第八節 白い壁
中央通りは人、人、人。もうメチャクチャだ。
「オイ急げよォ!いい場所取られちまうだろ!」
前を走るテンが急かすけど、さっきからふくらはぎがビリビリ痛む。体育で真面目にランニングやってねぇからなぁ。
「悪い、ちょっと休まして。足痛ぇ」
「はぁ?フィジカル雑魚じゃん、担いでやろうか?」
「ヤダよ絶対ヤダ。もうこの辺で高いビル探そうぜ」
雨で混雑したバスから飛び出る時みたいに人をかき分けながら道端に移動して、ドーナツ屋の前に座り込んだ。目の前の広い道路を二種類の人間が左と右に走ってく。
一種類目は賢い人。避難勧告にちゃんと従って、家族とか親戚とか友達と手繋いで不安そうな顔をしながら右へ走っていく。
二種類目はバカ、俺らもその一員。怪獣ショーとこの世の終わりの始まりが見たくて、警官の制止を振り払って陸上競技場が見える左側方向に走ってく。ラリってんのか瞳孔が開いてヘラヘラ笑ってる奴もいてちょっと気持ち悪い。
普通なら迷わず右に行くけど、世界最強のガメラ出現って言われると話が違う。
社会科の資料集には必ず顔が載ってて、渋谷を一面黒焦げにしたとか宇宙から来たバカデカい虫を木っ端微塵に吹っ飛ばしたとか、トンデモエピソードのオンパレードだ。でも現代史の教員にガメラの話題を振っても「正しいことがよくわかってないし、そこテストに出ないから」とかつまんねぇこと言いやがる。
「やっぱ核攻撃効かねぇってのがポイント高ぇよな」
「マジそれな。アメリカっしょ?やったの」
「ワールドなんとかビルとかいうの張り倒された仕返しでやったらしいよ。五日間心臓止まったけど復活して飛んでったらしい」
「詳しいじゃんセイ、もしかしてガメラに詳しい方ですか?」
「さっきググった。死んでも復活とかチート感ハンパねぇわ」
喋ってたらアガってきた、やっぱ近くで見るしかねぇ!
一息ついて歩き出してみたけど、警官がさっきから増えててなかなか競技場に近づけない。
「また繋がんねぇ、松尾ちゃん全然連絡とれねぇわ」
「知るかあんな奴。どうせ病院でぶっ倒れてんだろ。あの病院避難所なんだからラッキーじゃん」
「お前冷てぇよな、一緒にガメラでも見りゃ発展するかもじゃん」
「おめぇこそあんなジャンキー女と良く付き合うよ」
「お前二次元見過ぎで目ぇ腐ってんぞ、レベル高ぇぞあの子」
「またそれかよ、時間のムダ」
スマホの避難勧告アラートは『競技場から半径四キロ立ち入り禁止区域』と出てる。公式に『ガメラとセイリュウはここで戦いますよ』って書いてあるようなもんだ、官僚ってアホなのか?範囲内に入ってるスマホは緊急警報のバカでかい警報音がピーピーなるからGPSだけ切っておかないと煩くてしょうがない。
「おいセイ!このビルいいんじゃね?」
「それマンションだろ、不法侵入しねぇと見らんねぇぞ」
「なんか入口開いてるし屋上まで行けばいいじゃん」
「向かい側のビルでいいだろ、エレベーター動いてるし」
流石いわき、港町は金持ちのたまり場だからどのビルも綺麗で背が高い。最上階に向かうガラス張りのエレベーターに乗ってると、向かい側のマンションでベランダから双眼鏡とかビール片手に陸上競技場を眺めてる人がチラホラいるのが見えた。
「金持ちも結構逃げてねぇなぁ、ガメラの火とか飛んで来たら死ぬんじゃね?」
「良いんだよアイツら金あんだから。金で何でも解決できんだよ」
最上階は屋上展望台だ、見物人が結構いる。潮っぽい風が吹いてるけど、霧なのか雲なのか空も景色も白っぽくて霞んでる。
展望台のガラス壁に張り付いて陸上競技場の方角を探そうとした時、海の方が何回か光った。続けて花火みたいな爆音が響いて煙が上がって、屋上も向かいのマンションも一気にテンションが上がる。
「あれガメラらしいぜ!今ネットで出てる!」
「すっげぇ、これめっちゃ近いじゃん。誰が撮ってんの」
テンが見せてきた動画は二次避難所からの隠し撮りらしい。岩みたいなガメラが手をついて、吹っ飛んだコンクリートの破片が隕石みたいに上から降ってきてる。
「セイリュウは?見えた?」
「わっかんねぇ、あそこに飛んでるヘリとか飛行機みたいなのの下じゃね?」
「とりまネットの動画チェックしとくわ、それどこの――」
動画を共有しようと思ったら急にセイのスマホが暗転した。
電話だ、『松尾ちゃん』かよ、今更なんだ?
