第六節 追跡

「落ち着きましたか?はい、コレ飲んでください」


 ぼやけた視界が少しずつハッキリしてくると、白い天井に続いて誠実そうな竹下さんの顔が心配そうにのぞき込むのが目に入った。

 品のいいスーツに落ち着く声。眉毛も綺麗に整ってて無精ひげも見たことが無いし、シャツのカフスボタンもネクタイも、さりげなく入ったワンポイントが洒落てて素敵。普段の言葉遣いも丁寧で、隙を見せない几帳面さみたいなのが漂ってる。ここが普段の給湯室だったら、いつもみたいに五分ぐらいおしゃべりしたいとこだけど……。


「ありがとうございます」

 紙コップの冷水を一口飲むと、残りを頭にぶっかけてソファから跳ね上がる。


 あー、不覚!

 故郷が襲われて、昔のトラウマもフラッシュバックして、ショックでそのままぶっ倒れてしまうとは!

 冷静に、時に冷酷に事態を把握して先を読むのが私たちの役目なのに、安全地帯にいる私が真っ先にぶっ倒れてどうする。気合が足りんぞ、情けない!


 ほっぺたをブッ叩いて周りを見回す。

 さっきの指揮所は近視が悪化しそうな暗さだったけど、私たち三人があてがわれたこの部屋は広くて明るい。コの字に並んだ事務机に並べられた書類を眺めながら、各机の真ん中に用意されたPCをいじってみた。指揮所が集めたデータがサーバーにどんどん送信されてくるせいなのか、ちょっと動きが鈍い。


 この部屋の目的は、正体不明の生物セイリュウに関する情報収集をして、捕獲もしくは駆除の手助けをすることだ。

 本当に使える情報は多くないから、数件の目撃された容姿・位置・時間に関するデータと、SNSに挙がってる本物かどうかもよくわかんない写真や動画、そして最も信頼できる管理隊員が送信してきたAXONボディカメラの動画二本と国交省から手に入れた交差点の定点カメラ動画二本を取捨選択して、優先度の高い順に分析する。

 先生の予想では、突然現れたセイリュウは、ギャオスの大群を誘導して街に降りてきたのではないかということだった。私もその線が濃厚だと思うし、その証拠が見つかれば今後の作戦も立てやすくなる。


 事務机の端では、もう杉尾君がPCで作業を始めてるみたいだ。つまんなそうに画像をマウスでポチポチやってる。

「杉尾くんが今やってるのは映像分析?」

「はい。えーっと、コレ交差点の定点カメラの映像なんですけど。見てください、ギャオスを先導するセイリュウがハッキリ写ってて。この動きなんかすごいですよ、セイリュウが中心で、一体一体が密集して螺旋みたいに動いて、なんか護ってるみたいに見えません?」


 ギャオスはコロニーを作る。

 理由については色んな説があるけど、同種食をする獰猛な性質上子どもをコロニーで守らないと再生産が成り立たなくて全滅するから、っていうのが一番納得がいく。でも、普通はリーダーになった個体がホルモンバランスの変化で雄になってコロニーを率いる。コロニー自体は極めて原始的で、移動の時もあまり統率された動きは取らないし、本来なら個体同士が数十―百メートルほどの距離を取り合うはずだ。


「……確かに異常としか言えない。これがギャオスの動きだなんて」

「やっぱり明らかに自然の動きじゃないし、長峰先生も同じご意見で、それで頼まれたんで、セイリュウの位置とギャオス一体一体の位置を入力して相関出す作業やってます」

 確かに、もしギャオスとセイリュウの動きに相関関係が出せたら、セイリュウがギャオスに何らかの影響を与えて使役してるという強力な証拠になる。

「見てる感じ、セイリュウの頭部か胴体を原点として、多分等角螺旋の複合かなんかで表現できそうな感じしません?」

「……うーん、意外とシンプルな楕円軌道の気もするけど、セイリュウが不規則に動いてるし、カメラの画角やレンズの性質もあるから何とも言えないわ」

「まあでもそれより、さっきから困ってんのが数なんですよ。被っちゃってんのもいるし、そもそもギャオスってこんなに群れないから複数個体の識別ができなくて。そんで長峰先生に言ったら『手作業で座標入れろ』とか言うんすよ。この動画何百フレームあるのか先生わかってんのかなぁ?ずっとさっきからポチポチポチポチやってて。これ研究室の顔認証ソフトで解析しちゃダメですかぁ?」


