第五節 禍乱

 走れ。小隊長、走れ。いつからか自分にそうつぶやき続ける。

 走る度、鉄帽に装備したヘッドライトが跳ね上がり、防刃カラーが首の皮膚をひっかく。ポリカ盾はひこじられて大袈裟な音を立て、擲弾発射機が右肩に食い込み、腕帯の付け根にできた汗の池が波打つ。

 揺れる視界の中、右手でグシャグシャになった紙に目を落とす。役所から送信されてきた住民の第二避難所の住所と避難予定者のリストをマッキーで大ざっぱに区切ったもので、今はこんな紙切れ一枚が住民の命綱だった。

 緩衝地域境界線上の果樹園で、飯塚はギャオスの大群に再三射撃を繰り返したが、群れは進路を変えず居住域へ侵入、我々は基地へ引き返した。あの瞬間、二十五年間守り続けた隊区は壊れた。

 境田は作戦内容をこねくり回し、『避難誘導とその支援』という大義名分でALCSを説得し、管理隊員を居住域に送り込むことに成功したが、隊員が居住域に向かうタイミングで避難体制切り替えという前代未聞の報が舞い込んだ。現在は警察・消防・役場、ひいては民間の警備会社や介護施設の車両まで駆り出され、ギャオスが蠢く中住民を五つの第一避難所にピストン輸送するという無謀極まりない作戦が実施されている。

 右手のリストを再び見返す。

『菅野ハイツ・三階建て軽量鉄骨・入居戸数七(部屋数九)・避難予定者二十名』。右側につけられたチェック印には、×印と「済」が上書きされている。

 避難壕の扉を開いた時、住民は一様に恐怖と諦念の表情を浮かべていたが、扉を開けたのが人間だと分かると表情は安堵と歓喜に代わった。だが輸送車両が足りず、住民の半数は後続に任せるしかなかった。

 いち早く逃げ出したい気持ちを露わにする者もあったが、皆自分と周りに嘘をつき、「自警団をやっていた」、「老い先短い」、「この中は忌避グッズが充実していて、ある程度なら自衛できる」などとならべ、青ざめた顔で我が子や祖父母を我々に引き渡した。小さな赤子は母親が泣き声を必死に止めたのだろう、顔中が涙と涎にまみれ、口の周りに真っ赤なあざができていた。

「すぐに迎えに来ますから!」そう言って壕の扉が閉まっていく時の、残された住民の表情が忘れられない。結局別命が下り引継ぎは済ませたのだが、どうしてか右手のリストは手放せなかった。

「武藤、まだか!」

 後ろを走る武藤はGPS端末をみて、前に指をさした。武藤の鉄帽の頂上にはハンドボール大の黒い突起があり、顔には黒いディスプレイが被さっている。

 SASディスプレイ、三六〇度カメラと顔認証システムを組み合わせたヘッドディスプレイ型全方位ターゲットロケーターで、見た目はひどいが安保の絆を確たるものとするため日米共用で導入された対ギャオス通常相市街戦用の最新装備だ。カメラがギャオスの姿を捉えると、位置・距離・アティチュード・攻撃優先順位がディスプレイに表示される。そのため我々は索敵のために立ち止まることなく市街地を走り回ることができている。

「この先の大通りを右ッす!」

 緊急車両の赤色灯が辺りに反射している、人影も見えた。

『大笹生学習館にギャオスが侵入、多数の被害が出てパニック状態。対応されたし』

 住民避難を遮り下された別命の前半はこうだった。警察はともかく、消防その他は対ギャオスの装備を殆ど持たない。要請があれば優先的に自衛隊員が対応するしかない。だが注目すべきは後半だった。

『同所付近にて、警官が『セイリュウ』と思われる白い大型生物に対し二発発砲との通報あり、確認されたし』

 飯塚はこれに食いついた。そうでなくとも、大笹生学習館は建築基準法改正後に建てられた広域避難所としての役割を持つ堅牢な建物で、本来ギャオスがたやすく侵入できる構造ではない。

 大通りに差し掛かり武藤の誘導通り右に曲がると、一瞬、真琴と上野で見た時の『地獄の門』の記憶がフラッシュバックした。

 倒れた人の上に人が覆いかぶさり、二メートルほどある学習館入り口いっぱいに人が詰まっている。皆前に手を伸ばし、苦悶の表情で何かを訴えている。それぞれが己がため、子どもや老人を踏みつけ隣人を押しのけ、無慈悲に上から加えられる圧力から逃れようとしている。

 ドンッ、という音がして、入口の上から若い男が降ってきた。無理やりよじ登って乗り越えたのだろう。よく見ると入口の奥からは、上の隙間から這い出ようと人が押し寄せ顔を突き出している。警官や救急が場を落ち着かせようとしているが、渦巻く叫びがそれをかき消す。

「武藤ォ、引き続き索敵!飯塚さんどうすれば――」

 問いかけたとき、飯塚はもう入口に向かって突進していた。右肩から擲弾発射機のベルトを外すと大声を上げ、おもむろに入口の一番上の男の鼻を発射機の銃底部分で殴りつけた。瞬間、場を覆っていた怨嗟や慟哭が勢いを失った。

 飯塚は狂ったように唸り、大きく振りかぶってもう一度殴りつける。鈍い音の後、折り重なった人々に男の鼻から噴き出た鮮血が降りかかる。二度殴られた男はたまらず後ろに下がり、後ろに転げ落ちていった。

