第二節 出立
『明日から避難生活になるが、離れていても皆は光陰高校三年十二組の一員だ!』
夏休み中、しかも避難勧告期限の前日だってのに、わざわざ学校に呼び出されたあげく、担任が涙ながらにしゃべったのは、要するにこれだけだった。
朝九時からこんな下らないセリフ聞かされて課題を山ほど渡されたってのに、クラスの奴らはどいつもこいつも涙を流して語り合い肩を寄せ合っていた。お前らいつも教員も授業もクソクソ言ってたくせに、マジでそんなにこの学校好きだったか?
感動と別れの三十分を過ごすと、友達との別れを惜しみつつ皆自分たちの家に散らばっていった。チンタラしてたりダベったりする奴らも結局は教員に追い出されて、十一時には正門は閉鎖された。
福島駅に向かった。
ゲーセンをブラブラしたあと金を多めに下ろして、しばらく味わえなくなるかもしれない餃子の満州のダブル定食を堪能した。古本屋かなにかで立ち読みしようかと思ったけど、市内のどの店も本日閉店か午前中のみの営業らしくて追い出された。コンビニさえ引越し準備で開いてない。三時まで暇だった。
二日前から、決戦は今日だって決めていた。
金もある。知識もある。ある程度物資もある。あらゆるパターンの会話シミュレーションもやった。後はタイミングだけだ。
二日前にギャオスが街に溢れて、この街の『当たり前』は木っ端みじんにぶっ壊れた。みんな泣いて怒って絶望してたけど、俺みたいな社会不適合者にとってこんなチャンスはない。別に宗教とか信じてねぇけど、こんな状況もう神がゴーサイン出してるようにしか感じない。
クソみたいなうちの家族もぶっ壊れた。いや、正確にはぶっ壊れてたのを隠し切れなくなった。どいつもこいつもヒステリックになって、昨日は廃人みたいになってる兄貴もそろって、もう一生ないと思ってた家族と夕食を喰った。
唯一の心配ごとだった就職もなんとかなりそうだ。結局あの騒動のおかげで俺たちの生息域侵入はバレなかったし、二学期は全部オンライン授業と課題提出のみになったから、もう実家に居なくても卒業は確実にできる。なんてったって今日でほとんどの奴は家を捨てなきゃなんねぇんだからな。これも実に良い風向きだ。
気温四〇度のなか行く当てもなくて、結局二時半まで駅中の壁際に腰掛けてた。昼間なのに凄く混雑してて、駅員がずっと交通整理で叫んでる。朝起きたままみたいな格好の奴もいれば、東京に行くような気合メイクしてる奴もいる。学校の奴らもどんどん前を通るけど、声はかけてこない。どいつもこいつも辛気臭くてぼーっとしてる。百年ぐらい前の戦争で疎開した人たちもこんな顔してたのかもな。
家に着いたのは三時五分だった。
外門は、朝から来てる引っ越し業者が出たり入ったりしてる。門を通って左の庭は元々日本庭園で、俺が小さい頃は専属の業者が月一で手入れに来てたけど、ここ数年は草も伸び放題で今は引っ越しトラックの駐車場代わりだ。奥で親父が業者に運び出しの指示をしてる声がする。
内門を開けて家の玄関に近づくと、母親がドンドンと廊下を歩く音が聞こえて反射的に身体が強張った。いつもああやって、ワザとかかとを当てて俺の部屋に怒鳴り込んでくるんだ。足音が台所に移動したのを確認したところで、一気に玄関から階段を駆け上がって自分の部屋に飛び込む。
――フー。
ひと息ついてから部屋を見回す。
俺の部屋だ。俺の居場所、俺を閉じ込める小屋。
俺のプライベートスペース。借り物で、親が入ってこようが文句は言えないプライベートスペース。
ここの何処にだって思い出がある、でも楽しい思い出を上書きした嫌な思い出がどうしても湧いてくる。
ベッドの下からスーツケースを引っ張り出す、必要なものは昨日全部詰めておいた。名残惜しいけどクワガタどもは在庫処分せざるを得なかったから、昨日のうちにその辺の雑木林に放り投げておいた。ベッドもポスターも学習机も、今日でお別れだ。
部屋を出る前にドアに背を当てて、もう一度息を吐く。
大丈夫、できる。
――家を出ていく。
親に遭遇したら、そう言って門に駆けだし、チャリに乗って駅に行く。それだけだ、簡単だ、そうだろ?
