第七節 脱出
「アホか、人間のタックルでギャオス倒せるわけねぇだろ」
「いやマジマジ、俺ボーイズのスカウトされる前ラグビーのスカウトにも目ぇつけられてたから。オレ戦闘力一億あっから」
トラックに乗って始めの十分ぐらい、テンはこんな感じのテンションだった。でも市街地にどうにか入って、電柱に衝突して炎上した車が放置されてるのを見た辺りから
「……やっぱ家戻る前に武器必要だわ」とか言いだした。当たり前だろ。
「もうちょっと先行くと右手にある、ハズ」
「セイこの辺来たことあんの?」
「家族で飯坂温泉行くときに通っただけだけどな。もうチョイゆっくり走れよ。ライトつけてないから全然見えねぇ」
「お、あれじゃね!」
真っ暗な街中に『飯坂消防署西分署』の看板が見えた。一階部分の駐車スペースに車が止まると、あの洞窟からの時間が現実離れしすぎててちょっと目眩がした。ちょっと休んでからトラックを降りて、うんざりしながらコンテナの入り口に手をかける。
「運転下手くそな上にどんだけ時間かかってんだよ、てかここどこ?ギャオスいねぇじゃん」
はぁ、開けた途端これだよ。一晩中これに付き合うのか、気が重いなぁ。
「……スマン、とりあえず身を守るもの調達しに来た」
「ゴメンね松尾ちゃん、とりあえずオレらでなんか探してくるから待ってて」
「死にそうになったら呼べよ、観に行くから」
「お、おい勝手に行動すんな。どこ行くんだよ」
「ションベンいってあの辺で暇潰すわ。迎えに来いよ」
勝手に二階に行っちまった。一階の駐車スペースは二階までの吹き抜けになっている。松尾が指さしたのは駐車スペースを上から一望できるモニター室っぽい部屋だ。
「うおぉ、ヤベェ!」
なんだどうした!ギャオスか?
「オイこれ見ろよ、バリヤベェ!」
「……これって何?この車のこと?」
「スポーツカーって呼べ!しかもただのスポーツカーじゃねぇよ」
「いや、車だよ」
「ジャガーのXJ220だぜ?悲劇の名車!」
「どうでもいいだろ、早く行くぞ」
「お前コレ中古でも二千万位するんだぞ、これで通勤とかこの消防署イカれてんだろ」
舐めだすんじゃないかってくらいジロジロ車を眺めるテンを引っ張って、松尾が使ったのと反対側の階段を上がる。確かに二千万はヤベェな、兄貴の給料なんて聞いたことないけど公務員って給料いいのか?
「うおぉ、ヤッベェ!」
ロッカールームの辺りでテンがまた騒ぎ出した。もう驚かねぇぞ、今度は何だ。
「これ見ろ、ガチのサインバットとウイニングボール!」
ロッカールームの端に神棚のごとくバットとボールが飾ってある。お隣岩手出身の二刀流メジャーリーガーの笑顔の写真が眩しい。
「ガチリアルもんじゃん、バッカヤベェよ」
「おい何しれっと持ち出してんだよ。盗みに入ったんじゃねぇんだぞ」
「いや、武器だろ。バットとボール」
バットなんか邪魔なだけだろって言ったら、バットは返してボールはポケットに入れた。何しに来たんだコイツ。
「うおぉ、ヤベェよこれ!」
さっきから語彙力なさすぎだろと思ったけど、今度はほんとにヤバかった。
「これロケットランチャーと……、手りゅう弾か?」
「ロケットじゃねぇな、ネットが飛び出るんだよ。ギャオス用だ、使えるぜコレ」
「カウティオンだって。ググれば使い方載ってっかな」
「コーション(注意)だろ」
「は?何?」
「もういいよ、多分こっちはスタングレネードだな、失明するぐらい強く光るんだよ。でも使い方分かんねぇから、とりあえずネットランチャーと弾だけ持ってこうぜ」
「いったんトラック戻るか、松尾ちゃん機嫌だいぶ直ってよかったな」
「アレのどこが直ってんだよ、頭大丈夫か」
「わかってねぇなお前も。いいか、あの――」
その瞬間、テンはちょうど階段を降り始めるとこだった。
――ズシャァ
テンの会話に被って大きな音がした。重い鎖を落としたというか、鉄製の何かを引きずったみたいな音。テンの身長がデカすぎて、俺の視界はテンの後頭部しか見えてない。でも駐車スペースの入り口、シャッターが半開きになってるところ、何か、影……?
