長谷部さんが、ですか?」
「ええ、中学生になってもポケットに虫突っ込んで鳥ばかり眺めてたせいで周りからはヤバイ女扱いでしたから」
答えた瞬間明るい笑い声が車内に響いて、私も釣られてさっきのおじいさんのことで落ち込んだ気分が少しラクになった。
私も色々な官僚と関わってきたけど、竹下さんはちょっと異質だ。
クラブのお姉ちゃんと出向先の女性社員の区別もつかないような官僚なんてのはよく居るけど、この人は経験も能力もあるのにギラギラした出世欲とか自尊心とかが見えてこない。物腰の柔らさとか話し方は若い人特有だけど、なんだか妙に達観してて落ち着きがある。本人はノンキャリだからって言うけど、やっぱり出身が旧仙台だったのが影響してるんだろうな。
竹下さんの故郷の旧仙台は、第二次衝突の時宇宙から襲来した生物の草体が爆発した衝撃で消滅した。竹下さんが三歳の時のことで本人は全然覚えてないらしいけど、その時用事で一人だけ町を離れてて、帰ってきたら家族ごと故郷が消滅してたらしい。本人曰く学生時代はかなりグレてて頻繁に保護施設も脱走してたらしいから、そこから一念発起して官僚になるなんて並大抵の苦労じゃなかったと思う。
いつも整った髪型、ムダ毛もデキモノも探すのが難しいほどのフェイスケア、洒落つつも個性を忘れない服装や小物。食事後は絶対ブレスケアに一〇分。体格も細身で顔も女性的だから竹下さん狙いの女性は沢山聞いてるけど、絶対に自分からは口説かないし敬語も崩さない。そういう性格だから安心して仕事で関われるのはやりやすい面もあるけど、ちょっとやりすぎなぐらい潔癖で完璧なのは、自分の内心をさらけ出すのが怖い裏返しだろうなって、たまに給湯室で喋ってる時に感じることがある。
デモの行列は皇居前まで伸びてるらしい。参加者はHWAの旗と発泡スチロール製のギャオスを掲げて、まだ暑さが残る通りをゆっくり歩いてる。真剣に叫んでる人もいるけど、友達と笑顔で喋ってるグループや、親に連れてこられて退屈そうな子ども混じってる。信仰かぁ。
「竹下さんにとって、カイジュウは神ですか?」
「うーん、難しいですね……。原初の、まだ施政者が神に役割を振り分けていない頃の、平等に理不尽に死を振りまいて畏れられる存在を神とするなら、僕の中で彼らは神になりつつあるかもしれません。特にガメラを見たときはそう思った。あの圧倒的な力は人間が御すべきモノなのかって。ガメラが人造の産物だとは思いますけど、アレを作り出した人間やギャオスを作り出した人間は、あの存在をコントロールしようとしていたように思えなくて。それくらい強大な存在ですから。長谷部さんはどうです?」
「私は、まだ彼らはなり切れていないと思います」
「と、言いますと?」
「そこのデモ隊も、さっきの竹下さんの対立の話も、議論の本音は金と権力です。まだ私たち人間は、本音を隠しながら建前だけをぶつける余裕がある。でもギャオスに好き勝手啄まれたりガメラに踏み潰されたりする毎日を生きて、人々が無差別に降り注ぐ死に意味を見出そうとし始めたなら、彼らは本当に神になってしまいます。私たちの研究はギャオスを怪獣から巨大生物に引きずり下ろしたし、このままいけば製造プロセスだって解明できるかもしれない。他の怪獣だってきっと科学で理解できるし、そう信じることが私の、人を守る科学者としての意地です。私たちの社会レベルが一万年前に戻るのを見るのは嫌ですから」
しまった、テンションが上がって話しすぎた。
退屈してないかバックミラーを覗いたら、竹下さんの口元に綺麗なえくぼができてるのが見えた。
「……なんですか、ニヤニヤして」
「いやぁスミマセン、流石は正義の味方です」
「その呼び方止めてくださいって」
「長谷部さんが何と言おうが、やっぱり正義の味方ですよ。そういう真っすぐなとこがすごく長谷部さんらしいです。主任も昔の自分と重なるところがあるんでしょうね」
「先生に比べれば私なんてまだまだです」
「大切なのは、人を守りたいと自然に言えるとこなんじゃないですか。僕は長谷部さんのそういうところ――」
竹下さんが頭を少しかがめて、バックミラー越しに目を合わせてくる、そして
「好きですよ」
「げぁ?」
ヘンな声出ちゃった!
クソ、顔真っ赤なのバレてないかな!冗談のつもりか何だか知れないけど、自分が周りにどう見えてるのかよく考えてから言ってくれ!
「あ、えお、」
「さ、お待たせしました。駅前は混んでなくてよかったですね」
「うぇ、あぉ、どうも」
「じゃあまた明日、お休みなさい。よく休んでくださいね」
結局最後はうやむやのまま私を降ろすと、アウディは人もライトもまばらな丸の内の大通りを颯爽と駆け抜けていった。もう夜だっていうのに、風が一段と熱く感じた。
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