第二節 侵入

 ――コン、コン

「うーん、クマかなぁ」

 高木中隊長はそうぼやきながら、『J―16 Detecting(探知中)』と表示される監視モニターの一点を指で叩いた。

 簡易熱源センサーが反応し始めてから既に一時間が経とうとしていた。センサーに一番近い第二駐在所から来る一分置きの目視報告も変化はない。

 熱源センサーは範囲内に設定温度の物体がある限り反応し続ける。当然動物の区別はもちろん数のカウントもできないので、何らかの理由で物体がその場所に居座れば反応し続ける。覚醒状態のギャオスの体温が他の生物より高いことを利用し、結果的にギャオスだけの位置を特定することを狙ったシステムなのだが、同じ場所で興奮状態で体温の高い野生動物がいても時々こういう反応が起きる。管理隊としてはセンサーに反応がある限り気を抜くわけにもいかない。

「なんでしょうね、飯塚さん」

「確かにちょっと変だねェ。狩りの待ち伏せにしちゃ長すぎるべ」

 ギャオスは木の上で待ち伏せし、下を通る動物に飛び掛かって狩りをするのが一般的だ。だがギャオスは気が短く、当てが外れたとわかると十五分ほどで他へ移動してしまう。

 気を緩めることも緊迫することもできず、基地の空気はは中だるみしていた。普段はオペルームに入ってくるだけで隊員の呼吸が聞こえなくなるほどの威圧感を放つ中隊長も、変化しない状況に今では

「動けよぉ、おーい」

とぼやき、モニターの前で小学生の胴ほどもある太さの腕で頬杖をついていた。

「……!二駐から報告!」

 武藤の一声に停滞していた空気が流れだす。

「森が動いてる、そうです」

「意味が分からん、木が揺れてるってことか?」

「……はい、そのようです。風による揺れではないとのこと、暗視で確認中ですが周囲に比べて動きが不自然だと」

 サルやシカの大移動でも始まったんだろうか。目線を飯塚に投げると、中隊長も同じことをしていた。

 飯塚は彼の父と同じく猟師であり、野生動物の習性や行動予測に長ける。入隊は遅かったが第三次衝突以降の混乱期を中隊長と共に切り抜けた勇士で、庭坂基地の屋台骨である。ヘビからギャオスまで、この森で彼に捌けぬ動物はいない。

「見てみないことには、何とも」少し宙を見たあと、飯塚はそう答えた。

 中隊長が武藤の脇に寄る。

「二駐から画を送れるか」

「AXONが一台ありますけどボディカメラですし、暗視フィルターかけると画質はあんまり」

「フィルターはかけるな、通常サーチ照射をしながら映せ。RECはまだいい」

「了解」

「小隊長、現場に行かせてください」いつの間にか背後に移動していた飯塚が言い寄る。

「我々には通常任務がありますから、二駐は四班に任せましょう」

「班の若いモンに何が見えるンですか?」

 普段の飯塚なら絶対に口にしない言葉のトゲにギョッとして振り向いた。薄い髪に普段と変わらぬ丸顔、だが小さな目にヒリつくような光が宿っていて目を合わせづらい。意外な表情に気圧され、目線を中隊長に逃がす。

「小隊長、行かせてやれ。人手はある。飯塚の眼が要るかもしれん。AXONを持っていけ」

 許可をもらうなり、ポリカ盾と双眼鏡だけ放り込んだパジェロが二駐に向かって猛進して行った。基地内はいつの間にかずいぶん蒸し暑さを増していた。

 二駐からAXONの映像が届き始めた。確かに奇妙な木の揺れ方だ。今日は風もそれなりにあるが、明らかに風が木を嬲るそれではない。しかも揺れは極めて局所的だ。

「I―16感!」

 監視がそう叫んだ瞬間、画面の局所であった揺れが突如として画面全体の大波となった。不気味な光景にモニターを見ていた隊員が後ずさりする。映像が大慌てで引きになる、波は画面下に向かって移動を始めていた。

