第三章
第一節 対策審議会
クッソォ、もうここでやるしかない。
優先席とドアの間に右肩を押し付けてスマホを右耳に当てた瞬間、小さい孫と手を繋いだおばあちゃんの眼がどんどんつり上がっていく。お願い、ちょっとだから許して。
『もしもし。真琴ちゃんどうだった?』
「はい。身体構造に関しては、私たちが持っているデータから推測したものと大きな差は見られませんでした。基本的な構造は双弓類に近いですが、表情筋があったり歩き方が違ったりで分類の特定はムリみたいです。体長四・九七メートル、体重一四一・四キロで構成要素も現生生物のスケールと大きな差は無いみたいなので、ある程度の大きさまでなら体重予測ができそうです。戦闘相やGH相が持つ骨格内の金属桁構造は確認できませんでした」
『……そう。最初に話してくれるのがそれだとすると、やっぱり見つからなかったのね』
「ええ、あるとしたら絶対頭部だと思ったんですが。脳がかなり大きいですけど、ギャオスをコントロールできそうな発信器官みたいなものは見つかりませんでした。でも、視神経も嗅神経もほとんどないんです。視覚や嗅覚をギャオスから送られてくる情報に依存してるのは間違いなくて、教授が言うには片利共生的な生活史だろうと」
『わかった。あまりここで話すとマズイわ、残りは報告書で』
電話を切って前を見ると、おばあちゃんはカタキを取れと言わんばかりの厳しい剣幕で、お孫さんに社内マナーの大切さを説いてた。少女の純粋な眼差しが刺さる、これが正義の味方の苦しみかぁ。
千代田線のホームを飛び出すと、国会議事堂前駅から官邸大会議室まで慣れないパンプスで全力ダッシュした。おかげで何とか間に合いそうだけど、汗でブラウスが透けてないか心配だ。節電してるのかあんまり涼しくないのは誤算だぞ。
官邸の対策会議に出席するのは初めてだから、もちろん右も左も全然わからない。とりあえず補佐役は壁端に座るんだろうと思って近くのパイプ椅子に座ったら、若手官僚にすごい顔で睨まれた。補佐する人の真後ろに座るんだってさ。
出席者はほとんどいるけど先生は来てないみたいだから、席の前の名札を探してうろつく。緊急会合だけあって出席者も知った名前ばっかりだ。
異常に肩書が長い人もいる。『総合環境政策統括官特殊環境対策課調査官・斎藤雅昭』か。御大層な言葉を並べて、結局何だかよくわからないのはお役人さんの悪いクセだ。
上座も上座、中村官房長官の向かい側に座席を見つけたとき、ちょうど総理に続いて先生が入ってきた。
ストライプのグレースーツにアッシュのベリーショートが颯爽と進むのを、会議室の皆が目の端で追いかける。先生の発言は最初の予定だ。中村官房長官がズレた眼鏡を直しながらしゃべり始める。
「定刻となりましたので、特定害獣被害対策審議会臨時会議を開催いたします。本会議では、七月三十日に庭坂で発生いたしました獣災において確認された未知の生物『セイリュウ』に関する情報共有と今後の対策方針について、を議題とします。先ずは日本生物科学研究所長峰研究室主任、長峰先生にお話を伺います」
「お手元の資料一をご覧ください。これは現在我々が持っているセイリュウに関する基礎データと、庭坂にて発見されその後自衛隊に駆除されたセイリュウ・通称IZ個体の、七月三十日十九時から同日二三時までの活動記録であります。本日十時に福島大学にてIZ個体の解剖が実施され、今後基礎データに関しては更なる拡充が見込まれます。また現時点のデータから、セイリュウはギャオスを何らかの方法で操作する能力を持っていると思われます。我々は今後このセイリュウの能力を仮に『誘導』と表現します。ギャオスを誘導できるセイリュウは、我々にとって非常に危険な生物であることは明白であります。よってまず我々研究室は、この生物の対処方針は駆除以外にないと考えます」
「いきなり駆除を前提に論を進めるのはいかがなものでしょうか?現政権は『共生』をテーマに国民負担の軽減とギャオス関連の予算を縮小する政策方針で国民の支持を得ました。一九九七年から続いている復興税も、最早その災害すら知らない世代が社会の中心となっており理解を得られているとは言えません。まず静観、その後保護や排除の行程を踏んでも遅くはないのでは?」
「財務大臣、排除はもう無理なんですのよ。もう三〇年以上前ですけど、一九九七年のG7緊急会合での合意事項があるんです。『国境付近のギャオス攻撃やそれに伴う軍配備、ギャオスの国境付近の移動に関する情報については両国の事前の通告を密とし、各国の武力は領土内のギャオスをせん滅するためにその武力を行使すること』。基本はその国で処理するのが前提で、国境を越えて被害が出した場合は逃がした責任を追及されかねませんわ。今は歩いてるようですけど、今後羽が生えて国外に飛んで行ったりしたら我が国が責任を負うことになるんですのよ」
「あのさ、もっと切羽詰まってるんだよコッチは。今日の福島大の解剖だって、本当だったら安保協定で即刻引き渡しのはずだろって先方から散々せっつかれてんだ。ただでさえODAで日本が世界に手伸ばしてるのにイライラしてるんだから火に油だよ。今回は日米共闘で対応して、絆の強さを確かめる形にすりゃいいじゃないか」
