第二章

第一節 洞窟

 『イチゴキャラメルフラペチーノ Lサイズ Date 07/30』

 投げつけられたプラ容器には、残念だが確かにそう書いてある。中身の氷が解けてて、ちょっと足に掛かった。

 こうなった以上どうしようもない、どうしようもないんだがメチャクチャムカつく!

「クソッ!」

 プラ容器を踏みつけた弾みでもっと中身がかかったが、そのまま洞窟に足を踏み入れた。

 イチゴキャラメルフラペチーノだぁ?けったいなモン飲みやがって!



 十分ぐらい前、待ち合わせして帰るタイミングでテンが

「あの洞窟行こうぜぇ、な?チョットだけ、先っぽだけだから、な?」

とゴネてきた。生息域の薄暗い洞窟にギャオスがいるのは生活科で誰でも習う、小学校教育はコイツには荷が重かったか。

「こないだ寝てるギャオスがバットでボコられてるヤツ見たぜ。マジヤベぇよあれ、全然起きねぇの。そのまま死んでんの」

「フェイクじゃねぇの?ああいう動画なんてグッドつくなら見てる奴死のうが気にしないぞ」

「マジモンだから。フィリピンとかブラジルの軍隊でギャオスの駆除のやり方のヤツ」

 うわ、それ俺が観たやつとおんなじのじゃねぇか。


 実はテンの言うことは正しい。

 ギャオスは筋肉とか骨が詰まってる分パワーと頑丈さはあるけど燃費が悪すぎるらしく、昼間は眠るというより気絶していてバイタルが最低限まで落ちるらしい。ビビりな上にフィジカル面で自信がない俺がこうやって生息域に来れるのは、この辺の習性を下調べして昼間で日差しが強ければリスクは少ないのを確信してるからだ。ミリオタ専門の動画まとめサイトに載ってるような地味な動画だったのに……。

「ちょっと覗くだけじゃんか。バチボコヤバいの体感できんじゃん」

「わざわざスリル味わいたくないわ、そういうので来てんじゃないから」

 洞窟は二メートルくらいの高さで、木枠で補強されてる箇所もあるけど基本は土と岩がむき出しだ。入口から十メートルくらいなら光が届いてるけど、それ以上は道がどうなってるかも判らない。ギャオスがいなくても蛇とかゴキブリは確実にいそうだ。


「あれ、なあアレヤバくね?」しばらく入り口をウロウロしてたら、いきなりテンが奥を指さした。

「奥にあんじゃん、アレ。アレ見えるか?」

「うるせぇな、もう俺帰るぞ。アレアレうっさい」

「あそこにあんのさ、コップじゃん」

 まったく何も見えない。そもそも指さすだけで場所の説明がないし、いつものことだけどコイツの会話は何がどういう状態なのか全く分からん。

「……コップかもだけど、だからなに?」

「いや、書いてあんじゃん。今日の日付」


 このとき変な意地を張らなきゃよかったんだ。この時の俺は、テンが上から数えた方が早いフィジカルエリートなのを忘れていた。いや、侮ってた。

「ハァ?パチこくなって。ぜってぇ見えねぇから。中に誘導したいのバレバレだから」

「いやマジマジ!おめぇ目悪すぎじゃね?読めっから俺。イチゴキャラメルフラペチーノ、Lサイズ、ゼロ・ナナ・サン・ゼロ」

「……ハッタリかましすぎだろ」

「取ってくるわ。もしかしたら誰かいるかもじゃん」

 止める間もなくテンは奥まで走っていった。拾い上げたときのドヤ顔は今思い出してもイライラする。どういう視力してんだよ。



「十五分だからな?結構時間カツカツなんだぞ」

「オッケオッケ。絶対誰かいるべこれ、てか住んでる?」

 テンの指さす辺りにコンビニおにぎりの袋や薬包クズが転がっている。風で運ばれてきたにしては大量だ。

「わざわざこんなヤベぇとこ住まないだろ、指名手配されてる奴かもしんねぇぞ」

「スゲェじゃん。俺らで捕まえようぜ!」

「アホか、警察になんていうんだよ。ってか、やっぱやめたほうがいいって」

「一応見てみようぜ、迷ってたり怪我したりして逃げ込んだパターンとかもあるべ」

 なんにしてもロクでもねぇ奴じゃねえか。


 果てしなく気が進まなかったけど、とりあえずリュックに入ってる紫外線懐中電灯を一つ渡して、こっちは対人用のネットランチャーを持って洞窟に入った。

「うわ、これ弱っわ。あんま見えねぇじゃん」

「小学校の図工で作ったやつだからな、しかもモノ見るためのライトじゃねぇし。それしかないんだから文句言うな」

「俺スマホのライト使うわ」


 ゴミは洞窟の奥の方まで散らばってた。ヤバい薬かと思ったけど頭痛薬や風邪薬ばっかり、たまに栄養ドリンクのガラス瓶も落ちてる。洞窟の奥の方は広くなってるのか光が吸い込まれて懐中電灯の光が届かない。風も吹かないから呼吸してる気がしない、すごく気味が悪い。