「飯塚車からです、目視確認!これは樹上の生物による揺れではないそうです」

「何かが下を走ってるのか、姿は見えるか!?」中隊長のトーンはもはや恫喝に近い。

「二駐も飯塚車からも生物は目視できず!」

「センサーカメラは?」

「まだ捉えたものはありません!」

「H―16、H―15感!」

「これはなんだ、暗視で見えるか?」

「二駐がやってますが確認できず!飯塚車より報告、『これは地上を走る複数の生物が起こす揺れである。これは単一のリーダーに統率された群れによるものと思われる』」

「飯塚はコレが何か判ってるか?」

「飯塚車より『特定できず。大型のシカやイノシシ程度の体重の動物が移動していると思われる』」

「G―15、G―14も感です!」

 速い、転げ落ちるようなスピードだ。しかもこれまで知っているような動物の動きではない。あまりに直線的すぎる。

「飯塚に聞け、これはギャオスか?」

「……飯塚車より、『否定はできない』」

「小隊長、注意報発令。機関砲射撃用意」

 傍観状態だった自分が突然舞台に引き上げられる。

「し、しかし、まだ視認もできていません」

「先走りなら構わん、後手に回って撃ち漏らすよりマシだ。二駐のAXONをRECに」

「LIVE送信でしょうか」

「そうだ、緊急性を伴う。研究室にも一報を入れろ、こんな挙動は初めてだ」

「F―15感!」

 来たか!

 ここまでは一定速度で下ってきている、極めて早く正確だ。だがこれがギャオスなのかそうでないのか、ここではっきりする。

 密生林は一・五メートル間隔に植えた針葉樹と防護ネットで構成された忌避システムの一部だ。どのサイズにせよ、ギャオスの身体構造上この木々の間を羽ばたいて飛び続けることはできない。さらに密生林の手前の数十メートルは更地で身を隠す場所がない。歩くことがあまり得意でないギャオスは、習性的に必ずこの更地で飛ぶ。一度飛んだなら密生林は飛んで超えるしかない。密生林上は機関砲の射程内、入ればこちらの勝ちだ。

 そう、必ず勝てる。少なくとも十五年間、この防衛ラインを突破したギャオスはおらず、二十五年間、陸自緩衝管理隊は緩衝地域および居住域において一人の人的被害も出していない。負けるわけにはいかない。

「中隊長ッ!カメラ感!」

「どけぇ!」事務用品を蹴散らして小型モニターに中隊長の巨体が駆け寄る。すぐにセンターモニターにも大写しになる。更地手前の熱源センサーカメラの映像は、まるで安っぽいフェイクのようだった。

 異常な数。

 カウント不能、する気さえ起きない。鮮明でないせいでスケールがハッキリせず、コウモリの大群のようにしか見えない。だが明らかにギャオスだ。通常十、最大でも三十体ほどのコロニーで生活するはずのギャオスが、画面の中ですし詰めになっている。

 行動も明らかに異常だ。同種食を行うギャオスはコロニー内でも攻撃される危険があるため個体同士が一定の距離を取る。お互いをけん制することもなく密集して下山する映像は焼き増ししたCG映像のようだ。

「小隊長、警報発令。警察と消防に緊急連絡」中隊長の声で我に返ったが、間抜けな返事が出てしまう。

「飯塚車、二駐到着!」

「飯塚はそのまま二駐で合流!」

「E―13感!中隊長、飛びません!」

 別のカメラがギャオスの進行を捉えていた。迷いなく密生林前を歩いて突っ切っている。

 機関砲は緩衝地域内の施設誤射を防ぐため物理的に水平射撃ができないようになっている。ギャオスが不器用に長細い腕でネットを乗り越えていく様をみていると、ほんの数分前まで溢れかえっていた自信が霧消しかけているのに気付いた。そして同時に、積み重ねられた暦数が自分の重荷になりつつある。恐怖ほど蒸留されていない、もっと原始的で淀んだ何かが基地の床に堆積し始める。

「小隊長、機関砲準備中止!非常呼集!人手がいるッ!」中隊長が隊員の青ざめた頬を引っ叩くように一喝する。

「それと境田がいる、今どこだ?」

「寮です。まさかALCSを?」

「残念だが、もしあの数がそのまま緩衝地域まで低空で突入してきたら庭坂の装備では排除できない。居住域で臨時作戦行動をとる可能性がある」

「D―13、D―12感!」

「機関砲で通過する辺りを射撃しては?」

「もう遅い。小隊長、もうここで食い止めるのは無理だ。だがそれで負けるわけではない、パジェロで飯塚と二駐で合流して、四班の隊員と小隊で居住域の第二避難まで時間を稼げ。人的被害さえ出さなければ我々の勝ちだ。こっちは引き受ける、さあ行け!」