「松尾ちゃんか?スゲェよ、今俺らな」
『今どこだぁお前らぁぁ!』
スピーカーがバリバリ割れて罵声が飛んできた。ドン引きして俺もテンも苦笑いがでる。
「……え、松尾ちゃん?何?どうしたよ」
『今どこなんだよぉ!聞いてんだぁ!』
「え、競輪場とかの向こう側のデパートみたいな――」
『早く逃げろぉ!』
あんまりにも必死なんで吹き出しちまった。何コイツ、拗らせ系かよ?
「あのさ、お前まず落ち着けよ。どうした?」
『なんでだよ、なんでみんな逃げねぇんだよ……』
「俺らは離れた場所いっから。怒鳴ってねぇでちょっと落ち着けよ」
『離れてねぇっつってんだよ!なんで、誰も言うこと、聞かねぇ』
頭打って変になっちまったのか?母親を思い出すからヒステリーは嫌いだ。
『頑張ったんだけどよぉ、あたし向いてねぇよ、うまくできねぇよ……』
もう何なんコイツ?意味分かんねぇって笑い飛ばそうとしたのに、テンがいきなり割り込んできた。
「判った、逃げるぞ。オレら逃げるぞ。松尾ちゃん迎えに行くから。どこいる?」
「……は?何言ってんの?マジで逃げんの?」
「おめぇ泣いてんのわかんねぇの?」
え?泣いてる?松尾?
「マジ泣きの区別つかないのはさすがにヤバいって」
そういってテンはいきなりエレベーターに向かって走った。なんだよコイツら、面白くねぇ!
「今から逃げるぞ松尾ちゃん、病院行けばいいか?」
『早くそこ離れろ。車、クルマで逃げろ!』
「そもそもなんでコイツの言うこと聞くんだよ、コイツが何か知ってるわけじゃねぇだろ」
「女の勘だろ。おふくろのもよく当たるからな、お前もそういうの信じとけ」
下りのエレベーターに乗る奴なんか誰もいない。セイリュウにヘリが機銃掃射してるのと、それを見て大はしゃぎするマンション奴らがガラス窓越しに見えた。外の風景がテレビの中の世界みたいに遠く見える。
一階で扉が開くと、テンはとんでもない速度で正面道路に駆けだしていった。手元に残ったスマホで嫌々松尾に話しかける。
「……松尾、今から車で向かうそ。ってかさ、お前何知ってるわけ?さっきから何なん?」
『白い、壁……』
「……ハ?何?なんつった?」
『もう見えないんだよぉ!さっきまでできてたのに、チクショウ、チクショウ……』
「悪いんだけどさ、さっきからお前意味わかんねぇんだわ。白いカベ?って何?」
『触ったらみんな死ぬんだよ!お前らみんな死んじまうんだぞ!』
クラクションが長鳴りして、黒塗りのデカい車に乗ったテンが現れた。
「なんだよコレ、めっちゃ高級そうじゃんか!」
「なんか置いてあった、いいから乗れ!」
革張りの後部シートに飛び乗ってカーナビのテレビをつける、どのチャンネルもガメラとセイリュウの衝突地点の中継ばっかりだ。テンにスマホを放り投げて、俺のスマホでも接近している動画を探す。さっき屋上で見ていたライブ配信が一番近くて鮮明だ、動画の再生回数カウンターがイカれた早さで増えていく。
「ヤベぇぞ、もうかなり近い!」
「もうバチッてる感じ?」
「もう目の前だ、スゲェ」
ガメラは相変わらずバカでかい岩みたいで、身体全体が装甲みたいだ。こんなやつがダメージ喰らうイメージが湧かねぇ。
でも俺はギャオスも間近で見た。テカテカした赤黒くて長い爪もビッチリ並んだ歯も、人間とは次元の違うパワーとスピードも体感した。今でもロッカーでのアレは夢に出てくる。あの時のギャオスだってそんなにデカくなかったのに、それ以上の大群が本気で襲い掛かるのかよ。どうなっちまうんだよ!
――衝突します!ガメラがギャオスと衝突します!