「もう戻ろうぜ、誰もいねぇよ」

「いや絶対居るって。ちょっと別れようぜ」

「やだよ、ホラーとかで片方死ぬ展開のやつじゃん」

「なんかここ広くて見辛いわ。スマホのライトあんだから端と端で見ようぜ」

 あと二分だけと言って左右に別れたけど、途端に不安になってくる。テンのライトは見えてるけど、闇が濃すぎてその間にあるものが全く見えない。一歩進もうにも、先にある岩も手をつけそうな壁があるかも判らない。


 ライトのパワーを最大にしてみても気休めにもならない。目と耳に入ってくる情報が少なすぎて不安ばっかり膨らむ。影に質量ができて俺に圧し掛かってきてるみたいだ。いや、圧し掛かってるだけじゃない、腕にも足にもまとわりついて、口から流れ込んで肺まで止めてこようとしやがる。脚はもう引きずるのも精いっぱいだ。


 動けない。

 動くのも、動かないでじっとしてるのも嫌でヘンになりそうだ。よく考えれば、この洞窟で最も無防備で弱いのはこの俺だ。何かが忍び寄って来たって、無防備な背中に飛び掛かってくる瞬間まで俺はそいつに気付けないんだ。向こうでチラつくテンのライトをすがるように見る。

 もう限界だ、テン、もう帰ろうよ。


 ――パキパキッ

 足元で予想もしなかった甲高い音がして、心臓が止まるかと思った。ライトで照らすと大量の薬包クズが落ちてる。クズは少し先にも固まっておいてあって、紙の空箱や説明書もあった。やっぱり誰かいるんだ、そう思って横を見た瞬間、体中の血の気がサッと引いていくのが分かった。


 テンのライトが見えない。

 それだけじゃない、手元のライトもいつの間にか見えない。さっきまで光ってたのに、見えないなんてあるかよ。目だ、きっと目がおかしくなったんだ!

 そう思った瞬間、ベトベトした汗が背中から湧き出てきて、笑っちまうほど大きな震えが手足を駆け上がってきた。叫んでテンを呼ぼうとしたのに、まるで真冬になっちまったみたいに唇やのど輪が引きつって息が吸い込めない。


 パニックでどうにかなりそうになった時、目の前にぼんやり何かあるのが分かった。前って言っても、自分の手すら見えないぐらい暗いから、上なのか下なのかも判らない。

 目の前のモノは、すごく濃い緑だった。

 なんとなく輪郭が緑に反射して、自分の手を広げたくらいの球体なのが分かる。光沢もあるみたいだ。なんだろう、大理石みたいに濃淡があって、真ん中が暗くて、コレって……


 眼?


 そう思った瞬間、何かに足を取られて派手にブッ倒れた。身体を起こした時に目はもう元に戻ってて、さっきと変わらない暗さなのに自分の服とか周りの岩がかすかに見えた。反射的に足元を見て躓いたものを確認する。

 

 岩?いや違う。明らかに人工的な模様と規則的な凹凸がある。

 ゴミ?寝袋?ライトを照らすと白っぽいプラスチックのような素材にも見える。

 ――人?

 気付いた瞬間、周りが明るくなったみたいにその人の全身が見えるようになった。人間だ、女性だ!


「テェン!」

 思ったよりバカでかい声が出て、テンのライトが上下しながらみるみる近寄ってきた。

「お前声でけ、ウォォビビったぁ!」

「お前もうるせぇ、倒れてたんだ」

「……死んでる?その人」

 そういや確認してねぇ、でもどうやって?触っていいのか?どこ触るんだ?とりあえず腕?無難に肩からなら……、

「うっわ!」

「なんだよ、どうした?」

「この人濡れてる。びしょ濡れだ、めっちゃ冷たい」

 テンがその辺を照らすけど水たまりは見えない、この人どこから来たんだ?

「呼吸はよくわかんないけど、してないと思う。死んでるかも」

「とりあえず心臓マッサージしたほうがいいな」

「ここ岩だらけだし外まで移動させるか。テン荷物持ってくれ」

 荷物を手渡して、女性の首に右手、膝に左手を回す。濡れてるせいか左手がうまく回らない。身体を何とか引き寄せて……、

「?!」

「オイ、早く行くぞ!」

 え、重っ!めっちゃ重い!