 武藤と二人で最低限の兵装と飯塚の愛銃をトランクに放り込みパジェロを急発進させた。見慣れた草地がまるで海面のように波打ち立ち向かってくる。横転せぬ程度に気を配りながら、頭の中で可能な配員と取るべき行動を整理する。さっきからなぜ手が震えているのか自己分析を試みるが、どうしてもわからない。

「隊長!」

 武藤が指さす。辛うじて葉の集合体とわかるほど黒々とした山肌に、定規で引いたような一直線の波が揺れ動く。進行は存外に遅い。

「この分だと、あっちが密生林を抜けてくる前に二駐に着くな」

「四班の奴らはどうしますか」

「二駐近くは要避難支援の住居はないはずだ、殆どを駆除と侵入阻止と追跡に回す。小隊と四班で分ける」

「車上の動体射撃なんてやったことないッすよ」

「中隊長の命令通りだ、時間稼ぎを第一とする」

 二駐に着くなり蜂の巣をつついたようなパニックを去勢で制した。薄暗い二駐の集合室で行動目的・行動内容・行動範囲・人員配置・装備・射角・注意事項など整理していたセリフを矢継ぎ早に下命すると、パジェロに人員を詰め込んで機関砲の影に待機させ、敵の動きを見張るため、見張り台の梯子に駆けあがった。

 天窓を殴るように跳ね上げると、波の先端はもう農耕地まで二十メートルとなかった。木々の隙間や波打ち踊る枝葉の狭間に向けて必死に双眼鏡を向けるが、未知なる相手の姿は捕らえられない。

 十メートル。着心地の悪い防刃カラーの下が急に痒くなって、カラーの上から拳で殴って気を紛らわした。

 五メートル。グローブの下の掌が汗ばみ、双眼鏡が手に納まらない。敵はまだ見えない。

 一メートル。撃ち殺せばいい、追い返せばいい。ここで食い止めろ。勝つ、勝たねば。

 そして。基地から百メートルほど先、闇が密生林の間から溢れ、弾けた。

 まごうこと無き、ギャオスの大群。モニター越しでも、双眼鏡越しでも、防護ガラス越しでもない、初めて味わう、同じ空間の中に在る我と彼女ら。

 まず畏怖があった。

 月明りを鈍く反射する赤黒い皮膚、不気味な羽音と深く震える呼吸音、人肉を狙う眼差しへの恐れであった。

 同時に瞠目があった。

 伸びやかな身体、力に溢れた翼、自然に研磨され抜かれた形姿への感動であり、それらは人間としての内田昭一を足止めするのであれば十分であった。

「武藤ォ、報告!四班追跡!行動開始!」

 誰よりも自分自身にそう叫びながら、梯子から飛び降りる。だが着地ざま走り出そうとした時、目端に妙なものが入って後ずさった。

 モニターの一つにギャオスの大群が映っている。定点カメラかと思ったが画角が動いていて、すぐにAXONの画像だとわかった。四班はもうパジェロにいる、飯塚のだ。

 だが、飯塚が見ているのはギャオスではない。AXONの広角画像のせいで小さくて見えないが、なにかもっと別なものを見ている。群れの中心の辺り、何か白くて長細い……。

『――リュウ』

 飯塚が無線につぶやいた瞬間、脳が目の前の荒い画素をかき集め一つのイメージを形作った。

 見たことのない生物だった。

 飯塚がゆっくりと近づき画が鮮明になる。白く艶やかな細長い身体、尾は細く全体の印象はヘビのようだがトカゲのような四肢が身体を持ち上げている。

 その生物は立ち止まり、飯塚を見ているように見える。首を上げ、後頭部に鶏冠のようなものが生えた細い頭をまっすぐにこちらに向けている。だが大きな瞼こそあるものの、眼球があるべき部分にはそれらしき膨らみがなく固く閉じられている。盲なのか?

 突然画面がホワイトアウトする、サーチライトか。我に返ってパジェロまで駆けると、真っ赤になった飯塚が叫んだ。

「隊長!アレ追うだァ!」

「あの白いヤツ、アレは何なんですか!」

「リュウだ、セイリュウ!アレを止めれェ!アレがあの群れン中心だァ!」


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