第三節 残滓

 二〇三〇年七月三十一日は、全てが意識下を流れ沈んだ。

 パジェロからの救出、緊急外来での治療、大量の報告事項、作戦成功の報告、清掃と片付け、家族との食事と両親の涙、そして飯塚の通夜。

 覗き込めばそれらは確かに底深く刻まれている。だが一つ一つを掬おうにも重い泥ばかりがまとわりつき、いつの間にか指からすり抜けていってしまう。

 作戦行動後の報告がひと段落した段階で、確か中隊長が間に入り休ませてくれたように思う。だが人の声が聞こえない暗所に入れられた途端気が狂いそうになり、気付けば絶叫して暴れる自分を看護師が総出で羽交い絞めにしていた。

 三十一日は本来休みだったが、何もしないと飯塚の死にざまが脳裏に再生されてしまい、たまらず返上して清掃作業を願い出た。町中に吐き捨てられたギャオスのペリットをかき集めゴム手袋でかき回して遺品捜索をする光景は、先日までベテラン隊員の昔話に登場するだけの遺物だった。古参達は一様に「若手にこんなことをやらせたくなかった」と普段の強面を泣き崩したが、強烈な酸の臭いと発酵臭は悔恨の念すら彼方に追いやり、灯滅しかかる平静をなんとか押し留めるのに役立った。

 救出された後も、家族との食事でも、飯塚の形見の剥製を譲り受けた後でも、そこかしこに涙があったが、不思議と冷静にその訳を理解しようとするだけで、共感して共有しようという意識の発露はなかったように思う。

 唯一つ、今意識の水面には目だけが浮かぶ。

 三十日より以前、自衛隊は守人であり象徴であり、血税をすする巨大な金食い虫だった。迷彩服を纏い車両で移動する自分には、緊張の、好奇の、信頼の、時折侮蔑の目が刺さっていたし、それらが隊員の日常だった。

 だがその目はあの日を境に変容した。軽蔑で、悲哀で、憤怒であれば、幾分救いはあっただろう。現にTVやネットでは、庭坂で第二避難所が攻撃された事実を受け避難システムを構築した政府の責任を問う論が渦巻く。だが生活基盤の全てを突如奪われた当の住民たちは感情を表す余裕すらなく、その目には強いて言えば困惑や呆然に近い何かが僅かに漂うだけである。

 二〇三〇年八月二日二〇〇〇より、隊区であった緩衝地域は消滅する。

 我々が撃ちのがしたギャオスが再び居住域に侵入して第二避難所を襲う可能性も考えられるため、庭坂周辺は警戒区域に指定され対象住民に避難勧告が出された。我々は作戦を成功させたのだろうが、結局守るべき人も場所も、管理隊そのものも失うことになった。

 明日までに基地の機材を全て運び出し基地を引き払う必要があり、今夜は隊員総出の引っ越し作業である。プレハブ式の基地は中身さえ運び出せば後は早く、機関砲も元々はお払い箱同然だった兵器に無理やり射撃システムを外付けしただけで手間はそう掛からないと見える。だが父の猛反対を押し切って入隊し、自分の人間形成の舞台となっていた場所を分解すること、ましてやそれが自分自身の至らぬ結果であることに対して忸怩の念が絶えない。

 深夜、暇を見つけ基地の外へ出た。

 夜空も山も変わらぬ姿で迎えてくれたが、愛していた街の灯は力強さを喪失し、中心を貫く基幹道路も街灯が力なく首を垂れるだけである。しばしその光景を眺めると今度は裏手に回った。

 飯塚は深夜勤務の時いつも外を眺めるのを日課にしていて、自分もいつの間にか彼をまねるようになった。だが飯塚は街ではなく、いつもこの裏手を見ていた。

 裏手の前には密生林が広がる。

 密生した杉林の幹下は変わらず漆黒に覆われていて、飯塚は煙草を一本吸いながらいつもその辺りをじっと強張った剣幕で見ていた。若かった自分は彼の隣で、夜目を鍛錬しているのか監視の一環なのかと問うたが、結局飯塚は何も答えなかった。

 よく飯塚が立っていた場所から前を睨んでみる。

 遠近感すら失わせるような漆黒はあの時と変わらずそこにあった。闇は飯塚との記憶と感情を貪欲に飲み込み、恐怖すら覚えることを許さず、それでもなお己だけは変わらぬ漆黒としてあり続けるのだった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る