カーナビからアナウンサーがキンキン声で叫ぶ。テンの運転が荒くて車が揺れるけど、目だけはライブ配信に釘付けにした。
ガメラに向かって全速力で飛び込んだギャオスたちは、手前で減速して後ろ爪で飛び掛かったり、そのままミサイルみたいに頭から突っ込んだり、狂ったみたいに攻撃を始めた。頭から突っ込んで首が折れたり後続に背中から突っ込まれたりして、ガメラの足元にボトボトギャオスが落ちていく。流石ギャオス、正気じゃないぜ。
ガメラの首にセイリュウが食らいついて、あっという間にその下から緑色の液体が流れてくる。出血してんのかよ、あんな分厚い装甲が破れてやがる。
でも飛び掛かられた瞬間、ガメラの方は固まったままだった。火炎放射で応戦するかと思ったのに何もしない。負けちまうじゃねぇか、このまんま終わりか?
拍子抜けだな、そう一瞬思った時、「アレ」が起きた。
最初に気付いたのは音だった。
そういえば屋上でライブ配信を見始めてから、ジェットエンジンみたいな、詰まった掃除機みたいな音がずっとしてた。その音がいきなり止んだ。
「アレ」は最初に、ガメラの皮膚から出てきた。
ガメラの身体に残った海水とか流した血とかが振動で周りに浮き上がって、薄緑の壁になった。
壁はあっという間に体中にへばりついたギャオスを飲み込んだ。あんなに強くてデカいギャオスがほんの一瞬、目玉が飛び出て、耳と鼻の穴から血とか脳みそとかを噴水みたいに吹き出して、雑巾みたいに羽がねじれて胴体ごと千切れるのが見えた。セイリュウの鱗が全部引っぺがされて、喉に食らいついた顎が裂けて頭が割れるのが見えた。ギャオスもセイリュウも飲み込んで、壁はカメラに突進して、ライブ配信は突然切れた。
壁、白い壁。
マズい。
前を向いてカーナビの中継を見た。
さっきまでつまらないお天気カメラの定点映像だったのに、前を向いたその一瞬、気持ち悪いくらい綺麗な半透明の球体が画面のど真ん中にあるのが見えた。白い球はあっという間に膨らんで、それがぶつかるとコンクリも看板も街路樹も、砕け散って飲み込まれた。白い壁はあっという間にカメラに襲い掛かって、こっちも映像が切れた。
衝撃波か!
背中を後ろに捻じって後ろを見た。
綺麗なもんだ。二車線の大通り、白く塗られた立体交差、道沿いに並ぶ青いガラス張りのテナントビル、通りの突き当りは自然公園があって大きな木が揺れてる。この辺全く土地勘ないけど、人がいない以外は何の異常もない。でもアレは来る、後コンマ何秒かでアレが来る!
考えろ俺!お前の望んだ非日常じゃねぇか!
車の中なのはマズかった、密閉空間はマズいんだが時間がねぇ!
クソ、なんか捻り出せ!プライドばっかりデカい癖に、実際見下してる人間におんぶにだっこかよ。一生に一度ぐらいテメェで自分のケツを拭け、テンに借りを返せ!
冷静に考えるんだ。対象は俺とテン、目標は衝撃波によるダメージの軽減。シートベルトは二人ともしてる。できる発話は一・二回。セリフをまとめろ、急げ俺!
「テン!耳を!塞げ!」
ズレたバックミラーの先、テンの顔が動いた。そしてその後ろ、白い壁が音もなくヌッと現れて、自然公園の木が飲み込まれるのが見えた。
白い壁が道を走ってくる。店の窓が粉砂糖を息で吹いたみたいに粉砕して、車がペーパークラフトみたいに舞い上がる。白い壁は、枝で、ガラスで、書類で、アクセサリーだ。日常同士が高速でぶつかり合って、粉々の絶望になって突進してきやがる。
腕を上げて掌をバチンと耳に当てる。鼓膜がイカれそうだが知るか。テン、気付け!
「耳を!ふさげぇ!」
テンの手が上がった!
