第五節 家族
ぶり照り焼き・パック総菜のモヤシナムル・大根が生煮えの味噌汁・べっちゃりしたご飯〇・七合。
母親が用意した夕飯を冷蔵庫から出すと、テーブルに置いて腕組した。パック総菜とご飯は計算が簡単だけど、手作り系はちょっと計算が面倒だ。何かヒントがないもんか。
ゴミ箱を漁ってみると、ぶり照りの冷凍お手軽キットの袋を発見した。まあそりゃそうだ、ネイルを欠かさないお嬢様育ちがいきなりまともな主菜を作るのは無理だ。
個人的に味噌汁とご飯は無価値としたいとこだけど、あくまで一般市場において適正な価値を考えよう。
『二〇三〇年七月十九日分 夕食代 ぶり照り焼き・四百円、モヤシナムル・六十円、味噌汁・六十円、ご飯・百二十円、調理等に係る諸経費・百円、計七百四十円』
書いた明細と小銭を机の上に置く。机の上には電気代・水道代・ガス代・この住居の市場価値と、住居内で俺が占有している面積や、占有している面積と導線を基に計算した『家賃』・家事負担その他精神的負担に対する『補償金』の明細と金が、すでに置いてある。
『先代から続く大手不動産会社の父と、地域屈指の名家出身の母の愛と誇りの結晶』
『将来有望の跡継ぎ様候補』
親戚の祝い事じゃ、小学生になる前から祝辞で俺をこんな感じで紹介してたらしい。モノは言いようだ。衝突で地権が混乱した福島の土地を買いあさった成金と、うだつの上がらない名ばかり名家が互いの地固めでコネ結婚しただけだろ。
金遣いが荒くて、資産とステータスを人の価値と思っている父親、前妻との間にできた容姿端麗・勇猛果敢で万能な完成品、ありもしない家柄の誇りを守ろうとするけど実は無能で、欠陥品の俺を産んだ劣等感を拭えない母親。
これが家族だと悟った時、やるべきことは決まった。でも未成年で家族の枠にどうしても法律的に拘束される俺にとって、法を破らずにその拘束から解放されることが必要だった。要するに金が必要だった。
生息域へのルートを見つけたのは運命だった気がする。
森の中で拾ったゴキブリみたいなデカい虫が、菌糸ビンで太らせた芋虫が、笑っちまうような値段で売れていく。預金の残高が増えるたび、大げさかもしれないけど心が解放されていく気がするんだ。飼育ケースから抜け出して、初めて自由に生きてる感じ。
最近は気分がいいし、会社の業績が傾いて美術品やゴルフセットをコソコソ買取ショップに出す両親に、今日は六桁の『援助金』もプレゼントしておいた。俺ってば孝行息子じゃん、いいことすると更に気分がいい。
ぶり照りとナムルを口に、味噌汁と飯をゴミ箱に放り込み終わると、時計は午前四時十分を指してた。あと三十分もすると、役所のスピーカーが間抜けな音楽で昼間開始放送を流し始める。玄関前にでかでかと張られる完成品の自衛隊募集ポスターに中指を立て、音をたてないように家を出た。
待ち合わせしてたコンビニ前に行くと、ウンコ座りをする一団の中にテンがいた。ヤンキーの中をかき分ける場違いな猫背のヒョロガリメガネと、二つ返事でそれについてく大柄の金髪男を、みんな不思議そうに眼で追っていた。
五日前の帰り、俺は幼稚園生でも分かるレベルの言葉を選んで、SNSに写真をのせたり、生息域に行ったことを誰かに話したりするととってもあぶないよ、って話をテンにした。今のところ家に警察も自衛隊も来てないし、どうも幼稚園レベルなら言葉が通じるらしい。でもまだコイツについては謎が多い。聞きたいことがいくつかあるんだけど、いざ二人きりになると話しづらい。
「……俺さぁ」昼間開始の放送を聞きながら、スケボーに跨ったテンが口を開く。
「やっぱ二学期で退学っぽいんだよね」
はぁ?いきなり何言い出すんだ、というか話の切り出し方下手くそか。
「野球部って授業とか時間割とか違うじゃん。だから野球部辞めると退学なんだって」
「そもそもなんで辞めんの?甲子園とか行ってたじゃん。わざわざ俺らもフェリー乗って応援連れていかされたし」
「俺バット振れねぇんだよ、なんか病気になったらしい」
イップス、とか言う精神疾患だそうだ。バットがガクッてなるってテンは言うんだけど、正直意味が分からなかった。こんな能天気なポジポジ野郎が精神疾患とか冗談だろ。
「親とかなんて言ってんの?お前脚とか速いじゃん、陸上とかじゃだめなの?」
「親父はずっと野球やれっていうだけだったからな。学校の先生とか親戚とか近所の人も野球とりあえずやってりゃいいって言ってたから。他とか考えたことないんじゃね。最近は親父も母さんもあんま喋んないで、たまに泣いてるだけだし」
自分のやりたいことがあって、周りがそれを全力で応援してくれて、おまけに才能もある、俺からしたら天国だぞ。
「甲子園で俺ら負けたとき、土拾ったじゃん?みんな見てたし写真も撮られたし」
「あーやってたな。俺新聞しか見てないけど」
「あんときさ、『青春って金儲けだな』って、なんかいきなり思ってさ。それはそれで気にしなきゃいいんだけどさ、なんか変に意識して、そのあと三年が引退して秋大でレギュラー入ったら、なんか終わった」
世界が違い過ぎて、悩みが理解できなさすぎて、何にも言えずに滑ってるうちに、いつの間にかその話題は終わった。
レジャー施設に着くころには陽もすっかり上がっていた。デカい入道雲が東に見えるけど、天気予報的には問題ないはずだ。時間だけ決めて別れる。
「なあセイ」
少し離れたテンが後ろから大声で呼びかけてきて振り返った、顔にはもう普段通りのニヤニヤが張り付いてる。
「今度あそこ行こうぜ」
指さす方を向くと、獣道のかなり上の方にコケに覆われた石垣があって、その先に木で補強された小さな洞窟が口を開けていた。
「アレ、ぜってぇヤベぇって」
俺は前に向き直ると森に進みながら、空に向かって高々と中指を突き上げた。
ぜってぇ行かねえ。
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