 何これ。腰ヤバい。映画とかでこんな感じで持ち上げてんのに。

「おい急げよ、何やってんだよ」

「いや、ちょっ、滑ったわ、今」

「遅ぇから俺が運ぶわ、おめぇ荷物持て」

 投げつけられる荷物、駆け寄るテン。女性はまるで毛布みたいにふわっと持ち上がってテンの大胸筋と腕の中に納まった。なんだ?今すごくイラっと来たのは何なんだ?


 二人とも全速力で洞窟を出ると女性を仰向けに寝かせた。何しようかウロウロしてる間に、テンが心臓マッサージを始める。

 光の中で見る女性の肌は明らかに血色が悪くて、陶器だかシリコンだかみたいな気味の悪い透明感がある。最初に思ったより年齢が若いかもしれない。

 体温が下がらないように髪と肌を手持ちのタオルで拭いてみるけど、肌に妙なヌメリがあってナメクジとかイカとか触ってるみたいで気味悪いな。でも不思議と衣服はほとんど濡れてな、……あ。

「なんだよ?」

「……おいテン。これ見たか、この腕」

「え、何これ。肌の病気?」

「ちげぇよ、知らねぇの?これ自分で切ってんだよ」

「え、リスカ?こんなんなんの?」

「ガチで深いヤツだとこうなんだよ、この人……」

 自殺未遂か。

 生息域に行く自殺志願者は多いらしい。勇気が足りなくても薬やアルコールでキマッてる間にギャオスがケリをつけてくれるからだ。

「もうさ、やんなくていいかもしんないぜ、それ」

「はぁ?おめぇ見殺しにすんなよ」

「助けた後また死ぬって言われたらどうすんだよ、俺ら関わる意味ねぇじゃん」

「そんなの判んねんだろ、生き返ってから聞け」

 その時、女性の胸がテンの腕を強く押し返した。せき込んで気管に入った水と大量の錠剤を吐き出したけど、意識は戻ってない。ちょっとマシになったとはいえ、顔も相変わらず青白い。

「テン、とりあえず戻ろう。もうかなり時間オーバーしてる、ダッシュじゃないとヤバい」

「この人どうする?」

「運搬用のスケボーバラシて運ぼうぜ」


 今思えばこの判断がすべてだったんだ。この選択をした瞬間、俺が今まで当然だと思ってた生活は消え失せた。


 高速道を戻る途中、ダメ押しのゲリラ豪雨が直撃した。

 瞬間的に路面を覆った水が板を押し上げるせいでスケボーがロクに進まなくなって、緩衝地域を抜けるまであと五キロってところで昼間終了の放送が流れた。服が体に張り付いて、水が入ってガボガボになったスニーカーが重くて、俺らはびしょ濡れのまましばらく道の真ん中で突っ立ってた。

「セイ……なんかわりぃ」

「……もういいよ」

 良くねぇんだけど、もう喧嘩する気力がない。

「……どうする?」

「わかんねぇよ、こうなったことねぇし」

「こっそり帰れねぇの」

「警官が昼間終了で見回り強化してるから、もう無理だ」


 口に出すと、改めて本当に終わりなんだって実感が湧いた。

 退学かな、高三だけど逮捕されんのかな。前科ありでも雇ってくれる職種って何だろう。

 今まで一線だけは超えないようにしてたけど、超えた瞬間がこんなに絶望感に満ちてるなんて考えたこともなかった。もう何もやる気がおきない。


 いっそ管理隊に見つかった方が安全かもしれないから、そのあとは側壁沿いに歩いて街の方に進んだ。テンも黙って女をスケボーで引きながらついてきた。嫌がらせみたいに降ってた雨は一〇分もしないで止んだ。


 憂さ晴らしに女を高速道から下に放り投げてやろうか。いっそ行方不明になって新仙台辺りで人生リセットしようかな。

 どうでもいいこと考えながら何の当てもなくチンタラ歩いていると、目の前に大型トラックが目に入った。このままギャオスに食われんのも嫌だし、試しにコンテナの扉を開けてみるとカビ臭いだけで空っぽだ。テンと一緒に女と荷物を中に放り込む。

「マジで警察に捕まった方がマシかもな」

「俺は家に未練ねぇし、一晩考えるわ。テンは家帰った方がいいんじゃね?」

「帰ってもおんなじだろ、あの人もいるし」


 何となくもったいない気がして、山に沈んでいく夕日を二人で眺めてたら、暫くしてコンテナで物音がした。二人が振り向くと、西日が差すコンテナの真ん中、仁王立ちする女が一人。


 そう、これが松尾浅緋との最初の出会い。コイツのおかげで、俺の運命はすっかり狂っちまったんだ。


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