「保護に関する可能性も議論しませんか?この新生物がギャオスを自由自在に動かせるのでしたら、手なずけるなりしてギャオスを操作させることも可能になります。繁殖させれば現在の戦略的ODAに組み込んで海外への売り込みをさらに強めることもできるのでは」
「それは性急かと。セイリュウは軍事的価値が高い日本の資産です。今回残念ながらサンプルを米国に渡すことになりましたが、極論を言えば当該生物は日本で徹底的に秘匿研究し、ギャオスを操るシステムを解明することで日本のイニシアチブを高めるべきでは」
「だからぁ、そんなことしたら孤立するだけだろ!ギャオス対策なんていくら売り込んだって物資で劣ってんだから、下手に先走って締め上げ食らったらおしまいなの!」
最初のセリフ以降ずっと黙ってた長峰先生がマイクを取ろうとしたけど、論点がズレ始めた場にクギを刺したのは、さっきの長い肩書の初老役人だった。
「僭越ながら。巨大生物の対応というのは初手の抑え込みが肝心です。私にも苦い経験がございますが、巨大生物災害というのは人的被害が出た瞬間に責任論に波及し、皆さんが今描かれている青写真は霧消いたします。巨大生物に対し、静観・保護・排除はありえません。心優しく大人しいゾウでさえ年間百人以上の命を奪います。巨大生物は存在し行動するだけで人間の生活に予期せぬ影響を及ぼすのです。今回の新生物がギャオスを操るということなら尚のこと。二〇〇〇年にオーストラリア政府は、環境保護推進派の意向を汲んでウォレマイ国立公園のコロニー排除を躊躇し、結果的に近郊のシドニーの都市機能を一時的に失う大失態を犯しました。ハブやクマが国民をどれだけ殺そうが国民はまず気にしません。ですが世界中のギャオスによる死傷者数は、日ごとメディアに報道されネットでグラフ比較され、国家の評価基準となります。ギャオスとは、巨大生物災害とは、そういうものなのです!今皆様方が緊張感を欠いて対応をなされば、お手元にある名札の肩書を、ひと月と経たずに手放すことになる、そうお考え下さい」
斎藤調査官が座る瞬間、太眼鏡の奥の眼が先生と合って、先生が軽く会釈を返すのを見逃さなかった。大臣級に高級官僚が苦言を呈すなんて結構な異常事態なのに、出席者は皆バツが悪そうに黙り込んじゃった。なるほど、只のお飾りベテラン役人じゃないわけね。
「ひとまず研究室案について続けさせていただいてもよろしいでしょうか」
先生のマイクに総理が軽くうなずいた。
「資料二をご覧いただくとともに、わかりやすくするために映像を用意いたしましたので、スクリーンをご覧ください。資料二は、現場映像を基にIZ個体とその周辺にいたギャオスの位置関係について調査したものです。映像からお分かりいただけると思いますが、セイリュウの回りを飛ぶギャオスの動きは極めて規則的・幾何学的であります。これはこれまでのギャオスの行動では見られたことのないもので、明らかにセイリュウの影響を受けていると思われます。資料三は、資料二の結果を受けて、セイリュウの頭部を原点とした場合の、誘導されているギャオスの頭部の位置の動きの二次元・三次元で数学的表現を試みたものであります」
この部分のギャオスとセイリュウの結びつきはちょっと強引だ。
ホントだったらさっきの解剖で誘導をつかさどる器官がセイリュウ体内から見つけられたら良かったんだけど、さっきの電話の通り結果は空振り。その辺うやむやにしたいからか、ちょっと先生は意地悪に情報をまくしたてて突っ込まれないように喋ってる。
参加者はほとんど内容についていけないって顔してて、案の定総理が音を上げて割って入ってきた。
「すまない先生、もう少し簡潔に分かりやすく頼むよ」
「簡単に言えば、誘導されているギャオスの動きにはパターンがあるのです。次の映像をご覧ください。我々はコロニーの頭数や移動の調査を行うため、重要生息域に熱源自動GPS射出機を設置して無作為にギャオスにGPSを埋め込み、行動の監視をしています。この映像は南相馬の旧大穴鍾乳洞付近で撮影されたもので、光点はギャオスの位置です」
「……なんか、コマ送りみたいで見にくいわねえ」
「ええ。ですので一体毎に色分けをし、動きをわかりやすくしたのが次の動画です」
あー前置き長かった。
次の動画が今回の発言の根本だ。昨日徹夜で杉尾君と一緒にポチポチ色分けしたんだから、しっかりビックリしてもらわなきゃ。
動画の再生ボタンをクリックすると、スクリーンにはテレビの天気予報で出てくる風速シミュレーションみたいな映像が映った。画面に点在するのは影響を受けていないギャオス、でも画面にはそれ以外に、明らかに動きがおかしいギャオスの軌跡がカラフルな渦で示されている。一目瞭然、渦は三つ。
私たちが一番この会議で伝えたかったことを、総理がため息を吐くように呟いた。
「まだ、三体いるのか……」
「その通りです総理。我々研究室は、旧大穴鍾乳洞付近に潜伏するこのセイリュウ三体の駆除作戦立案を希望します」
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