俺が何か考え始めるより、テンの反応が先だった。
目をひん剥いた顔が振り向くなり突進してきて、二階まで猛烈な力で押し返されて、ほぼ抱きかかえられる感じで廊下を引きずられた。駐車スペースを見下ろせる窓の下まで来て二人でしゃがみこんだ時、ようやく俺もさっきの音の正体を理解した。
しゃがむと同時にさっきの引きずるような音。窓越しに伝わってくるスパイクシューズで歩き回ってるときみたいな乾いた音、そしてバカデカい動物が出す震えるような呼吸音が、静かだった駐車スペースから聞こえてくる。
下にいる、確実に。
テンがゆっくり身体を上げて窓を覗こうとしてるけど、俺はもう腕も足も震えちまって、数センチ上の窓を覗く勇気も出てこない。
「まだ気づかれてねぇぞ。なぁセイ、あそこ見えるか、あの部屋。三つ数えて一気に走るぞ、いいな!」
テンがこっちに顔を向け、指さして指示をする。思考回路がショートしてる時にボディランゲージが多いやつは助かる。
「死ぬ気で走れよ、イチ・ニ……」
サン!
姿勢を低くしたままロッカールームに飛び込む。数秒しゃがんでただけなのに、足がもつれちまって上手く動けない。
テンが後から入ってきて奥のロッカーに隠れた。
「何やってんだセイ、お前も隠れろ!」
「ギリギリまで見張ってる!」
「あぶねぇって!早く――」
「シッ!静かに!」
ギャオスの爪が金属製の階段にぶつかって派手な音を立てた。音がだんだん近づく、もうすぐ傍まで……
「……え?」
思わず声を出しそうになって、慌てて口をふさぎながら頭をひっこめた。
大きい!
一瞬見えたギャオスの頭は、人の胸位の高さにあった。なんだあれ、あんなにデカいのかよ、ウソだろ。
「キタ!カクレロ!」
テンに口の形で合図を出しながら、目をつけてたロッカーまで全力でハイハイする。扉が半開きになってるから隠れるには十分だ。音を立てないよう、ゆっくり、体を起こして、左足、右足の順に、ロッカーに、入った。
ロッカーが閉まると、適度に狭いのと周りを覆われてる安心感があるのでちょっと気分が落ち着く。ギャオスの場所は分かんないけど隠れていれば問題ないはずだ。ちょっと気になるのは匂いだ、急にシャツが汗臭い気がしてきた。こんなことなら駐車場で制汗スプレー使っとけば――
――ギイィ
いきなり、目の前のロッカーの扉がゆっくり開いた。心臓が飛び出そうになりながら扉を元に戻したけど、手の力を緩めると勝手に開いちまう。
この扉、誰かが蹴っ飛ばしたのか歪んでるんだ、閉まらないんだ!だから鍵がかかってなかったんだ!
意識を指先に集中して、扉の下の小さな出っ張りにひっかけて扉を引っ張る。急にベトベトした汗が顔と背中から流れてくる。
クソ、やらかしちまった!なんでこんなロッカー選んだ。マジ最悪だ!
いや、大丈夫、まだ平気だ、問題ない。一時間か、一晩か、要は開けなきゃいいんだろ。指だけに集中しろ。このロッカーは引き戸だ。ギャオスは引き戸は開けらんねぇ、アイツらバカだからな。前を通ろうが、このクソみたいな扉を引っ搔こうが体当たりしようが、開かなきゃ俺の勝ちだ。指先のことだけ考えろ!