 うわー、手入力しろって言う顔が目に浮かぶわ。私じゃなくてよかったー。

「ダメ、情報は全て機密。悪いけどコマ送りで手入力して」

 杉尾君は諦めきった顔をして、またポチポチを再開した。


 竹下さんは真ん中のデスクに戻って、大量の画像や伝聞情報をデスクに広げて、集めたセイリュウの基礎データを後ろのホワイトボードに書き出している。


 ・推定体長五メートル

 ・走行速度三十キロ

 ・四足歩行

 ・ウロコに覆われ、爬虫類様の特徴

 ・推定体重一二〇―一四〇キロ


 うん、私がさっき見た動画の印象とほぼおんなじだ。体重一二〇キロは隊員が一人で格闘するのはかなり危険だけど、管理隊が装備してる小銃なら効果があるかもしれない。


 さて、私も遅れを取り戻さなきゃ。データは沢山あるけど選別は竹下さんに任せて、優先順位の高いAXONの二つの動画を検証することにした。


 一つ目は管理隊からのものだ。

 庭坂基地の敷地内と思われる草むらで立ち止まったセイリュウは数秒間こちらを見た後、ギャオスに紛れるように逃げていく。

 さっき聞かされた話によると、この動画はショウがいつもお世話になっている飯塚さんが撮ったものらしい。初見の生物に警戒されながらここまで近づくとは流石猟師、噂通りすごい腕前だ。


 セイリュウの身体の構造を見る限り、元々の構造上眼球がなさそうだ。でも観察対象に顔を向けるのは眼球を持たない動物にしては変わってる、外耳の構造はほぼ平らで感覚機能を聴覚に依存してる生態でもなさそうなのに。興味深いところだけれど情報が足りないな。

 走行は胴体を持ちあげトカゲのように走る。でもオオトカゲ類みたいに身体を左右に重そうに振らないところを見ると、普段もあまり這うような移動はしないのかもしれない。


 動画を二つ目に切り替える。

 これは大笹生学習館付近で、警官がセイリュウにJフレームリボルバーで二発射撃を加える様子を、その警官が装備していたAXONが捉えたものだ。二発とも命中してるみたいだけど行動停止には至らずに、警官に飛び掛かった後その場を去っている。警官の兵装でどれだけダメージを加えられるのかがわかる資料だ、これはもっとよく見てみないと。


 スローモーションにすると、一撃目は通りの壁沿いを走るセイリュウに対し右後ろから射撃してるのが判る、直撃したのはセイリュウの右腕の上辺りか。インパクトの瞬間、画面にキラキラしたものが舞っているけど、これは現場で発見されたウロコ様の物と一致する。空中を舞うスピードから見て、薄い軽量金属の、ちょうどアルミ板くらいの比重の気がする。

 続いて二発目。一射目との間隔はコマ送り手計算で大体八十四フレームだから、一・二五秒ほどか、この警察官撃つのが早いな。一射目のインパクトの後から、セイリュウはのけぞって動き回っている。映像が荒いのが惜しいけど、どうも暴れたはずみで前頭部左側に二射目が直撃したらしい。


 二射目のインパクト後の様子が一射目と少し違う。一射目みたいに痛がる様子がないし、黄色っぽいものが一瞬映るだけでウロコの散乱も見られない。現場検証が必要だけれど、恐らく黄色っぽく見えてるものは、二射目が跳弾した瞬間かなんかなんだろう。

 セイリュウの体構造は正面からくる一定角度の弾丸を跳弾させる可能性がある、これはちょっと厄介な話だけど、跳弾したのは警官の拳銃だし、この様子だと小銃の威力なら恐らく効果的だ。先生に追跡部隊の小銃装備を進言してみよう。


 それより引っかかるのはセイリュウの行動だ。一射目でパニックになるのは判るけど、その後二射目を受けた後とだいぶ様子が違う。二射目の後はわき目も降らずに警官に飛び掛かってそのまま逃げてて、動きが凄くクールだ。普通の動物だったら、未知の道具で二度も攻撃されたらパニックはもっと酷くなって無駄に暴れ回る。キミは普通の動物とは違うのかい?もっとよく見せておくれ、スローモーションで、コマ送りで、一射目の直前と二射目の直後を往復する……。

 最初は意味が分からなかった。でも、分かった瞬間、髪が逆立つのが判った。


 見てる。

 

 もう一度、二射目までの過程をリプレイする。

 最初、撃たれた時のけぞって出鱈目に動き回ったと思っていたけれど、被弾直後にのけぞって被弾部を、そしてその直後から二射目を撃つ一・二五秒間、頭部が射撃した警官の方をずっと向いてる。目が無いから見てるっていうのも変なんだけど、頭骨の向きは明らかに観察すべき対象の方向に向けられている。


 まさか、この二射目……、狙って跳弾させてる?


 セイリュウは未知の生物だから、銃を見たことがないはずだし喰らったこともないはずだ。人間も警官も知らないし、警官が銃を持っていることも、どうやって使うかも知らないはず。そんな状態から、一射目に銃撃を喰らって、そこから二射目を跳弾させて事態を切り抜けるためにはどんな思考が必要なんだ?

 適当に転がってるペンを握って、手元にある資料の空白に箇条書きをしてみる。


 ・攻撃されたことが理解できる

 ・高速で飛んできた何か(弾丸)によって攻撃されたことが理解できる

 ・弾丸によってできた傷や周辺環境から、弾丸は射出する道具(銃)によって発射されたことが理解できる

 ・銃を目の前の警官が使ったことが理解できる

 ・射撃音と身体へのダメージの関係を理解できる

 ・警官が射撃体勢を変えておらず、続けて攻撃する意思があることを予想できる。

 ・二射目を撃たれた際、自らの身体構造や周辺環境を考慮して、後ろを向くより弾丸が来る方向に身体を向け、弾丸をいなすほうが合理的であると理解できる。


 書い出してるうちに苦笑いが漏れてきた。


 これでも全然書き足りないけど、こんな思考が一秒そこらでできる生き物?

