0002:救いの手
「どこだ、ここ?」
つい、呟きがもれる。俺の知ってるこんな雰囲気の場所は……山奥と言っていい土地にある実家そばの森。そこの林道だ。土と砂利の混じった道。両脇には鬱蒼とした木々。
真の闇ではないことを考えると、月明かりだろうか? うっすらと見える限りだと木しか無いようだ。
そこまで風は強く無いが、耳を懲らせば、枝葉が擦れ合う音が聞こえる。
問題はなぜ、東京の街から一気に街灯も整備されていない林道にワープしてしまったか。だ。いくらボーとしていたにしてもほどがある。
なんとなく確認してもそれほど疲れているわけではなかった。
つまり、(気がつかなかったとして)トンデモナイ距離を歩いてしまった……ということもないだろう。
ひょっとして記憶障害とかその手の病気……もしや痴呆? 若年性の?
思考がハッキリとしない。
が、ここは林道じゃないか? と気付いたからか、森の……草木の匂いがグッと強くなっている。スゴイ濃い匂いだ。都会の片隅にある小規模な雑木林でこんなむせ返るような匂いを感じるだろうか?
そもそも、自分のアパートからコンビニの間にそんな林や森のある大きな公園は存在しなかったはずだ。
とはいえ、このまま立っていてもどうにもならない。とりあえず、歩いていた方向へ脚を動かす。
しばらく歩いたが、開けた場所に出るわけでもなく、灯りが見えるわけでもなかった。目が慣れてくるとうっすらと……木々の間から月明かりが差し込んでいることに気がつく。弱いながらもこの光のおかげで、足下が不明になることもなかったのだろう。
とはいえ、この程度の明るさでは足下の砂利と土と周囲の木々くらいしか判別ができない。音も聞こえない。
(あれ? そういえば……音がしない……)
気付いてみれば虫の声が聞こえないのはおかしい。自分の歩く足音はする。だが、それだけだ。
立ち止まると一切の音から拒絶されたような気がしてくる。まるで……雪の夜のようだ。
おかしい。とにかくおかしい。心の中で一気に不安が増大していく。さっきまで聞こえてきた風に揺れる木々の音……も聞こえてこない。
……ここは……どこだ?
しばらく歩くと何か音が聞こえた気がした。気のせいかと思いながらも脚を止め、周囲に気を配る。いや、何も聞こえない。
ほっとしたその瞬間。
激しい地鳴りの様な音が響く。これは……獣の唸り声か! って、犬なんて目じゃない。この下っ腹に来る響き方は……とんでもなく大きな獣に違いない。え? なんだ? なんでそんな大きなケダモノが?
グパァという開封音と生臭い強烈な匂い。風の塊が襲いかかって……きた。勢いのまま、必死で前のめりに転がる。
な、なんだ、これは、どういうことなんだ? 必死で押さえ込んでいたパニックが再度頭を支配する。
自分の息をする音が異常に大きくなる。やばい、このまま倒れてたら、もっとやばい!
慌てて起き上がる。そこをまた、何かが駆け抜ける。獣臭い。野犬……いや、でかい……狼? 虎? 挙動はホラー系のゲームに登場する、超素早い、襲いかかってくるモンスター犬の様な感じだ。
つまり……このあと、ガブっとやられてフガフガっと揺さぶられて噛み切られて、ジ・エンドってヤツだ。
知ってる。うん。ゾンビの遅い動きに反して、その素早さに翻弄されて何度もゲームオーバーになった記憶がある。
とはいえ……正直、薄暗がりでどちらから襲ってくるかもイマイチわからず、逃げようにもどうにも方向すらしっかりしない。
強い獣性の匂いを避けるように後ずさりするくらいしかやりようがない。
グバッ! 再度接近してきた大きな音が聞こえた。スゴイ勢いで力をかけられ、動かされる。
あー死んだ、こりゃ死んだわ。
何に噛まれてどういう感じで死ぬのかもよくわからないけど、死んだ。こんなデカイ音と力。風圧。臭い。獣臭いってヤツだろう。生き残れるハズが無いし。何か苦しいし。ああ、本当に死ぬときって、痛みとかあまり感じないものなんだな。
「大丈夫か?」
女性の声が聞こえた。
「は? へ?」
え? その段階でやっと今の自分の体勢が理解出来た。
襟首を掴まれて後ろに引っ張られた感じなのだろうか? 誰が? とか、片手で? とか、なんていうか、もう、イロイロありすぎて、さっぱり判らなすぎる。あの、狼というか、ケダモノは? ど、どうなりました?
「こんな所で何をしている。迷うにしてももう少し心構えがあるだろう? 戦えなくても防具は必要だ」
チキ……と金属が打ち合わされる音が聞こえた。
目の前には……何か硬い……鎧か? を身に付けた女の人が立っている。何か振ったような感じだったのは剣? だろうか? え? さっきの剣で斬ったの? アレを? 本当に?
とはいえ……よかった、助かった。安堵感が半端ない。
あ。
そう思うと同時に、とめどなく何かがこぼれていった。うん。無意識に近いので仕方ない。アンモニア臭のするほっこりした湯気が鼻をくすぐる。多分、幼稚園以来のおもらしに、助けてくれた女性は半歩後ろに下がった。
「初めて魔物に襲われた子供は大抵もらすものだが……大の大人がなさけない」
「あ、す、すいません……というか、ここは……」
「そもそも、野営もせず、夜の森を歩くなど常識がなさ過ぎる。冒険者であっても結界の外には出ないぞ?」
「はい……いや、あの……」
「まあいい、来い」
とりあえず、付いて来いということだろうと判断して、女の……戦士? の人の後を追いかける。もらしはしたが、腰を抜かしてはいなかった。よかった。ここでさらに肩を借りるっていうのは、輪をかけて情けない。
闇夜ではないとはいえ、暗い森。所々に木の根が張り出しているため、足が引っかかる。フラフラしながらもなんとか、なんとか後に続く。
目の前の女性は白っぽい鎧を身に付けている。そのため、やっと慣れてきた闇の中に、姿がぼんやりと浮いている。
前を歩くその速度はかなり速い。大股……なんだな。それ以前に足が……長い? まあ正直、自分の足下を見ながらなのでそこまで目を向けていられない。
「濡れたまま寝るのがいいのであれば別だが、とりあえず、脱いで乾かしておけ」
と言って毛布を投げつけられた。森のちょい開けた場所に焚き火。火の光がありがたい。
ここにいたって、やっと、命の恩人の姿をキチンと見ることが出来た。
「あ、ありがとうございま……す?」
言いながら毛布を腰に巻き、短パンとパンツを脱いで、とりあえず、火の当たるところに置く。
洗いたいが……どう見回しても水場は見当たらない。
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