肩で何回か息継ぎをして、ドアノブを回した。
ゆっくりと階段を下りる、少し背筋を伸ばして渡り廊下を歩く。
「誠二!」
予想してたのに、身体が跳ね上がるほど驚く。
「あなたいつ帰ってきたの!学校十一時に終わってるって連絡来てるんですよ、こんな大事な時にどこに行ってたんですか!挨拶も遅くなってごめんなさいの一言も無いで勝手に自分のことだけすませて、いい加減家族のこと手伝ったらどうなの!」
目の前にいる人間に話すとは思えないデカさで怒鳴り散らされる。声にアクセントがつくたび、どうしても肩がビクついて胃が跳ね上がる。
もう昔からずっとそうだ。
小さい時から怒鳴り散らされ続けたせいでこの癖がついちまって、怒られてなくても、それこそ母親と似た声の女が大きい声で笑っても、この無様な癖が勝手に出る。今だけは頑張らなきゃ、勝たなきゃダメなのに、どんどん背中が丸まっていく。
「昨日にしたって、やっと家族の前に顔を出したと思ったら何なんですかあの態度は!お兄さんがあんな大変な思いをしたときに家族がとる態度なんですか?恥を知りなさい!あなた?兼史さん!いらしてちょうだい!」
母親が親父の書斎に行った。またあの嫌なドンドンという足音が遠ざかる。手汗が尋常じゃなくてスーツケースがつるつる滑る。どうしても一言が出てこない。ドンドンはすぐ戻ってきた。
「誠二!」
振り向きざまにガツンとやられた。足がもつれてふすまを開けていた和室に倒れ込む。見上げる先には腕組みして見下ろす二人、コイツらお得意のフォーメーションだ。
「お前はなんでそこまで自覚がないんだ!どうして協力し合う行動がとれないんだ!ずっと部屋に引きこもって昆虫相手に一日過ごして、周りに恥ずかしいと思わないのか!優秀な手本が傍にいて、周りの友達が普通に社会に出て活躍しようとしてるのに、遅れを取り戻そうという焦りがなんでお前から出てこないんだ!」
「結局中途半端なんですよ、中学受験だって高校受験だって自分を伸ばそうとか、夢を目指そうみたいな前向きなことをあなたが話したことがありますか?無難な高校行っておいて未だに進路も決まらないなんて恥ずかしくて近所も歩けないじゃないの!」
「全部お前が甘やかすからだ、中学受験の時になんでもっと生活態度を徹底させなかった!その辺が取り返しのつかないところになってるんだよ!妥協させるなと言っただろ!」
「私のせいなんですか?!」
「当たり前だろ、お前も原因だ!なんでコイツは昭一と違うんだッ!」
身体が、口が動かない。怖い。これじゃ今までと同じじゃねぇか。
横の仏壇を見た。おばあちゃんの写真の隣に、兄貴のミニポスターがラミネートされて立てかけられてる。死人じゃあるまいし、趣味悪ぃ。下らねぇよ、どいつもこいつも。
やってみるか、やってみようぜ。引きつる胸を広げて深呼吸してみる。
「俺……、出てく」
「ああ?おい、待ちなさい!親が話してるんだぞ!」
立ち上がった瞬間がっちり肩を掴まれたけどなんとか振り払った。シャツを引っ張られてもスーツケースをぶつけながら廊下を進む。ガッと右耳の辺りをブン殴られて耳がイカれそうになったけど足は止めない。玄関まで、玄関を抜けりゃきっと大丈夫だ!
「待てと言ってるだろ!親の言うことを聞けないのか!」
親父ごと引きずって玄関を出て、玉砂利を敷いた内門通路辺りまで来た。ここでいい、ここまでくればいい。振り向いて口を開くと、勝手に言葉が滑り出た。
「何が家族だ!昭一と違うだ、偉そうに言いやがって!会社がヤバくなって他人の家柄にすがってる奴が偉そうに。いっちょ前な口ききながら金は受け取ってるくせに!金で世の中何とかするんだろ?俺もそうすんだよ!」
初めて面と向かって口答えした、と思う。親父は俺が今まで見たこと無いような顔をした。
「な、何だァその口のきき方はァ!」
「家族が大事かよ、俺が大事か?コレとどっちが大事だ!」
そういって、業者が積み込んだ書類入れの一つを引き倒した。中身は知ってる、第三衝突前後の混乱期に二束三文で買い占めたこの辺の土地の権利書だ。避難勧告が出て明日には紙くず同然になるかもしれない紙束が、風に乗って庭に飛んでいく。親父は俺に悪態をつきながら地面に這いつくばってそれをかき集めて、俺はその姿をちょっと見た後、誰にも邪魔されず外門を出てチャリに飛び乗った。
ああ、ついにやった!
ペダルが羽みたいに軽いぜ。湿度七十パーセント越えのはずだけど、こんなに風って気持ちよかったっけ!駅まで続く緩い下り坂を時々歓声を上げて走り続けた。いろいろ思い出そうとしたのに頭に浮かぶことが多すぎて、結局よくわからないまんま福島駅の駅前に到着した。
駅前はすごい人だかりだったけど、原色のアロハシャツに身を包んだテンはすぐに見つかった。避難勧告ついでにいわき辺りまで遠出でもしようっていう体で誘ったんだが、テンはなぜか松尾も誘った。まあいい、今日は気分がいいんだ。旅費も宿泊費も恵んでやろう。
「何だよそのカッコ、ハワイ行くんじゃねぇんだぞ」
「お前もすげぇことんなってんぞ、シャツのびのびじゃねぇか」
「いろいろあったんだよ、どうせ捨てっから。それよりなんでコイツ呼んだんだよ」
「いいじゃん、松尾ちゃんいると盛り上がるし」
明らかにツッコミ待ちの発言だったのに、松尾は口答えをしなかった。珍しいな、悪いものでも食べててくれるといいんだが。
まあとにかく何でもいい、もう今日はとにかく最高の日なんだ。やまびこに乗ってチョコレートを喰いながら、離れていく故郷に中指を立てて別れを告げた。
「あーホント、最ッ高!」
そう、人生最高だったんだ、この時の俺は。磐越東線への乗り換えまでは。
松尾が満員電車の中で卒倒して、乗客全員に白い目で睨まれながら緊急停止ボタンを押したあの時までは。
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