同時に、ぎゅっと目をつぶって前かがみになる――。
熱風みたいなのが背中に襲い掛かったと思った途端、頭が肩にめり込みそうな力でシートが突き上がってきた。内臓が潰れそうなぐらい抑えつけられて、歯を食いしばってガマンする。頭蓋骨が割れそうなぐらい思いっきり耳を押えても、何かが掠って、ぶつかって、貫通して、潰れる音が掌越しに聞こえてくる。腕や首や顔に、細かい何かがとんでもない速度でぶつかってきて、顔に突き刺さって痛いのか火で焼かれて熱いのかも分からねぇ。
重力の方向が滅茶苦茶に入れ替わって、屈んでることすらできなくて、シートベルトに固定された下半身から上半身がすっぽ抜けるそうなぐらい引っ張られて、悪夢みたいな時間はすごく長かった。その間ずっと祈るしかなかった。
死にませんように、
死にませんように、
死にませんように、
――
「ブハァッ!ゲホゲホッ!」
顔に当たる日差しの暑さで目を覚ました。
鼻と気管にビッシリ埃が張り付いてるのか何度咳き込んでも粉っぽくて、そこら中焼けたプラスチックみたいな臭いがする。腕も顔もわき腹も痛くてたまらない。生きてる喜びなんか微塵も出てこない、クソみたいな気分だ。
咳が少し落ち着いてきて、ヒリヒリする顔をゆっくり触ってみた。頬の辺りに何か刺さってるらしいけど眼球は平気そうだ。ゆっくり目を開けてみる。
ヘンな色の景色だった。
辺り一面灰色の埃で覆われてて真っ白なのに、片目だけ、左目だけ景色が赤く見えてる。さっきまで車中にいたはずだけど、車の前半分は天井と一緒に剥がれてふっ飛んだらしい。俺のすぐ左隣のシートに全く見覚えのないハシゴとクツが突き刺さってる。
そこら中痛いのをガマンしながらシートベルトから抜け出すと、さっきまで運転席があった方に這って歩いた。
乗車スペースはフレームしか残ってなくて、テンは地面に埋められたみたいに突っ伏した格好で倒れてた。胴体が千切れてたり顔に石がめり込んでたりしてるんじゃないかと怖くて声掛けられなかったけど、三十秒ぐらいしてとりあえず肩をゆすってみた。埃が真っ白に積もって死体にしか見えなかったけど、二・三回揺すると咳き込んでムックリ起き上がった。
「いってぇ、生きてんのか……」
「とりあえず、死んでねぇ、らしい。体中、死ぬほど痛ぇけど」
「オレ……、脚とか全部ある?セイ顔にメッチャガラス刺さってんぞ」
「一応、つながってんじゃね。顔は、そんな気してた」
シートに挟まっていたテンの脚を二人で引っこ抜くと、立ち上がって周りを見た。
周りの建物は骨組みや鉄筋部分は残ってるけど、全部ボロボロで何が何だかわからない。アスファルトもめくれあがってて、今いる場所が道路だったのが辛うじて判るぐらいだ。でもバッキリ折れた道路標識を見ると、この道路は夜中いた病院に繋がる大通りらしい、意外と近くまで来てたのか。
目が慣れると俺達みたいに生き残った人間が数人、煙の中でフラフラ歩いてるのが見えるようになってきた。俺もテンもゼーゼー言いながら道をしばらく歩いてると、背格好に見覚えがある人影が遠くに見えた。
「……!松尾!」
「松尾ちゃん!」
松尾は俺らを探すんでもなくて、高層ビルから落ちてきたらしい家具をひっくり返してるとこだった。こっちに手を貸してくれって言おうとしたけど、松尾のとこまで数十メートル歩くだけで精いっぱいだ、熱中症の時みたいにフラフラする。すげぇ気持ち悪い。
「お前……、無事、だったか。何、やってんだよ」
松尾は答えない、相変わらず散らばった家具を引き倒している。イラっとしたけど喋るのが辛い。
「なぁ、電話。アレ、なんで」
「あたしも、あたし、頑張ったのに……」
何だよ、泣きてぇのはこっちだ。さっきから何やってやがる、そんなのより怪我人を――
そう思って目線を落とした時、やっと俺はコイツが何やってるのか理解した。
辺り一面に落ちているのは家具だけじゃなかった。
ガメラの衝撃波はガラス張りの高層マンションの部屋を一気に駆け抜けて、家財ごとその住民も外に叩き出した。ついさっきまで酒片手にはしゃいでた連中は、体中にガラスが突き刺さって家具に上から押しつぶされてて、そいつらの手とか足とかが瓦礫の間から飛び出てたんだ。それに気づいた瞬間もっと気分が悪くなって、俺はもう立ってられなかった。
「人が沢山いるって言ったのに、止めらんなくて……」
ああフラフラする、気持ちわりぃ。コイツに聞くことあんのによぉ。
「……ァァ、」
「あたしのせいだ、上手くできなかったから」
ダメだ、カサカサした息が漏れるだけで声になんねぇ、ぶっ倒れる……。
「ゴメン……。みんな、ごめん、なさい」
なあ、松尾さんよぉ、
お前、一体何者だよ。
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