――ガチン
爪が床に当たる音がすぐ近くで響いた、反射的に息を飲みこむ。
すごく静かだ。
止めた息を吐いたら、音と臭いであっという間に見つかっちまいそうだ。心臓がバクバク言ってるのがうるさすぎる、頼むから静まってくれよ、バレちまうよぉ。
ちょっと間をおいて、擦れる音、何かが倒れる音、硬いものがどこかのロッカーにぶつかる音。
遠くに行ってくれと祈っても、全く変化がない。相手との距離が全然つかめない。手の指に力を込めながら耳に神経を集中する。ゆっくりと息継ぎも。吐いて、吸って、吐いて、吸っ――
――グアァ、ク、クサい!
凄い腐敗臭が鼻に刺さる!のどが絞まって反射的に吐き気が出ちまう、山の時の臭いと似てるけど、何ていうか、もっと生っぽくて強烈だ!
ふざけんな、なんで両手がふさがってる状態で!臭すぎて口呼吸でも臭ってくるし、身体のバランス感覚もどうにかなりそうだ。
いや、負けてたまるか。こんな下らねぇ死に方してたまるか。耐えきってやる、お前にやるエサはねぇぞバカヤロウ!
――ドンッ
足音、目の前、数十センチ先。
ロッカーに開いたメッシュ状の穴から漏れていた光が消える。目を開けてられないくらいの臭い。時間の感覚も、生きてる感覚もわかんない。
長い、あまりにも。十秒?一分?三十分?
食いしばって、目をつぶって耐える、そして、
音がしたわけでもなく、何となく気配で、前のモノが動くのが分かった。ゆっくりと横へそれる、遠ざかる、音が小さくなる。呼吸がラクになる、肩の力が抜ける、心臓が軽くなる。
良かった、助かった――
――ベコン
大きな音、真横で。
寄りかかったんだ。
どうしよう、俺、寄りかかっちゃった。分かってたのに、さっきまで気を付けてたのに。
外でギャオスが振り返って、ロッカーに翼とか脚とか当たってるのか大きな音がする。俺の頭は完全に真っ白で、そのくせアホみたいに涙が出てきた。
あーあ、何やってんだろ。
なんでもう少し頑張らなかったんだろ、なんで気ぃ抜いたんだろ。もっとやりたいこと色々あったはずなのにな、きっと俺こんなんだからすぐ死んじゃったんだろうな。
痛いの嫌だなぁ、怖いなぁ。
――ドゥン!
跳ね返って戻るほどの勢いで扉が開く。
涙のせいでなんも見えない。ぼんやり見える、真っ黒い、こっちに伸びてくる――
――手。
「どけェセイ!」
身体がフワッと浮いて、向かいのロッカーに叩きつけられた。
――バシュッ
軽い破裂音、派手な衝撃音、聞いたことのないギャオスの絶叫が連続してきこえてくる。
酸欠の脳みそが目覚める。ランチャーを抱えたテン、ぶっ倒れたロッカー、ネットランチャーに絡まったバカでかいギャオス!
「行くぞ!」
セイに襟を引っ張られて起き上がる。
あと数秒で他のギャオスが来る、その前にここから抜け出す!弾けるように駆け出すと股間の辺りが涼しいのが分かった。クソ、この際生きてりゃ何でもいい!
あんな派手な音がしたのに、松尾はまだモニタールームにいるみたいだった。
「あのクソ女まだあそこにいんのか!何考えてんだ!」
「ビビってんだよ、行くぞ。ダッシュで連れて下行こう!」
飛び込んだモニタールームのPC画面は動画の多分割表示、のんきにネットサーフィンなんかしてやがったのかよ。おい、行くぞ――アレ?