 そんな生物、私は一種類しか知らない。


 でも同時に妙に納得もした。

 どうして機関砲の死角を知ってた?どうしてギャオスの習性に逆らい、密生林を歩行して抜けてきた?どうして第二避難所の中に人がいるのが理解できた?


 私たちだって数十年あぐらをかいてきたわけじゃない。ギャオス用の避難システムは何十万何百万という犠牲を基に作り上げたもので、毎日世界中の人間が研究に研究を重ねてあらゆる抜け穴もないように頭を捻ってる。

 ギャオスは、ギャオスだけなら、あの封鎖システムは突破できないはずなんだ、第二避難所は襲われないはずなんだ!でも……、でも、もしセイリュウが、ギャオスの誘導能力と人間に匹敵する高度な知能を持ってるとしたら?


 そう考えた瞬間、寒気がした。ヤバイヤバイ、この状況はマズイ!

 竹下さんが情報をみっちり書き込んでいるホワイトボードを見上げる。掲示されてる庭坂周辺の地図に赤マーカーで時間が書き込まれている。これは二次避難所がギャオスに襲撃されたという通報に関する書き込みで、被害が出たとされる場所と時間を示している。

 青マーカーで書かれている情報はセイリュウに関する通報の書き込みだ。それを比較すると、ギャオス侵入直後の時間帯では、青マーカーと赤マーカーは似たような場所に書かれている。つまり、セイリュウは直接二次避難所を襲っていた。でも時間が進むにつれ、赤マーカーの範囲が広がってるのが判る。これはつまり、ギャオスは二次避難所の中に人間がいることを学んでしまったってことだ。


 食の引継ぎという言葉がある。

 特定の地域の動物が親や周りの仲間に食に関する知識を引き継ぐことをこう呼ぶ。カラスが車に轢かせてクルミを割ったり、猿が塩水でイモを洗ったりするのが有名だ。

 ギャオスにこうした習性があるのかどうかは議論が続いてるけど、先生はあると信じていて、T2はそうした引継ぎの分断に寄与していると考えている。

 そして、セイリュウがやったのはまさに引継ぎだ。第二避難所は避難誘導の際わかりやすいよう、入り口には必ず青いシールが貼ってあって、近くにポールも立っている。ギャオスは青が見えないけど、デザインは共通だ。あのシールの内側に餌があるというのを目の前でやって見せて、知識を引き継がせたんだ。


 なんて面倒なことしてくれたんだ。

 知は消せない。血の味を覚えた獣は殺すしかない。

 コントロールするのに最も有効なのは無知を維持することだ。T2は、世界のギャオス対策はずっとそうやって、知を得る機会を奪って、少しずつ彼女たちを矮小化することで制御してきた。でも今こうなった以上、もう侵入したギャオスを全滅させない限り騒動は決着しない。これ以上セイリュウを野放しにはできない、まずはコイツを止めなきゃ、今すぐ!


「竹下さん、警察の通報ってそのインカムですか」

「そうですよ、でも無線電波悪く――」

「貰います、ありがとうございます」


 竹下さんの耳に掛かってるのを本体ごと頂戴して、机の上のPCをどけるとホワイトボードの地図を散乱した資料の上に広げて、その上に胡坐をかいた。


「あの……、長谷部さん。何、やってるんですか」

「セイリュウを追います、逃がしません」

「追う、って、今主任が追跡隊組織を総理と交渉してるところですよ」

「竹下さんは他の無線でセイリュウの位置情報が出たら、私にすべて流してください」

「え、ええ……それは良いですけど、何かわかったんですか」

「ほぼ何も。ただ恐らく想像以上に賢いです。でも、これまでの行動からセイリュウはギャオスの一群のリーダーであり、またセイリュウが群れというシステムを利用していることは間違いありません。群れのリーダーは個体の強さや賢さだけでは成り立ちません。群れを構成する個体の数は群れそのものの力に直結しますから、群れの規模を守ることをリーダーは何より優先します。よって、セイリュウ自体を駆除捕獲するのではなく街にいるギャオスの駆除に専念すれば、リーダーたるセイリュウは群れの規模を守るため、ギャオスを一か所に集めて逃がそうとするはずです。私はこれからセイリュウの動きをトレースして逃走ルートを予測します。警官のAXON動画で、セイリュウには正の走触性らしき習性が見られました。平地は好まないから進路は絞れます。杉尾君」

「え、あ、はい?」

「今の聞いてましたね、これがこの部屋の出した戦略案です。速やかに先生にお話しして指示をもらってください」

 ポチポチもハンパなまま杉尾君を使いっぱしらせると、一度深呼吸して無線に耳を澄ました。


 さあどこへ行くセイリュウ、知恵比べをしよう。私の故郷を踏みにじっておいて、このまま逃げきれると思うなよ。


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