 飯塚はなおも殴る相手を探すようにわめきたて、入り口を銃底で叩いた。扉の上部から覗いていた顔が次々と失せていくのを見るや否や、般若のような面構えで振り返り

「今だァ、押せぇ!」

 内側からの圧力が弱まり、人の山はみるみる崩れた。三十秒もすると入口は本来の機能を取り戻し、チアノーゼが浮かび上がる人々を救急隊が引きずり出した。

「急げェ、隊長!」

 鼻血を吹き出しながら暴言を浴びせる男をしり目に二人で学習館に突入する。学習館の通路は狭い、施設中央にある大会議室を囲むように造られている六つの小会議室とレク室及びそれらを結ぶ通路を右回りに捜索していく。

 体の重い自分がポリカ盾を持ち、飯塚が発射機を持って後に続く。照明は落ちている、鉄格子が嵌った窓から差すわずかな光ととヘッドライトだけが頼りだ。曲がり角に当たる度、飯塚とカウントを合わせ、カウント三で通路に飛び出す。

「隊長、これ見てけェ!」

 モルタル製と思われる壁に四角い穴が開いていた、侵入経路はここか。窓から外を覗くと、ステンレス格子とプロペラのような部品が散らばっている。外付きの換気扇を格子ごと外して入ったのか、ギャオスにこんな芸当ができるのか?

 とにかく進入路を塞いで室内を密閉しなければ。穴自体はどうしようもない、防火シャッターで区画ごと封鎖するしかない。施設の地図を確認する、シャッターの開閉ハンドルは突き当りのすぐ右手のようだ。数度目のカウント三、確認。だが今回は違った。

 通路のさらに突き当たった奥、黒い影がズッと動いた。

 視認した瞬間、首の筋肉が引きつり体が強張った。「異常なし」と言おうとした口が強張り二の句が次げない。身体が飯塚にぶつかり、後ずさりしていたことに気付く。

 影は正対した。

 小ぶりな身体、恐らく翼長三メートル前後、体重は六十キロ程度のはずだ。ギャオス通常相の若い個体、自分より軽い。だがなぜだ、盾ごしに見られているだけで足がすくむほど大きく見える。

 ポリカ盾のグリップを握りなおす、手汗が妙に気になる。飯塚が軽く腰を叩いた。

 息を飲み、つばを飲んだ。一喝する、自分に、相手に。

「さあこい!」

 相手は一声鋭く叫ぶとグッと前足を伸ばし、後ろ脚を蹴り出して飛び上がった。狭い通路で羽ばたいて加速する相手に向かって、思い切り体重を乗せてポリカ盾を突き出す。しまった、少し高い!

 ――ガツン!

 衝突音、漏れ出る互いの呼気、盾を鋭い爪と頑丈な皮膚が叩く音が交じり合い、通路の壁に乱反射した。ポリカ盾が鉄帽を叩き、身体がのけぞる。

「隊長ォ!」

 仰け反った身体を無理やり捻り、倒れ込みながら空間を開ける。変わりざま発射機を構えた飯塚が飛び出した。

 ――バシュッ!

 翼長八メートル級の大型個体にも使える対通常相用のネットランチャーが、失速したギャオスをクモの巣のように捉え地面に叩きつけた。緊張が解け身体がどっと重みを増す。

「……ヤレヤレ。怪我無いですか、隊長」

「ええ……、なんとか」

「上等でしたョ、最後やりましょか?」

「いや、自分が」

 勢いついでにそう言うと、生唾を飲んでギャオスの前に立った。

 基礎教習のマニュアル通り、ポリカ盾でうつ伏せのギャオスを抑え、顎の付け根と後頭部を左手で掴み、頭部を左掌で押し付けるように地面に固定する。死体相手なら何度か練習した処理だが、生きようとする振動を左手に感じ僅かに哀憫が顔を出す。

 顎の下に短剣を突き立てると目線を外し、体重をかけて右手で短剣を突き入れる。ブシュ、ブシュ、と鼓動に合わせ温かい鮮血が拳に降りかかり、そのたび刃から伝導する筋肉の脈動が弱っていくのが感じられた。数秒して短剣を抜き、どちらともなく二人で手を合わせると先へ進んだ。

 小会議室一―六号室異常なし、レク室異常なし。終点の大会議室につくと、崩れるように椅子に座って瞼を閉じた。

 浮かび上がったのは避難壕を開いた時の住民の表情と先刻の入口の光景だった。何人か見知った顔もあった。たった数時間前まで互いに笑いあい、明日の天気を心配し合っていたような顔たちだ。そう考えると止めどなくため息が漏れた。これ以上どうすればいい。

 ――ゴン、ゴン

 鈍いノックに二人は反射的に扉に振り向いた。

 入ってきたのは武藤だった。様子は先刻と変わらぬが、開いているのか判らぬほどの細目に心なしか金属的な光沢が浮かんでいるように見える。

「隊長、CCPからッす。『緩衝管理隊庭坂基地第二小隊はこれより避難誘導任務を離れ、正体不明の生物セイリュウを追跡し、捕獲または駆除せよ。詳細と兵装については追って指示する』」

 言い終わらぬうち、への字に曲がった武藤の口が歪に白い歯を見せた。


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