肩を掴んだ感触はまるで彫刻だ、身体ぜんぶが硬い。よくできた人形か疑って顔を覗いたくらいだけど、間違いなくさっきまでの松尾だ。でも顔は引きつったまま、目が大きく開いて硬直してる。
「おい、どうしたお前!」
「松尾ちゃんどうした?え、なんだこりゃ?」
「おい、なんか発作かコイツ?動かねぇぞ!」
「しょうがねえ、担ぐぞ!」
テンが無理やり肩に担ぐと、硬直してた松尾の身体が一気に崩れてテンにのしかかった。二人で駐車スペースまでダッシュして車の陰に隠れると、松尾はやっと息を吹き返した。
「いってぇ、何すんだお前ら。アタマ超痛ぇ……」
「気が付いたか松尾ちゃん、なんか固まってたぞ」
唸る松尾の脇から顔を出して、駐車スペースの壁に付いたミラーをそっと覗きこむ。
クソッ、トラックの前に一匹いる。ここからだと遠いぞ。何か脱出方法ねぇのか。テンの野郎二回も俺の命を救ったのか。この世は筋肉が正義なのか、気に食わねぇ。
あーそうじゃねぇ、そんなことはどうでもいいんだ!なんか考えろ。ここから車で抜け出して、街まで逃げる方法だ!
「おいセイ!あの軽車、キーが刺さってる!」
ド近眼の俺でも見える、確かにいけそうだ。あそこまで三人で辿り着けばいいんだな!なら最高の方法があるじゃねぇか!
テンに唯一無二の脱出法を耳打ちする。
みるみる顔が強張って、もう一度聞き返してきたからゆっくり繰り返してやった。筋肉モリモリ大男が今にも泣きそうな顔しやがる。
「そんな……、あんまりだ、お前は悪魔だ」
「それしかないんだ、やれ。お前ならできる」
「お前なんか嫌いだ、なんでそんな酷いこと……」
「泣くなよ汚ねぇな。人命第一だ。ああいう高級車は絶対警報付けてる、二千万なら絶対だ。外すなよ」
テンは観念したように一度うつむくと、つばを飲み込みポケットからボールを取り出した。サインを撫で、キスをし、グッと握りしめた。
「オゥタニサン……」
小声でつぶやくと、長いまつげで涙を跳ね上げスッと立ち上がる。なんでそれっぽく訛ってんだ、お前英語できねぇだろ。
「オルァァァァ!」
雄たけびと共に巨漢が全力で投げ込んだ剛速球が、超高級車のヘッドライトを砕いてボンネットにめり込んだ。激しいクラクションとライトの点滅にギャオスどもが気を取られる!
「今だ、走れ走れ。乗れ乗れ!」
バイクのような安っぽいエンジン音が響いて、無駄な空回りもなく軽車が駐車スペースを飛び出す。
「おい、前まえ!ギャオスだ!」
「避けろ、いや轢け!」
「軽だぞ、軽なんだぞ!」
「ちっこいじゃねぇか。行けるって。踏め踏め、行け行け!」
「うおお、掴まれぇ!」
突き上げられたみたいな衝撃、顔面をブッ叩く車の天井。一瞬だけ建物の脇に見えた、何だアレ、白い……ヘビ?リュウ?
そして、真っ暗な外の景色。
「イヤッホーゥ!」「うぉぉおおお!」
男二人で絶叫する、切り抜けた!
二人でハイタッチを交わす。この際仲間外れも可哀そうだし、後ろの松尾も――
「ちょっと何なんこの車。めっちゃションベンくせぇんだけど」
テンの雄たけびが一瞬収まって、次の瞬間下品な馬鹿笑いになった。場が白けるようなことばっか言いやがって、やっぱコイツはクソ女だ。
でも馬鹿笑いも長く続かなかった。
「うお、おいおい!車だ!」
緊急車両だ。それに後続のヘッドライト見覚えがあるぞ……、うわ、コガタだ!
「そこの車両止まりなさい!貴方たちどこから……、ん?誠二!」
ゲェ、兄貴!
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